《推定睡眠時間:15分》
かつては『ゴジラVSスペースゴジラ』みたいな読めば内容が一目瞭然なタイトルをかかげていた超メジャーシリーズの最新作にしてはなかなか掴みどころのないこの『ゴジラ-1』というタイトルについてはゴジラはGだろGのマイナス1はFだからFといえば帝国海軍の核開発計画「F計画」、今回は終戦直後が舞台らしいしそれがゴジラ誕生に絡んでくるのであろう…とか公開前には推理していたのだが観たらFはとくに関係なかった。一体何がマイナス1なのか。観てもよくわからなかったがまああれじゃないかなほら前日譚のことを最近は(※ゼロ年代以降の出来事は俺の中では全て最近です)エピソード0とか言うからそれを捻ってエピソード0をシリーズの原点である初代『ゴジラ』に割り振り、今回はその更に前日譚ということにして『ゴジラ-1』、1954年の東京にゴジラが上陸する初代のリメイクを続編としていつか製作することを前提としたネーミングがこれなんじゃないだろうか。
ちなみにこのタイトル、読みはゴジラマイナスワンなので『ゴジラ-1』と書いているが、正式表記は『ゴジラ-1.0』らしい。仮に初代『ゴジラ』のリメイクを今後製作するとしての話だが、だとすればその間にもう一本続編を挟んで『ゴジラ-0.2(ゴジラマイナスツー)』なんてタイトルを付ける算段じゃああるまいか。『ゴジラ-1.0』『ゴジラ-0.2』、そして『ゴジラ0』(『ゴジラ零』とか候補に挙がってそう)とカウントダウン的に繋がる三部作。今のところ続編情報などはまったくないし実際構想としてはともかく計画としては公開初日の今日の時点では白紙であろうから、まぁ以上のことはすべて「暇なんだな…」と思って読み流してください、ははは。
ところで、由来がわからないのはタイトルだけではなくゴジラもまた今回は由来不明の謎生物。いや、生物なのかどうかも実はよくわからない。これは白組×山崎貴のVFX技術の限界なのかそれとも意図的な演出なのか判断しにくいのだが、なんだか今回のゴジラは近年の他ゴジラ映画と比べて挙動に生物感が乏しいのである。ドシンドシンと銀座の街を踏み荒らすその姿はゼンマイ仕掛けのオモチャを思わせるし、放射能熱線を吐く前に背ビレがガチャンガチャンと機械的な音を立てて一つ一つ規則正しく浮き上がっていくあたりなんかいや変形ロボットかよ! と思わずにはいられない。
これはタイトルのマイナス1=F計画という俺の説を弱々しく裏付けるものであるが(つまりゴジラとは帝国海軍がF計画で開発した核搭載バイオメカ兵器だったのである!)、それは今の時点では根拠無いこと甚だしいのでとりあえず脇に置くとして、この機械っぽさが意図的な演出だとした場合にそれが何を表現しているかといえば、あくまでも比喩的な意味でゴジラの兵器性だろうと思われる。というのも陸上では変形ロボみたいなギミックを出してくる今回のゴジラ、ゴジラ的主戦場の海においては刺々しい背ビレだけ海上に突きだして一直線に泳ぐその姿が、まるで軍艦のように見えるのである。そして監督の山崎貴といえば意外にも大人の映画だった力作『アルキメデスの大戦』で戦艦大和の開発秘録(フィクション)を描いた人なのであった。
