戦国ロマンを嘲笑え映画『首』(2023)感想文

《推定睡眠時間:0分》

中学生の頃からずっと疑問に思っていたのだがどうして日本人は戦国時代劇とか戦国武将なるものをやたらと美化したがるのだろうか。日本人というか、時代劇なんてどこの国でもそんなものなのかもしれないが、冷静に考えて戦国武将というのは要するに戦争でたくさん人を殺した人のことである。一人殺せば殺人だが戦争で百人殺せば英雄だ、なんてチャップリンの台詞もあるわけだが、俺からすれば人をたくさん殺した人を英雄視するというのはある程度どうかしている。ハマス百人殺したぜなんて言ってハマス戦闘員の生首百個の画像をインスタにアップしたイスラエル兵がいたらさすがに大炎上は必至だろう。

いやいやそれは現代に置き換えて考えているからであって戦国時代は昔のことだから…という反論は一見なるほどと思わされてしまうところもないでもない。戦国時代の日本は統一国家ではなかったわけだから悪いことをしたときの共通の刑罰などもない、そのような乱れた世を正すために武将たちは天下統一を成し遂げようと戦ったのだ…とでも言われればまぁそれもそうかと納得させられてしまうところもないでもない。

しかしである。天下統一とはそもそもなんだろうか? いろんな国が乱立しているとなんかいろいろ面倒だし大変だからということで一個の王様のもと一個の国にまとめようとすることである。あまりにも表現が拙いのはこのさい目をつむっていただくとして、同じようにして乱立するいろんな国を一個の王様のもと一個の国にまとめようとした人がいて、その人はたぶん戦国武将のように英雄視はされず超スーパーウルトラ極悪人扱いされているはずである。その人の名前はアドルフ・ヒトラーという。

もしも天下統一という目的と、それが行われたのがウン百年前だからという理由で、大小様々な武将どもの殺しが許され英雄的行為として扱われるのだとすれば、現在2023年であるが2523年の未来の人々は『大河ドラマ わが闘争』というのを作って、比叡山を焼き討ちした織田信長を現代日本の人たちは偉いとかカッコいいとか言うわけだから、2523年の『大河ドラマ わが闘争』を観た人たちもユダヤ人絶滅しようとしてでも欧州統一を成し遂げようとしたヒトラーかぶき者でカッコいい! と考えるかもしれないではないか。これは俺からすればだいぶグロテスクなことであるし、逆に戦乱の世で貧しく苦しい暮らしを余儀なくされていた農民の視点を無理矢理導入し、その人たちが未来の日本ではキムタクが信長を演じた『レジェンド&バタフライ』を観た人たちが信長カッコいいと顔をほころばせているということを知ったら、果たしてなんと思うかと考えてしまうのである。

というわけで世の中の武将崇拝とか戦国ロマンなるものが俺にはよくわからない。そりゃあまぁ今の時代と戦国時代では倫理観も死生観も学問水準も大幅に異なりもはやマルチバースなのだから戦国武将は極悪人の犯罪者どもだなどと言うつもりはありませんよ。そうではなくて戦国武将は単なる戦争をたくさんやってたくさん人を殺した人たちで、日本にはそのような野蛮きわまりない時代があった、これでいいじゃないですかと俺は思うのである。別に否定も肯定もする必要なく。だって事実だけ取り出せばそうとしか言いようがないのだから。とか言うとなんたら武将はこんな良いこともしてこんな素晴らしいこともしてみたいなことを言ってくるオタクもいるのかもしれないけどさ。

へぇ? じゃあんたの世界観では良いことをすれば人を何百人か殺したって無罪放免ちゅーことになるのですかぁ? だいたいね、戦国時代だからとどうして武将にばかり拘るのよ。知らんけれどもなんかいたろう当時だって学者的な存在が、それもおそらくたくさん。だとしたら人を殺さないで様々な立派な業績を残した人をもっともっと褒めたっていいはずなのである。しかし現実はそうなっていないわけだ。要するに多くの日本人が無自覚的に持つこの戦国ロマンには政治的偏向が織り込まれているわけである。

その偏向の具体的内容はよくわからないが、いずれにしてもそれは「物語」としての歴史であり、「史実」としての歴史ではないことは常に頭の片隅に置いておく必要があるだろう。われわれがふだん大河ドラマとか歴史小説とか広告とかいろんなところで常時浴びているといっても過言ではない歴史とは、実は「史実」としての歴史ではなく歴史の衣装を着た「物語」なのである。こう書いてみると当たり前のことなのだが、その当たり前が当たり前じゃないから武将が大量殺人者であるという事実を誰も語ろうとしないのだ。実にけしからんと思う。

えー、『首』ね。はいはいクビクビ。北野武監督最新作『首』! まだからそんな俺にとってこの映画、たいへん痛快でございました。北野武という人は業界批判・組織批判ものを何度も手掛けている人で、そのターゲットは小説『教祖誕生』では新興宗教、監督作『アウトレイジ』では暴力団、で今回の『首』は武将同盟? 歴史に興味がないので名称わからん察してください。とにかく、有力武将が広域暴力団みたいに固まって作った信長を頂点とするヒエラルキー、そしてそれを通した戦国時代のサムライ社会全体が、ここでは批判対象となる。

