ビッグマウスがやってくる映画『ザ・キラー』感想文

《推定睡眠時間:30分》

本来ネットフリックス配信映画のところを日本では1週間のみ限定公開ということでそれなりにキャパ数の多いシネマート新宿のシアター1で観たのだが思ったよりも多い客入り、俺のようにネットフリックスに入ってない人や(半年ぐらい観てなかったので解約しました)ゆーてフィンチャーの新作ならパソコンモニターのミニ画面よりも映画館のドデカスクリーンで観たいでしょうが! という人が結構いたのであろう。柳下毅一郎も来てた。

でいつのまにかででーんじゃなくなっていたネットフリックスのムービングロゴに続いて映画が始まったら「あれ?」ってなった。デヴィッド・フィンチャーといえば元CF監督らしくオープニング映像と音楽にたいへん拘る人として俺が改めて言うまでもなく有名、カイル・クーパーの手になる『セブン』のスタイリッシュなオープニングは今でも語り草である。ところが。この『ザ・キラー』のオープニング映像めっちゃ簡素であった。確かにテイストはいかにもフィンチャー作品らしく様々な殺しの手口をクロースアップで見せていくというもの、これは『セブン』にも通じるしフィンチャーの今のところ未完になってしまっているネットフリックス傑作ドラマ『マインドハンター』のオープニング映像の延長線上だが、それがおそらく1分も続かない。ほんの十数秒程度その映像の上に主要キャストとスタッフを出してさっさと本編に入ってしまうのである。

連続ドラマのオープニングならそれもわかる。毎回毎回同じ映像を(飛ばせばいいとはいえ…)長々と見せられたらいかにカッコいいオープニングでも視聴者は飽きてしまうに違いない。しかしこれは配信前提に製作されたとはいえ2時間で完結する映画である。映画ならオープニング映像に1分ぐらい尺を割いても怒る人はいないんじゃいないのかね…オープニング映像に定評のあるフィンチャーなのだしむしろ喜ばれるのでは…これでは映画というよりもテレビの特番二時間ドラマの雰囲気である。大丈夫だろうか。

映画の内容はきわめてシンプル、ターゲットを殺り損ねたプロの殺し屋が俺が本気を出せばこんなもんじゃないぜと依頼主に会いに行くだけの話である。お前殺り損ねといてなに依頼主に逆ギレしとんねん。俺が寝ていた30分の間には殺れなかった報復として依頼主に消されそうになるみたいな展開もあったのかもしれないが、そうだとしても元々はお前がプロのくせにしくじってるのが悪いんだから文句言えた筋合いじゃねぇだろ。

だいたいこいつはプロの殺し屋のくせして至るところでいささかチョンボをし過ぎる男である。確かに殺しの手法や殺しのために必要な準備の知識は一通り身につけている。しかし実際にそれを行う段になるとかなり単純なことでケアレスミスをしがちなのである。たとえばターゲットを狙撃銃で撃ち殺すための足場兼隠れ家として改装中のアパートの一部屋にこの殺し屋は居を構えるのだが、そこでターゲットがちょうど撃ち殺せそうなところに来るまで待っていたら郵便配達の人が何も知らずこの部屋にやってきてしまうのである。超焦って銃を構える殺し屋。なんとか事なきを得たわけだが、いやそういうのはなんかさあるんじゃない事前にそうならないようにしておく方法がさ。

原作コミックもそうなのか知らないが『セブン』の脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーの脚本によるこの映画は殺し屋のモノローグで進行するのだが、話し相手のいない殺し屋が観客に向かってなのかそれとも自分に言い聞かせているのか殺しのテクニックを一人くどくどと話す一方、画面に映るのは単純なケアレスミスの数々。ちょっとおバカさんなんじゃないかもしかしてこいつはと思えてくる。「俺はいま人目につかないようドイツ人観光客になりきってこの格好をしている…」とかモノローグで言うのだがたぶん通行人誰もその設定意識してないよ!

この語りと行為のギャップ、俺は意図的なものと見た。演出にはコミカルなところは一切なくシリアス一辺倒と言っていいほどだが、『マインドハンター』において有名連続殺人鬼たちの実はわりとバカだったり何も考えてなかったりする素顔を暴いたフィンチャーである。おそらくこれは自分では超絶プロの高級品と思い込んでいるが実力はニトリとかで売ってるお手頃価格でしかないアホの殺し屋を描いた映画なのだ。だからこそニトリは難易度的にステルス系アクションゲームの2面ぐらいのミッションに大失敗とかいう残当な出来事に大ショックを受け、自分が本当は本当に本当のプロの殺し屋であることを証明するために、依頼主脅迫とかいう反逆的高難易度ミッションに命を賭して勝手に挑戦するのである。依頼主からしたらめちゃくちゃ迷惑な話だと思う。

そうした諧謔を漂わせつつもエドワード・ホッパーの絵画を思わせる無機質で美しい映像世界は見事にノワール、それも最近のノワールというよりもウォルター・ヒルの『ザ・ドライバー』とかマイケル・マンの『ザ・クラッカー』のような美学ある職人犯罪者を描いたノワールで、フィンチャーにしてはずいぶんとアッサリしたオープニングもこうした作品の無駄のなさを志向したものだったのかもしれないし、原作があるにしても『ザ・キラー』という簡素な職業名タイトルも『ザ・ドライバー』に倣っているように思える。殺し屋ニトリがザ・スミスを愛聴しているという設定はもしかすると『ザ・ドライバー』を現代風にアレンジしたエドガー・ライトの『ベイビー・ドライバー』へのオマージュないしフィンチャーからの回答だったのかもしれない。

このスミス好き設定は外見はマッチョでも中身はヘナヘナなニトリの性格を表しているようでなかなか面白いところ。まさしく「Bigmouth Strikes Again」。

【ママー!これ買ってー!】


The Queen is Dead

ということで「Bigmouth Strikes Again」収録のスミスの代表的名盤を。

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