『アルキメデスの大戦』で物語の背景になるのは大砲巨艦主義を掲げる平山忠道と航空機を主戦力にすべきと論じる山本五十六の対立だが、この表面的な対立の下にはもうひとつ違う次元の対立があった。それは日本が勝てるか勝てないか、だとすれば戦うべきか戦わないべきか、という根本的な見通しの違いである。『アルキメデスの大戦』は重層的なドラマであり、その物語の先に待ち受ける圧倒的敗戦という現実を知っている観客は、この映画に登場する様々な人物の言動を一面的には評価できない。そのへん書きすぎるとネタバレになってしまい、これはミステリー映画なので公開から数年経過済みとはいえ避けたいところだが、ともかく一つ言えるのは山本五十六が連合艦隊総司令として搭乗することになる戦艦大和の沈没は、山本五十六の暗殺と合わせて日本の遠からぬ敗北を印象づけるモニュメンタルな出来事となったということで、その発想はおそらく『ゴジラ-1』にも受け継がれている。
考えてみればゴジラというのは小回りが利かずバカでかい図体を誇りとんでもない破壊力の「大砲」を装備したまさに大砲巨艦主義を体現するような存在である。戦中のゴジラトラウマからゴジラ征伐に燃える『ゴジラ-1』の主人公(神木隆之介)がパイロットとしての腕は一流だが度胸がない(でもそのおかげで生還した)特攻崩れというのはなんだかたいへんストレートな対比である。ゴジラ撃退作戦に参加したこの主人公がちょこまかとゴジラの鼻先を飛び回って翻弄する姿には山本五十六の戦争構想も滲む…がそれはともかくとして、大砲巨艦主義の体現者ゴジラを敗戦後の日本の民間人有志(まだ自衛隊の前身である警察予備隊は設立されてないのでゴジラと戦う軍隊がない)が倒すというプロットには、庶民の手によって能動的に戦争を終わらせる、という含意があり、ゴジラの破壊はそこにおいて終戦のモニュメントとして機能するのである。
その伏線となるのは特攻崩れの主人公が敗戦を迎えて引き揚げた際にご近所さん(安藤サクラ)から言われる「あんたら兵隊が情けないから負けちまうんだよ!」みたいな罵声であった。せっかく特攻命令ガン無視とかいう逆に当時の若モンとしては勇気あるだろみたいな反逆行動を起こして還ってきたのに喜んでもらえないどころかむしろ怒られる可哀相な神木くんであるが、ご近所さんがこんな心無いことを言うのは自分たちが敗戦したという実感が湧かないからだろう。それはそうだそこに至る道筋を作ったのはなんだかんだ大衆だとしても太平洋戦争の開戦を決めたのは大衆じゃないし、終戦を決めたのもまた大衆じゃない、大本営発表によってリアルな戦況を知らされぬままある日突然すいません負けちゃいましたとだけ玉音放送で言われても、敗戦という出来事を当時の大衆がリアルに受け止めることはできなかったんじゃないだろうか。半藤一利の『昭和史』なんかでも敗戦前後で人々の生活や様子は劇的には変わらなかったと書いてあった。
戦地に出ないまま終戦を迎えた特攻崩れという主人公の設定には、そんな戦後日本大衆のモヤモヤが凝縮されているんじゃないだろうか。生き延びたのはよかったがその実感が湧かない。自分たちが何と戦ってどう負けたのかなんだかよくわからない。だから、心機一転して新しい生活を始めようという気にどうにもなれない。壊れた自分と壊れた日本を作り直すにはもう一度「敗戦」を、今度は軍部や天皇任せではなく自分たち大衆の手で、ちゃんと目に見える形でやり直さなければならない。それが『ゴジラ-1』においてゴジラが東京に襲来する作劇上の理由なんじゃないだろうか。
俺は詳しくないので名前は知らないのだが、ある批評家は初代『ゴジラ』をすっかり戦争を忘れた日本人のもとへトラウマ的に還ってきた英霊と評したそうである。その評を山崎貴もしっかり読んでいると思われるのは物語最終盤にあれがあれにあれする(ネタバレ自主規制)からなのだが、そうとすれば大衆が戦う今回のゴジラとは大砲巨艦主義を身にまとった大日本帝国軍部の亡霊ということになるだろう。敗戦にも東京裁判にも日本の大衆は主体的に関わることができなかったし、関わろうともしなかった。更に言えばその後の自衛隊の創設という再軍備も完全なる政治主導であり、大衆は関与していない。要するに戦後日本を日本の大衆は自分たちで作ることができなかったのである。もしもそのツケが無気力や無関心や消極的な権威主義という民主主義を破壊しかねない気分の形で現代の日本に回ってきているのだとしたら、その根源を改めて問う必要があるだろう。どうもそのような作り手の問題意識が『ゴジラ-1』には透けて見えるような気が、俺にはするのである。
