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なんでもかんでもリブートだリメイクだオリジナル版出演の役者さん呼んでサプライズだという近年のアメリカン・ホラーの創意のなさにはこれがかつてのホラー映画大国かと悲しくなる。そんな中では貴重なミドルバジェットのオリジナル作といえるのがジェームズ・ワンの『死霊館』、周知の通りこの映画は大ヒットを記録してフランチャイズ化されると同時に悪魔憑き映画ブームを巻き起こし、日本でも話題を呼んだ『ヴァチカンのエクソシスト』や『テイキング・オブ・デボラ・ローガン』など様々な作品が作られることとなったわけだが…この風潮にも正直げんなりである。
なにも悪魔憑き映画が嫌いというわけではないし『ダーク・アンド・ウィケッド』などは実に意地の悪い佳作で好きなのだが、派手な見せ場テンコ盛りの『死霊館』シリーズに関しては面白いは面白いがこんなの全然怖くないのでホラーというよりアクション映画だと思うし、その二匹目のドジョウを狙う悪魔憑き映画もジャンプスケアの安易な多用や終盤のジャンプ漫画的バトルが定番化してしまって「またか」と思う。それはまぁたしかにジャンル映画に関しては「またか」が観たくて映画館に通ってるようなところもあるにはあるが、曲がりなりにもホラーならばちゃんと観客を怖がらせようとしてほしいし、怖さよりも爽快感とか話題性を優先するようなホラー映画というのは個人的にあまり好きではない。
というわけで新生『ハロウィン』三部作を手掛けたばかりのデヴィッド・ゴードン・グリーンが大して面白くないが話題性には長けた映画ばかりを連発するブラムハウスとタッグを組んであの悪魔憑き映画の金字塔『エクソシスト』の続編を監督するらしいという映画ニュースを見たときにはもうまったく失笑もの、やれやれついにネタが尽きて『エクソシスト』にまで手を出しちゃったよ、しかもデヴィッド・ゴードン・グリーンとブラムハウスで! まったく世も末だないいですいいですしょうもない映画になることはわかってますから好きにやってくださいどうぞどうぞご自由に。観ねぇけどな! と思ったものであった。
だが、しかし。案の定こころの中の前言をきっちり撤回してなんかホラー映画のあたらしいのやってるから観に行くかときわめて雑な態度で映画館に入ったこの『エクソシスト 信じる者』、もちろん地に落ちたどころではなく地中数メートルの深さに埋まったマイナスハードルによるギャップ効果もあることは間違いないが、こ、怖かった…久しぶりに悪魔憑き映画でちゃんと怖い映画になっていた…いや、それだけではない…これは『エクソシスト』じゃないか…『死霊館』フォロワーの例の安易な悪魔憑きバラエティ映画ではなく…しっかりと『エクソシスト4』になっているではないか!
感動した。この映画は本気だ。本気で『エクソシスト』をやろうとしている。ジャンプスケアも(ほぼ)ないしジャンプ漫画的バトルもない。一見なんでもない日常風景に潜む心をかき乱すなにかを的確に捉えて積み重ね、比較的長めのカットで何かが起こる予感を静かにかき立てる一方で大胆な省略を行う編集は観る者の調子を狂わせて不穏な印象を抱かせる、オリジナル版を踏襲したサブリミナル演出のここぞというところでの限定的な使用も効果的だ。お馴染みのテーマ曲『チューブラー・ベルズ』の使い方も慎ましく、そんなものに頼らずともというか、オリジナルに敬意を払えばこそ安易に『チューブラー・ベルズ』に頼るべきではないという作り手の覚悟さえ行間に見えた。
そもそも『チューブラー・ベルズ』だけではなく劇伴の使用自体がとても少ないこの映画である。昨今のアメリカン・ホラーといえば随所で流行りのヒップホップか80年代ニューウォーブの曲かなんか流して観客のおっこの曲知ってるぞで興味を惹くという他力本願が当たり前になってしまってそれに関しても「いやオリジナル曲で勝負しろや!」とお怒りの俺なので、キャッチーな要素などなくても構わない、自分たちはあくまでも怖い映画を、怖い『エクソシスト』を作っているのだと言わんばかりの静かで丁寧な音楽演出には実にグッときてしまう。有名なスパイダー・ウォークも劇場公開版ではカットされ、後続作と異なり(それはそれで大好きですが)ニューシネマの色彩濃い静かな映画だった『エクソシスト』のあの恐怖がちゃんとここにはあったよ。他に近い映画を探せば黒沢清のホラーとも結構似ているかもしれない。