自作に自ら出演することの多いたけしは今回信長傘下の羽柴秀吉を演じているが、なぜ秀吉かというところがおそらくこの映画のキモだろう。そのままズバリ最初の方に台詞で言うが「私はど~も根が百姓だから、お侍のことはよくわかりません」てなわけである。信長ほかの武将たちが武将カルチャーにどっぷり浸かって育った武将エリートであるのに対して秀吉は元農民の成り上がり、だから同僚の武将たちの武将的拘りとか武将的名誉とか武将的美学みたいのは全部わからない、頭では理解できても肌では理解できず、単なる割腹自殺を切腹とかいって名誉として捉えるとか、敵大将の首を持ってきたら偉いとか、そういう武将カルチャーが全部バカじゃねぇのそれ何の意味があるんだよって見えるわけです(実際の秀吉がそうかどうかは知りませんし興味もない)

たけしってこれまで組織の中で疲弊する男っていうのを何度も演じてきたじゃないですか。映画版の『教祖誕生』とか『ソナチネ』とか『アウトレイジ』とか。そこでのたけしって弱みを見せたら権力闘争に負けちゃうからずっと虚勢張って強い自分を演じてて、それでもう疲れきって死にたくなっちゃうっていうのが『ソナチネ』とか『アウトレイジ 最終章』ですよね。たぶんそれは『TAKESHIS’』で見せた日本芸能界のトップに立っていることでたけしが感じてるプレッシャーと無縁ではなくて…いや、俺はそう理解してるんですけど。

だけど今回そこから降りた。羽柴秀吉は一応織田信長に仕えてますけど単に出世できそうだからとか金になりそうだからみたいな感じで仕えてるだけで、その精神を理解する気は一切ない。だからこの映画でのたけし秀吉、弟役の大森南朋と参謀・黒田官兵衛役の浅野忠信とおそらくアドリブ的なコントばかりやってる。そうやって武将カルチャーが外から見たらいかにアホらしく非常識か嗤ってる。ケッなんでぇおめぇら、口では立派なことを言ってるが所詮は金と権力が欲しいだけじゃねぇか。ご立派な服なんか着てやがるがやってることは単なる戦争と人殺しじゃねぇか。偉そうにしてんじゃねぇや!

…とまぁ、そのような具合。けれどもたけし秀吉も武将カルチャーの中に入っていないからマシな人間というわけではなく、この人は自分も金と権力のために平気で人殺しをする人非人なのです。武将カルチャーの中の人間と外の人間が違うのは体裁を取り繕うか繕わないかというその一点だけ。ま、要するにヤクザと半グレの違いみたいなものですな。戦国ロマン批判の映画でありつつ庶民(男)の卑しさもきっちり描いているのだからエライ。木村祐一演じる抜け忍の密使とその手下のサムライなりたいバカ(中村獅童)がこの映画の庶民代表、密使は機を見るに敏で武将どものイザコザを利用して小銭稼ぎすることしか頭にない、サムライなりたいバカは人も斬れないのにやたら首を欲しがってそのために友人を殺してしまい罪悪感に苛まされ続ける。武将どもに向ける眼差しの半笑い的な冷たさに比べれば、しかし密使やサムライなりたいバカに向けるたけしの眼差しはぬくい(多少は、だが)。余談になるがサムライなりたいバカの中村獅童とその農民友人・津田寛治のコンビは中島貞夫の東映実録路線代表作『沖縄やくざ戦争』に登場した渡瀬恒彦と尾藤イサオのコンビを参照したものではないか。『3-4×10月』の柳ユーレイとダンカンのコンビもそんな感じがしたし…俺好きなんですよ、『沖縄やくざ戦争』。

さてさて首、首とはなにか。首とは武勲を表すもの、首とは権力を表すもの、首とは…とくに何も表さない人体の一部。脳みそとか眼球とか入ってる。そんなものを我先に奪い合ってどうするんですかねぇ。首で『スプラトゥーン3』できるんなら首欲しいけどできないわけでしょー。えーじゃあ首いらないわーPROコンのが欲しいわー。見え透いたAmazonアフィリエイト誘導はともかく、首狩り合戦のくだらなさをネタにしたラストは芸人違いだが「志村うしろ!」感というか、「殿! 目の前!」という感じでなかなか笑えましたな。

