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場所は明示されないし東京都内に住んでいる人が首都高で渋谷区に出勤という時点でこの映画の作り手が具体的な場所を想定していないのは明白だが、役所広司演じる主人公の渋谷区公衆トイレ清掃人はスカイツリーが比較的大きく見える築50年超えと思われる木造一軒家に住んでいる。ではそれはどこなのかとあえて考えてみるに、体感でいえばあれだけスカイツリーが大きく見えるのは1km圏内かもっと狭いかもしれない。今確認したところによると錦糸町駅からスカイツリーのお膝元押上駅までが1.4km。錦糸町駅から見えるスカイツリーはあれほどでかくはない。
築年数の経過した木造家屋とはいえ一軒家ならば風呂がないということは基本的にないと思うのだが、役所広司の日課は仕事が終わった後の銭湯通い。この銭湯は具体名が出てくる。墨田区曳舟の電気湯である。更に、一軒家ならば洗濯機を置く場所がないということはないと思うのだが、役所広司は週に一回コインランドリーで洗濯をしている。こちらも店舗が明示され、ここは墨田区押上の銭湯さくら湯付属のコインランドリーであった。なぜ電気湯近くのコインランドリーを利用しないのかというのはまぁ一応理由が仄めかされるのでそれは不問に付すとして、どうやら曳舟と押上のあいだぐらいに役所広司の家はあるらしい。
ここから役所広司は風呂上がりにママチャリで浅草地下街に向かう。道的にはまぁ一直線で押上駅南側から浅草通りを進んで吾妻橋を渡るだけだが、役所広司は浅草地下街の飲み屋で一杯やるだけで他になにもせずに帰ってしまうので、それなら押上にも良い飲み屋はあるだろうし、少し栄えているところに出たければ錦糸町の方が近いのでは…とも思うが、前に住んでた家が浅草近くにあってその頃からの常連とかそういうこともあるかもしれない。
それにしてもである。電気湯を悪く言うつもりはないのだが、どうせコインランドリーに行くのなら風呂もさくら湯で入っちゃえばいいのにと思う。六角柱に配置されたラウンド型のカランが独特なさくら湯はジェットや水中足踏みなど様々な仕掛けの施された数種類の通常湯に加えて細かい気泡で白く濁って牛乳風呂のような肌触りのマイクロバブル風呂、サウナに水風呂も備えている。内装の工夫によって敷地面積はそれほど広くないにもかかわらず下町銭湯らしからぬ開放感があり、ロビーに置かれた大きな水槽の熱帯魚やイソギンチャクもまた魅力のひとつである。
押上銭湯といえば忘れてはならないのがこの地域を代表する名湯・大黒湯。銭湯では珍しいオールナイト営業を行っているこちらは種類豊富な室内風呂も楽しいが、やはりなんといっても温泉顔負けの露天岩風呂(男女日替わり)が素晴らしい。露天岩風呂の横にある階段を上がるとビーチチェアやハンモックの置かれたリラックスコーナーになっており、露天岩風呂で火照った身体を横になって夜風で冷やしているとあまりの気持ちよさについつい眠り込んでしまう。風邪をひかないように各自注意されたい。
大黒湯から更に南下し錦糸町方面に向かうと数年前に大幅にリニューアルして生まれ変わった黄金湯がある。以前の黄金湯はそれこそ劇中の電気湯のようないかにもな下町銭湯だったのだが、リニューアル後は湯船の種類が増えただけに留まらずバーやDJブースを併設するなどサウナも超えてもはや小さな健康ランドと言って良いほどで、その変貌っぷりには驚いたものだった。他方、大黒湯から西に向かってチャリでだいたい8分ぐらいのところにあるのは御谷湯、都内銭湯特集などが雑誌で組まれるとよく取り上げられるタワー型の銭湯で、名物は日替わりのうす暗ぬる湯。湯に浸かっていると半瞑想状態に陥り何十分でも入っていられるが、迷惑になるので長居はやめよう。こちらは脱衣所・浴室・ロビーともに高級感のある内装も特徴的である。
以上押上駅南側の銭湯を書いてきたが押上駅の北西側、駅を出て真ん前には薬師湯という下町銭湯もある。フルーツ湯やコーヒー湯といった一見ゲテモノ系の日替わり湯が面白いこの銭湯には今もあるかどうかはわからないが俺が数年前に行った時にはたしかボンバーマンの筐体がロビーに置いてあったので、銭湯ファンだけではなく駄菓子屋や街角ゲームセンターなどのレトロカルチャー好きも要チェック。というかそもそも役所広司は渋谷区内の公衆トイレ清掃の後に銭湯に行くわけだが、それなら渋谷にもスーパー銭湯感覚で楽しめる清水湯、改良湯、そして『探偵ナイトスクープ』で言うところのパラダイス味のある大黒湯(渋谷)などがあるわけだから、お風呂セットを車に乗っけて仕事上がり直でついでに入ってくればいいんじゃないだろうか。