新生『ハロウィン』三部作が決して出来は悪くないとしても全体としてはパッとしない映画であったものだからふんそれを作ったデヴィッド・ゴードン・グリーンなどになにができると傲慢にも思っていたが、そうかーそういうことだったかー。とくに『ハロウィン THE END』がそうなのだが、あれはこの映画のための習作のようなものだったか。『ハロウィン THE END』では誰しもの心の中に潜む悪が殺人鬼マイケル・マイヤースの正体ということになり、これは初代『ハロウィン』に加えて『ハロウィン6』の諸般の事情により劇場未公開となった原脚本に基づくオリジナル版で前景化したテーマを発展させたものだが、完全にマイケル・マイヤースその人が出てこないわけでもないのでシリーズ一応の最終作(※今度ドラマシリーズ化が予定されているらしい)にしてはどうにも中途半端な印象を受けたのだった。
察するにそこでデヴィッド・ゴードン・グリーンの念頭にあったのは『エクソシスト』ないしその中で描かれた悪魔パズズなのだろう。今度はマイケル・マイヤースを一応出さなければいけないという制約もなく心の中に巣くう悪=悪魔とそれに翻弄される親たちの闘いに物語を絞った。闘いといってもこの映画の主人公、この人は妻を亡くして一人で小学生ぐらいの娘を育てるシングルファーザーの写真家なのだが、彼は一般人なのでなにか積極的な行動に出たりはしない。というかぶっちゃけ何もしない。お願いしますどうにか娘を助けて下さいと教会に集う近所の人たちとかにお願いはするしカトリック神父だけではなく藁にも縋る思いでアフリカ呪術をやってる人にも悪魔祓いをお願いする。しかしこの父親自身は悪魔祓いの場で何もしないしできない。だいたい相手は心の中に巣くう悪なのだから倒すといってもどうやって…なのだ。
その無力感がイイ。恐ろしい存在に対して自分は何もできないという無力感こそ恐怖の源泉なのじゃないかと思えば、こんなにホラー映画らしいホラー映画をアメリカの映画で観たのは本当に久しぶりのことだ。あ、『ダーク・アンド・ウィケッド』とか『ヘレディタリー』がありましたね。まぁでも、シネコンで上映されるホラーとしてはかなり久しぶり。『ダーク・アンド・ウィケッド』も『ヘレディタリー』もミニシアター映画だったので。人間は悪魔を倒せないというこの諦念。『エクソシスト 信じる者』では悪魔憑きの原因もオリジナル同様によくわからず、その結末もほとんど悪魔の完全勝利といってよいほど皮肉にみちた苦々しいもの、こうなるともはや悪魔なるものは運命のようなもので、いくら抵抗しようがいずれ人間はその存在を受け入れて敗北するしかない。どちらかといえばこれは死神の概念だろう。
堂々たる『エクソシスト4』でありながら運命に対する人間の無力を死神の哄笑を響かせながら描くという点でイングマール・ベルイマンの死神映画『第七の封印』の世界に到達せんとする『エクソシスト 信じる者』である(実際に到達してるかどうかはともかく)。いやはやいやはや、もはや最近のアメリカンホラーに希望なしとまで数日前まで思っていたが、腐ってもホラー映画大国アメリカ、これは見事なものですなぁ。売れてる役者もわかりやすい恐怖描写も派手なバトルもファンアート要素とかもないのでぶっちゃけヒットしないでしょうが、俺はこの映画、近年の悪魔憑き映画としては世界的にもかなりベスト寄りの一本だと思います!
何で悪魔憑きを二人にしたんだろ?ピントがぼけるだけじゃないのか、と思ってみていたのですが、クライマックスで成程、それで!と膝を打つくらいには良かったのですが、プロットに対し人物の追い込みが淡白に見える点が私はどうしても気になってしまいました。ところで最初の「エクソシスト」自体はともかくあれを撮った後でフリードキンは「あれ、悪魔いなかったらどうだろ?」って考えて撮ったようにしか見えない同監督の「ランページ 裁かれた狂気」って見てますか?。残念ながら未DVD化作品ですが…
この監督は怖いシチュエーションを作るのは上手いんですけど、たしかにそこに至るまでの過程は弱かったりしますよね。俺だったらもっと白人夫婦の描写を足して、最初は接点のなかった夫婦と主人公が共に子供を心配する親同士共感し助け合うようになり、イイ関係性になったところでラストのあの選択に持っていく笑
そうじゃないと、「よかったね」の結末にも見えてしまうので、それはよくないですよね。
『ランページ』、観てません!観たいですねぇ…フリードキンてあんまりソフト化されないんですよね…『ガーディアン』とかもフリードキン版の『死霊のはらわた』みたいで好きなんですけど…