《推定睡眠時間:0分》
この映画を観たのは3週間前でその時は主人公のセレブになれなかったifの小島秀夫みたいなナリをした中国の廃刊間際UFO雑誌の編集長が放つ哀愁にやられて全編泣いていたといっても過言ではなくその結末にはこれこそが中国SFの真骨頂だぐらいなことを思いそれはそれは感動したものであったのだがなぜか感想を書こうという気にはなれず後回し後回しにしているうちにあの感動も笑いも涙も迫る冬の気配に上塗りされあぁそういえばそんなこともあったね、と早くもすっかり過去のもの、今にして思えば、というか観ている間から思ってはいたがそれを上回る感動があったので思考に上らなかったのだが、主人公以外のキャラクターも個性豊かなのはいいのだがそのキャラが物語の中であまり生かされているとは言いがたく、序盤は力強い牽引力のあったプロットが終盤になるにつれてぼやけていき、現代中国映画らしい詩情で誤魔化す…とまでは言わないが、どうにもシナリオを詰めきれていないような印象があり、アイデアは素晴らしいがもう一歩踏み込みが足りない佳作、といったところが客観的な評価であろうと冷静に考えることもできるようになってしまったのだった。
けれども『宇宙探索編集部』という映画を今一度振り返れば、その熱狂から平熱状態への移行を経てはじめてこの映画の感想を語れるようになったな、とも思う。こんなに宇宙は広いのだから宇宙人が存在しないと考える方が非科学的なのだと主張するマッド科学信奉者の主人公は雑誌「宇宙探索」の編集長、この「宇宙探索」、日本でもオカルト雑誌「ムー」が爆売れした時代があったように90年代には中国人民のハートを鷲づかみにしたものだったが、人民のリテラシーが向上してしまったのか、それともUFOに夢を見ることができないほど心が貧しくなってしまったのか、今やすっかり落ちぶれ廃刊の瀬戸際。たまにSF映画のスタッフとかが小道具を借りにやってきたりするが「バカヤロー!こんな使えないの見つけてきやがって…」「すいません監督!」みたいなやりとりを聞こえるところでされる屈辱を受けたりするのだった。ちなみにこの映画のタイトルは『流転の球』といった(この劇中劇の監督を演じているのは映画版『流転の地球』の監督本人らしい)
とにかく救わねばなるまい。何をか? ひとまずはこの財政難にあえぐ編集部を。それから…。ということでネットで見つけたあからさまに怪しいUFOネタをおそらく最後の特ダネチャンスと見て編集長と仲間たちは中国西方へと旅立つ。落ちぶれたといっても大都会北京に編集部を構える「宇宙探索」、そのシティ派の仲間たちにとって中央の威光と管理の及ばぬ西方への旅は外国旅行に等しいドキドキワクワク奇々怪々の連続である。廃墟みたいなボロボロハウスに住むUFO目撃者の親父はどう見てもかなりどう見ても粘土か何かをこねて作ったとしか思えない人形を宇宙人の遺体だと言い張り、地元タクシー運転手はUFOの飛来した?電気が通ってるのかもわからないド貧乏村に着くや「おい!客だ!商売をはじめろ!」とオブラートに包まないアジテーションでゾンビみたいな貧乏村人たちの買え買え攻撃をけしかける、かつて編集長にどこかのSF大会かなんかで会ったのが誇りと語る彼方から来たUFOファンは自作のたのしいピカピカUFOカート(※こういうの前に金沢行った時に見たことあります)に乗って村を徘徊し村人達から露骨に煙たがられ、鍋を被った少年は誰も聞かない村の放送でなにやら漢詩を詠んでいる。なんだこの魔境は!
