反逆者を讃えよ映画『ナポレオン 劇場公開版』(2023)感想文

《推定睡眠時間:100分》

冒頭、マリー・アントワネットがギロチンにかけられる場面で刑吏がアントワネットの頭をギロチンに固定しようと固定具を降ろすが建て付けが悪いのかスムーズに降りず何度か力を込めて無理矢理ガッガッてはめるところでおおこういうディテールがしっかりしている映画はイイ映画だ、その後の共和制を樹立するも死刑投獄どんと来いの恐怖政治による権力維持が批判されみんなに殺されそうになった権力者なんとかかんとかさん(※世界史がまったくわからない)がどうせ死ぬならばと拳銃自殺を遂げようとするも頬に穴が開いただけで終わりその銃創に反この人派の誰かが指を突っ込みイテテとなる場面もなかなかシビれる悪趣味で、これは傑作かと期待が高まるも、そうしたフランス革命の動きにまったく興味がないナポレオンが主人公の映画だったので、やれやれ大衆はバカだなぁという感じでその後はナポレオンが各地で戦争を指揮するシーンばかりになり、寝ても覚めても戦争戦争戦争戦争あいまあいまに妻への手紙と妻からの手紙とかいう淡泊な構成に、そもそもリドリー・スコットの歴史ものはいつもこんな感じで面白くないが、やっぱりこれも面白くないのだった。

今回劇場公開されたのは2時間30分バージョンでAppleTV製作のこの映画は配信では4時間ぐらいの尺になるということで、4時間を念頭に置いて書いた脚本を半分程度にまで削られたら脚本家としてはそこに込めた意図もクソもあったもんじゃないだろファッキン! という気持ちなのではないかと思われるが、なんかでも劇場公開版でこの感じなら4時間のフルバージョンもあんまり面白くない気がしてきた。『ゲティ家の身代金』『エイリアン:コヴェナント』などの近作でとくに顕著なのだがリドスコは本当に大衆に興味がない。愚鈍大衆の世界から抜け出す反逆者には強い共感を寄せて主人公に据えるのだが、反逆を志向しない庶民どもなど単なる動く背景にすぎず、この映画ではフランス革命で右へ左へぐわんぐわん揺れ動く大衆がまるで昆虫のように描かれている。

ところが俺が(そしておそらくは多くのリドスコ映画好きが)リドスコ映画で面白く感じているのはそこなのであった。どうもリドスコ本人は反逆者の姿を際立たせるためにその背景として大衆世界を作り込んでいる気配なのだが、『ブレードランナー』最大の魅力は反逆者ロイ・バッティもさることながらやはりその背景となる近未来ロサンゼルスの大衆世界であり、その点おそらく観客の求めるものとニーチェの言葉も谺するリドスコの志向はズレている。

『エイリアン:コヴェナント』など俺はたいへん面白く観たものだったがそれはリドスコの人間扱いの冷たさが残酷ギャグの粋に達しているように見えたからで、人間よりも優れた存在としてリドスコが描き出すアンドロイドの創世神話のようなこの映画は、人間ドラマならぬアンドロイド・ドラマに注力するあまりそれ以外の部分がわりとどうでもいい感じになっていたので、観客に不評だったというのもむべなるかなであった。

その意味でこの『ナポレオン』は史劇版の『エイリアン:コヴェナント』と言えないでもないかもしれない。リドスコが関心を向けるのは感情的で日和見的で目先のことしか考えられない愚鈍大衆に背を向けて、たったひとり大胆な戦術で数々の武勲を立てていくも、大衆にはその偉大さが結局理解されることなく孤独に散っていった、なんだかアンドロイドのように無感情で超然とした時代の反逆者ナポレオンその人以外にはない。

それは劇場公開版の話で配信版ではナポレオンの妻もまた時代の反逆児として大きくクロースアップされるのではないかと前作『ハウス・オブ・グッチ』および前々作『最後の決闘裁判』からすれば考えられるのだが、まぁ、それはだからリドスコの趣味であって、そういうヒロイックなものと波長が合う人はこの劇場公開版も配信版も楽しめるとは思いますが、俺みたいな愚鈍大衆の汚らしく惨めな世界こそが観たいんだよ殊に史劇みたいな野蛮時代を描く映画では! という人は劇場公開版も配信版も等しくつまらないんじゃないだろうか。配信版では多少はナポレオンの生きた時代の背景活人画として愚鈍大衆シーンも増強されているとは思いますが。

とまぁそんなリドスコ版『ナポレオン』。合戦シーンは絵面がどれも似たような感じなので飽きてくるところはあるとはいえ美しく迫力満点、そういうのが好きな人には刺さるのではないかと思われるが、大規模戦闘を俯瞰的に見せられると寝ちゃう派の俺としてはそこもあんまり面白く感じられず、ドカンドカンと大砲だか銃だか知らないが火薬系の大きな音とか鉄のカチンカチンという音がアンビエント・ミュージックの如く心地よく単調に響き続ける合戦シーンなどとても起きて観ていられなかった。

局地戦とか狙撃戦とか規模の小さい戦闘シーンは大好きなので不思議な気もするが、たぶん大規模戦闘だと兵士一人一人の生死なんかどうでもよくなっちゃうので、迫力はあっても戦闘に緊張感が感じられないからだろう。それはこの映画に限らず近年のリドスコ映画のほとんどにも言えるかもしれない。迫力はあっても緊張感がない。ヒロイックな反逆者以外の人間なんぞ死のうが生きようがどうでもいいわという独善とニヒリズムから生じるその空虚さは、とはいえそれはそれで奇妙な魅力を放ってもいるのだが。

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