《推定睡眠時間:20分》
ファーストシーンはいかにも怪しい山奥の洋館、家宅捜索令状を持った刑事たちがそこに足を踏み入れると目に飛び込んできたのは奇怪な手術器具とその前で絵本を読む子供、謎の女、そしてドラム缶にホルマリン漬けにされた大量の小児の死体。「ある森に怪物の木こりがおりました…」メスを手にした謎の女は子供を人質に取るが、警官隊に取り囲まれて逃げられる見込みはない。女はメスを自らの喉元に当てる。「やめろ!」刑事は叫ぶ。だが、血がぶしゃああああああ。
タイトルを挟んでシーンが変わると今度は蛇のようにくねった山道を猛スピードの車で飛ばす主人公の弁護士・亀梨和也。さっきの続きかな、よくわからんが例の事件の主犯か何かなのかなこの人は、とぼやぼや思っていると後ろからこちらも猛スピードで追いかけてくる車が一台。くねる道をひた走る追う者と追われる者を真上からの俯瞰撮影(撮影というかCGなのだろうが)で捉えたその図はまさに蛇の道は蛇。どうやら亀梨を追っていた何者かは彼のディープな秘密を思いがけず握ってしまい、これ幸いと強請ろうとしていたようなのだが、追われていたはずの亀梨が突然車を止めて車道に棒立ちという自殺行為に出たため動転した脅迫者はハンドルを誤り車横転、そのまま亀梨に首を切り裂かれて殺されてしまうのであった。
はたして何が起こっているのか。この亀梨、脅迫者、そして洋館の女と小児の死体とはなんだったのか。シャープなショットを積み重ねて説明なく暴力的に(といっても以前に比べれば大人しいものだ)観客を映画に引きずり込む監督・三池崇史お得意の手法にちょっと嬉しくなってしまった。というのもここ数年の三池崇史の監督仕事は主に子供向け作品であり、『ガールズ戦士』シリーズおよびその映画版にしても、あのつまらなかった『妖怪大戦争』まさかの続編『妖怪大戦争 ガーディアンズ』にしても、おそらくは子供観客でも理解できるように、こうした尖った編集や演出は取っていなかったからだ。
たとえば家の外に全身黒ずくめの男が立っていて家を見つめているというショットがあるとする。そしてその次に同じ男が部屋の中を乱暴に漁っているというショットを繋ぐとする。大人の観客なら説明されずともこのモンタージュが意味することを理解できることだろう。つまりその男は泥棒であり、その家に泥棒に入ったのだ。けれども子供はそうとはいかない。大人がこの二つのショットを見ただけで「あ、泥棒だ」とわかるのはその間に本来あるはずの様々な場面を超スピードで想像してショットAとショットBの間を補完しているからで、そのために必要な知識と経験の積み重ねが子供にはないのだ。
だから子供向けコンテンツではシーンの省略は基本的に行わない。上の例で言えば、泥棒が窓を回って家に侵入するというショットを二つのショットの間に挟んで男がその家に侵入したと明確にし、そしてたぶん「今月も大好きなたいやきを5000個食べちゃったからお金がないなぁ。なにか盗んでたいやきと物々交換してもらお」みたいな泥棒男の説明台詞が入るんじゃないだろうか。三池崇史が『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! ~映画になってちょーだいします~』とか『妖怪大戦争 ガーディアンズ』でやっていた映画作りというのはそういうものだったんである。
『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! ~映画になってちょーだいします~』などは三池らしい遊び心に溢れてなかなか幸せになれる楽しい映画だったのだが、とはいえ『DEAD OR ALIVE 犯罪者』とか『殺し屋1』とかのあの荒々しく過剰で奇想天外、説明もなく省略しまくりで何がなんだかわからないがやたら血が吹き出て人が死んでるから大変なことが起こっているらしい…というパンキッシュな三池映画に翻弄されながらも魅了されてしまった身としてはこれはちょっと寂しい。そんなところへ今回の『怪物の木こり』のなんやわけわからんが勢いはある導入部というわけでおおこれは久々にあの三池だな! となったわけだが、残念それはわりと序盤で終わってしまって以降は観客を置いてけぼりにすることのないウェルメイドなミステリーとして展開するのであった。こっちは置いてけぼりにしてほしいのに!
まぁサイコパスVS連続殺人鬼とかいうアオリはウソではないウソなのでそれを期待すると肩透かし感がすごいのは確かだが、多少の雑なSF設定にさえ目をつむればミステリーとしてわりと面白い、そもそも本編前にワーナーブラザースの給水塔ロゴが画面に出た時点でこれはダメなやつだなと思ってるので(※ワーナーブラザース配給の邦画に良い思い出が1個もない)、ワーナーブラザースの邦画としては力作の部類なんじゃないだろうか。三池映画といっても監督作が100本以上ある職人監督なので「これがないと三池映画じゃない!」みたいなのも偏った見方というか、逆にそれは三池映画を観てないんじゃないですかという感じになる。三池崇史のメジャー向け職人仕事ってことで、べた褒めする気にもなれないが、といって悪い映画でもないという『怪物の木こり』であった。
※でも自分で書いた脚本でもないのに普通に生きたくても普通に生きられない人の悲しみをテーマにしているあたりは職人仕事とはいえしっかり三池崇史の刻印、暴力の前にある間の取り方もキマっているし、三池崇史といえば男の色気をカメラに収めるのがうまい監督だが、ここでも亀梨和也の色気は異常。そう考えるとやはり派手さはないがなかなかよくできた三池映画である。