思い出したらまた泣けてきてしまった。すばらしい、やはりすばらしいと思う。ここには中国人民のそのままがあるよ。中国に行ったことのない俺が中国人民のそのままと言ってもまったく説得力がないのだが、少なくとも中国のビッグバジェット映画には絶対に出てこない汚くて金がなくて学も希望もなにもなくてそしてそうだとしても別に絶望しているわけではなくなんとなく平和でそれなりに楽しい毎日を送っている平凡な中国人民の姿をこの映画は実に生き生きと捉えている、ように見える。
その作り手の意志になによりも感動させられたのだよなこれは。小島秀夫(似の)編集長はもとよりみんなイイ顔をしてるんだ実に。生きてるんだよって顔してんのよ。金がなくても、酒しか趣味がなくても、なんにも面白いことがなくても、とにかくまぁなんとかやってるんだよこっちはこっちで、的な庶民の顔をしてるんだ。俺はもうそういうのホント弱いんですよ。なんでかね。まぁ、洋の東西を問わず多くの人はそういうつまらなくて汚い生活人は映画のカメラに映そうとしないからかもしれないですね。映画ではキレイなものばかり見たがるものじゃないですか、当のその生活人というのはさ。
でそういう生活人の中にあって秀夫だけは現実を見ずに大宇宙の果てにあるかもしれない未知の存在を夢見てる。終盤ロバに乗って西方の霧深い山道を駈ける姿は『ドン・キホーテ』そのもの。なぜ秀夫はそこまでUFOを求めるのか。それには家族の喪失という秀夫の痛ましい過去も関係しているのだが、しかしそれだけではないことは、その痛ましい過去がUFO探しの原因になったというよりは、UFO探しが原因で家族の喪失という結果を招いてしまったことからわかる。きっと秀夫は納得したかったんじゃないだろうか。もしUFOや宇宙人が実在するとわかれば、一生涯をUFO探索に捧げた自分の人生が間違っていなかったと思うことができるに違いない。
それは惨めで醜い現実逃避で自分本位の責任回避かもしれない。そもそも秀夫が決して褒められた人間ではないことは最初から明らかなのだ。でも、それがイイ。それが泣ける。ダメ人間だから他人からは非現実的と見える夢を抱いて一途に信じてしまう、その滑稽の旅路にこの映画は最後まで付き添ってやる。そして、そんなダメ人間だからこそ到達できる世界があるかもしれないと最後には示唆するのである。これをSFと言わずしてなんと言おうか! これこそがSFじゃないか…! え、そんなこともない? まぁそうかもしれませんが…とにかく俺にはそう見えたのだ!
とはいえダメ人間の輝きは一時のもの、その輝きを持続できないからダメ人間はダメ人間なのであって、日常に戻ってその後ろ姿を見ればもうあの輝きなど夢としか思えない。そんな切なさ滑稽さ。ダメに生きるということのどうしようもなさと、反面の崇高さ。それが『宇宙探索編集部』という映画に描かれていたように俺には思えたし、中国で若者中心に予想外のヒットを飛ばしたというのも、その無気力な反骨精神のようなものに今の若い層が無意識的に共感した結果なのかもしれない(俺の観た回にも登場人物のコスプレをして鍋を被った中国の若者客がいた)。
そのような映画が俺にとっての『宇宙探索編集部』。人生ろくなことねぇなと思いつつ自分からは何か積極的にやろうとしないようなダメな人たちは必見である。
【ママー!これ買ってー!】
信じる人のどうしようもなさを描いた映画といえば近年の日本にもこのような傑作がある。こちらもダメな人なら必見です。
こんばんは。
よく、こんな映画、日本に持って来たなぁ(感謝)!キャラたちの飄々度合いがたまりませんでした。
先生たちは〝西〟へ向かったから、孫悟空とかが出て来てたのかな?
そうなんですよ、この映画英語タイトルは「Journey to the west」だそうで、監督も西遊記のつもりで編集部の旅を撮ったとパンフのインタビューで言ってました。だから成都に行くと孫悟空の格好をしたキャッチセールスかなんかの男が態度悪くヤンキー座りしてるらしいです笑
いや~ホントに、飄々とした映画で楽しかったですね~
♫ニンニキニキニキ、ニンニキニキニキ、ニシンがサンゾウ
って、ご存知かな?
それはたぶん俺には古すぎて知らないです笑
こちらのブログを読んで、、おぉ、わたしの言いたい事全部です。
観てからまだ3日なのでわたしの感動は続いていますが
自分も歳をとったので、彼のような人間の滑稽さが泣けて泣けて仕方がありませんでした。巡礼の旅でしたね
歳を取れば取るほど味わいと感動と苦笑いが深くなる映画ですよね笑
ほんと、巡礼の旅で、宗教が公式には否定されている現代中国における、信仰についての映画でもあったのかもしれません。だから笑えるんですけど崇高さも感じてしまうんですよね