『PERFECT DAYS』の感想をGoogleとかで検索してこの記事に辿り着いた人ならお前はいったい何を長々と書いているんだと確実に思われるであろうが、何が言いたいかといえば、この映画は少し銭湯通いというものを記号的に描きすぎじゃあないかということであった。もし劇中の役所広司のような人の生活をリアルとは言わずとも映画的に真に迫ったものにしようとするなら、多彩な銭湯を擁する押上の住人なのだから、日によって行く銭湯を変えるぐらいのことはやってもいいはずである。ところがこの映画はそれをしない。今の都内銭湯は店主も代替わりしたりして各店様々な工夫を凝らしていてとても楽しいのだが、作り手はいかにもな下町銭湯の風景を一つ出すだけで何か満足してしまっているように見える。
それは何も銭湯だけの話じゃあない。役所広司は渋谷区の公衆トイレ清掃員だが、そのトイレにはトイレットペーパーの切れ端がちょいちょい落ちていたり空き缶が放置されたりしているだけで、便器にこびついたウンコはおろか床に垂れた小便すらない。これはちょっと考えられない話であるし、俺は公衆トイレ清掃をやったことがないのでこの点はもしかしたら実際にそうなのかもしれないが、役所広司が頑なにバッテリー式の掃除機がけをしないのもわからない。
一般論としてトイレ掃除の順序は掃除機がけ→モップ水拭き→便器拭きではないか? だってそうしないとモップはすぐ陰毛とか髪の毛とか埃が絡んで汚くなってしまう。ここにも、公衆トイレ清掃を単なる記号として用いて、その実際には関心のないサマが見て取れる。役所広司が丁寧に仕事をやっていることの表現として洗面台前の鏡を上まで拭いている描写があるが、これも一般論としてだが、水痕が残ってしまうので鏡は汚れたところだけ拭くというのが逆にトイレ清掃における丁寧な仕事ではないかと思う。
俺は劇中の役所広司の家からまぁまぁ遠くないところにある風呂なしトイレ共同(和式)の木造貧乏アパート六畳一間家賃3万で20代を過ごしたオフィス清掃バイトの人間なので、それぐらい言っても何様だと怒られることもないと思うのだが、果たしてこの映画の監督ヴィム・ヴェンダースが押上貧乏木造住宅暮らしの渋谷区トイレ清掃員・役所広司を真に迫った存在として描けていたかというと、結構全然じゃないだろうか。っていうか役所広司だけではなく映画そのものがまったく真に迫ってないんじゃないだろうか。
役所広司の同僚の柄本時生のとても見ていられない大袈裟な芝居と台詞回しはこの人の力量を思えばヴェンダースが日本語わかんないから適切な演出がつけられなかったとしか思えないし、彼が思いを寄せるおそらくデリヘル嬢は金髪ボブに真っ赤なルージュとかいう「これがコールガールです」な失笑もののビジュアルで、俺はデリヘルは利用したことはないが、今まで利用した風俗でそんな格好をした人は一人も見たことがない(むしろいて欲しい。好きなので)
とにかくすべてがそんな調子なのだ。トイレ清掃員という記号、軽薄な若者という記号、コールガールという記号、下町銭湯という記号、家出娘という記号、『ブレードランナー』的な日本の飲み屋という記号…この映画には記号しかない。記号と記号が合わさってできるパズルのような風景しかない。中身がなさ過ぎるがために逆に面白く観ることはできたけれども、曲がりなりにも名匠として知られる監督の最新作がこれで、こんな程度の映画に主演した人がカンヌなんちゃら賞云々という事実には少なからずガクッともしくはズルッとさせられる。
これは完全に俺の妄想だが、日独合作のこの映画、もしかして東京側チームの出してきた協賛などの都合による「ここでロケしてください」リストをヴェンダースがよく吟味せず自分では取材もろくにせず撮影に入った、雇われやっつけ的な仕事だったんじゃないだろうか。少しでも東京の公衆トイレをロケハンすれば(東京じゃなくてもいいと思うが)、あるいは公衆トイレ清掃人に取材すれば、便器にウンコがついておらず床に小便が垂れていないトイレなどというものは存在しないことがどんなバカでもわかるに決まっているし、そこから面白いエピソードなんかいくらでも拾えそうなものである。