にしてもそんなところで終わるのかよと思ったよ。たけし流の本能寺の変というからそこがクライマックスかと思ったら本能寺の変のあとも主役を変えて物語はダラダラ続く。そしてなんのケリもついていないようなところで投げやり気味に終わってしまう。その点には否定的な感想も多いようだが、俺は一度始まった暴力は終わりがないということを言いたいがための意図的なダラダラなんだと思ったな。そう、一度暴力を行使したらもう後には引けない。暴力は暴力を呼んでその暴力がまた暴力を呼ぶ。シリア戦争は終わっただろうか? ウクライナ戦争は終わっただろうか? イスラエルーハマス戦争は? 暴力は、一度作動すると止められない。止められないとまでは言わずとも、それがきわめて困難なことは現今の世界情勢を見れば誰でもわかる。

サムライなりたいバカの中村獅童は殺してしまった友人の津田寛治の亡霊が頭から離れない。明智光秀と織田信長をハメた(エロい意味ではないぞ)羽柴秀吉は自分もそのうち消されるのではないかと秘かに怯え続けることになる。他者に暴力を行使するとは、他者の形をした自分に暴力を行使するということなのだ。その意味では反戦映画とも言えるのかもしれませんな。合戦はエキストラも大動員してスケールこそ大きいが活劇的な見せ場は皆無に等しい。描かれるのは合戦という「暴力」の楽しさではなく、暴力の結果として積み上がる大量の死体、そして首、首、首である。

その無機的な死体絵図はなかなか見事なのだがー、まぁそれは置いておくとして、この徹底的な暴力の虚しさを現在の戦乱の世においてスクリーンで観るというのは、たぶんとても有意義な体験になるのではないかと思う。おもしろい映画でしたね、『首』。

※それはそれとして織田信長を演じた加瀬亮の田舎のチンピラ芝居がケッサクで何か言う度にニヤニヤしちゃってた。『レジェンド&バタフライ』の荒々しくもスマートなキムタク信長とは大違い!

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りゅぬぁってゃ
りゅぬぁってゃ
2023年11月26日 10:52 AM

北野武で「応仁の乱」の映画化しないかな?
御霊林の戦い以降はダイジェストになりそうだけど。

りゅぬぁってゃ
りゅぬぁってゃ
Reply to  さわだ
2023年11月27日 1:17 AM

足利義政、将軍になるも家臣が身勝手で圧力をかける奴ばかりだから早々と情熱を失い隠居宣言。今度は後継者問題となり息子(&妻)VS弟、双方を煽る家臣どもの内乱になる。
10年後、家臣のリーダー格がそれぞれ病死したためやっと内乱が終わるも、しばらくして息子も死亡。
義政はそれを聞いてショック死。こうして足利幕府は一気に弱体化して戦国の乱世の幕開けとなった。

って感じで「みんな死んだから無意味な争いでした」って感じになります。

りゅぬぁってゃ
りゅぬぁってゃ
Reply to  さわだ
2023年11月27日 7:28 AM

10年の内乱の中で日和見主義な家臣がコロコロ鞍替えするため、人物相関図がややこしくなります。それも踏まえて途中ダイジェストにした方がいいかな と思いました。

匿名さん
匿名さん
2023年11月26日 9:00 PM

>で今回の『首』は武将同盟? 歴史に興味がないので名称わからん察してください。
家臣団……とかですかね…

匿名さん
匿名さん
2023年11月27日 1:30 AM

良かったですね〜あの戦国ゲームから降りられないイヤ感
頂点であるはずの信長も薄々「これはクソゲーなんじゃないか」と能か何か見てるシーンのセリフで感じましたね
秀吉チームのふざけっぷりも良かったし光秀の狂気も良きで…

匿名さん
匿名さん
2023年11月29日 12:29 AM

作中の武将同士の性愛が結局は権力や保身の上に成り立つものだとすると…
会見時のたけしの「ジャニー喜多川です」はがぜん深淵な意味を帯びてくるかも…しれない…

鮮度抜群
鮮度抜群
2023年12月1日 10:35 AM

私は戦国時代について色々調べていた時期があり、その結果、にわかさんの戦国時代・戦国武将に対する考え方と同じスタンスになりました。
普通に野蛮な暗黒時代でヤバい奴がとんでもないことやりまくってた時代です、という感じで…。
そのため「首」も見ていてある種の爽快感がありました。「そうそう、戦国時代ってやたら美化されてるけどこんなものだよな〜」みたいな。

鮮度抜群
鮮度抜群
Reply to  鮮度抜群
2023年12月1日 10:41 AM

戦国時代崇拝の象徴とも言える織田信長を、なんとなく猿っぽさすら感じるかっこよくなさで描いたのもとても良いなと思いました。

匿名さん
匿名さん
2024年6月20日 9:19 PM

ものすごい今更の気づきですが筒井康隆の「出世の首」からの影響というかオマージュもありそうですね

匿名さん
匿名さん
Reply to  さわだ
2024年6月21日 3:53 PM

かなり短い短編なんですが、大河ドラマの出番を待つ足軽GとHが「侍大将の役ぐらいは欲しいよなあ」とぼやいてるうちに合戦シーンの撮影へ
虚実乱れて見事足軽Gは侍大将を討ち取って「これで俺も侍大将だ!」と喜んで首を見せると足軽Hが…
という話です