…と、くどくど書き連ねてきたわけですが、娯楽映画としては初代『ゴジラ』を現代風にアレンジしただけみたいなウェルメイドな作りで、最近のゴジラ映画といえば作り手の個性とかゴジラ愛を前面に打ち出した尖ったものが多かったわけですが、こちらは観る人を選ばない観客にやさしい大衆娯楽作。銀座にゴジラが上陸した時に迎え撃ってるあの戦車はなんやねんとか戦後二年のジャパン民草がゴジラ征伐とかいう大事業を立案実行できるわけないだろとか思ったりするのだがー、どうせ怪獣映画なんだしそういう細かいツッコミはしないでいいじゃんみたいな割り切った態度が、人によっては「またいつもの日本映画か!」と映るだろうとしても、俺には結構好感度高し(貴だけに)であった。
いやだってゴジラなんて元々そんな作家性がどうのみたいなシリーズじゃなかったじゃん。盆とか正月に家にいると邪魔な子供をとりあえずどうにかするために親が連れて行く安い娯楽だったわけでしょ、知らんけど。だからこんなもんでいいんだと思うぞ俺は。怪獣映画とか特撮映画にこれといった思い入れのない俺にとって『ゴジラ-1』は(読解の楽しみはあるとしても)ほどほどに面白い程度のよくある邦画メジャー映画に過ぎなかったが、本来は子供が観るものと思えば別にそれで不満もない。いつから怪獣映画は大人向けのアート映画になったんだという感じですよむしろ、最近のインターネットのオタクたちの過剰なゴジラ持ち上げに対しては。君たち子供の映画ばかり観てないでもっとちゃんとした大人の映画を観なさい。アントニオーニとかそういうやつ!
ちなみに個人的な『ゴジマイ』ここ推せポイントはゴジラ征伐作戦を指揮する元軍人の人がめっちゃ軍人顔というところ。もうめっちゃ軍人顔。あまりにも軍人顔。そして昭和の顔。神木隆之介とか浜辺美波とか吉岡秀隆とか演技が悪いとかではないのだが風貌に昭和リアルの感じられない現代顔の役者さんが並ぶ中、ゴジラ征伐作戦の指揮官だけタイムマシンで昭和軍人を拉致してきたんじゃないかという異次元の昭和っぷりであった。
【ママー!これ買ってー!】
俺は山崎貴といえば的にインターネットで語られる山崎貴の初監督作『ジュブナイル』の良さがちっともわからない人なので山崎貴もバカにしていたが『アルキメデスの大戦』を観て心の中で山崎貴さんバカにしててすいませんでしたと謝りました。
いっそ庵野と山崎で合作したらバランスのいい映画になるかも?
公開前の庵野山崎のトークショー(YouTubeにあります)で、庵野の天狗っぷりが露見したので、今回もしシンゴジより興収を上回ったらかなり刺激になるのでは?
二人ともゴジラの出てくるパートだけ撮りたがるからドラマパートの監督がいなくなっちゃいますよ!
観た
指揮官めちゃ軍人顔
むしろああいう役以外できないんじゃないかというくらい昭和の軍人顔
もうあの人に釘付けになっちゃった笑
あと作戦に参加する他の元海軍とかいう面々も頑張って昭和っぽく見える人集めてたよ笑
あの人がめちゃくちゃ昭和だったから他のエキストラ的元軍人たちを見てなかった!配信に来たらそこ中心に見直してみます!
較べれば劣るよ!笑