銭湯についても同じで、常連のジジィ二人組が股間をタオルで隠しながら浴室内を歩くという描写があったことからヴェンダースが実際に銭湯に入ったことがないか、入っても観察眼が湯気で曇っていたことは間違いがなく、もし自分で銭湯に入って正確に観察していれば、東京下町のジジィはタオルで股間を隠したりなど決してしない(決してである。ここは10年間下町銭湯に通い続けた俺の言うことを信じて欲しい)ことがわかるであろうし、電気湯一軒だけ出してはい終わりという素っ気ない撮影はしないんじゃないだろうか。
大黒湯の露天岩風呂はヴェンダースの求める日本の銭湯のイメージとはずいぶんかけ離れたものではあろうが、ともあれ一度でも大黒湯の見事な露天岩風呂を経験していれば多少テーマから逸れても「ここに役所広司を浸からせたい!」と思っても別におかしくはない。そうしたものがないということは要するに、銭湯に興味がなかったのだろう。ちなみに大黒湯には蜷川実花のサインがあるので銭湯に関してはヴェンダースより蜷川実花の方がセンスが良い。
役所広司が案外楽しそうに公衆トイレ清掃をしているように俺もトイレ清掃ありのオフィス清掃を結構楽しくやっている。この楽しさは何かと自分で自分を分析するならば、それは放っておけばカオスの度合いが増していく一方の世界を、自分の手で再び秩序立ったものにすること、言い換えるなら何もしなければエントロピーの法則に従って壊れてしまうものを直すことで、世界を部分的にでもコントロールする感覚を得、そうして自分の人生をコントロールしている感覚が得られること、に由来するものではないかと思う。
紙で拭くことなくウォシュレットを最初から強にしてウンコを全部洗い流そうとする蛮族のせいで飛散ウンコまみれになった便器の内側を見れば確かに瞬間的には殺すぞと思う。だがそのウンコまみれ便器を掃除してピカピカにした時には確かに満足感と充実感があるのだ。ただそれはそうとこれを読んでいるみなさん、とくにウォシュレットを強にしてウンコが飛散してる率が圧倒的に高いのは男性トイレなので、男性のみなさんはウンコをしたらウォシュレットをする前にまずはトイレットペーパーで拭けるウンコはトイレットペーパーでちゃんと拭いてください。そしてウォシュレットを強にするな。
清掃を丁寧にやるとはつまるところそういうことなのだと俺は考えているが、それを視覚的に表現するためにはウンコのついたトイレの描写などは避けられない。ウンコまみれの便器というカオスがあるからこそそれを掃除してキレイする行為に意味が生まれるのであって、元からキレイなトイレを清掃しても、清掃という行為が持つセルフコントロールの効果は観客に伝わらないだろう。でもこの映画には出てこないので、ヴェンダースはもっぱらトイレ清掃を「底辺の人」を指示する記号として用いているだけとしか思えない。
あまり浅いとか深いとか雑な印象論で映画を語りたくはないのだが、これははっきりと浅いんじゃないだろうか。なぜならセルフコントロールは代わり映えしない日常の中に美や楽しみを見出すための条件だから。そしてこれはどうも、日常の中のささやかな変化に美しさを見出すワビサビの精神と世の中に変化しないものはないという諸行無常がテーマの映画のようなのである。自分で自分の人生がコントロールできていないと感じる時に、人は日常の中に美や楽しみを見出すような余裕は持てない。だからトイレ清掃とワビサビ・諸行無常は深いレベルで連関させることもできるのだが、この映画の表現はそのレベルには達しておらず、表面的な日本趣味で飾られた観光客の旅行記録と同程度に留まってしまっている。
劇中に登場する渋谷区内の様々な珍奇な外見をしたトイレが、どんなに外見を取り繕っても中身はすべて単なるトイレでしかないように、この映画もまた立派なのは外見だけで(それも立派かどうかあやしいが)、中身を見てみればそこにあるのはうんざりするほど凡庸なものでしかない。そもそも、俺の記憶が正しければヴェンダースは小津安二郎を題材にしたドキュメンタリー『東京画』の撮影で東京を訪れた際に映画の中の東京と違ってガッカリしたみたいなことを言っていたはずで、もとからヴェンダースは現実の東京になど興味はないのだから、そんな人に東京を撮ってもらったところで面白いものにはならないだろう(今の東京を描くということなら『あの子は貴族』とか『街の上で』みたいな日本の若い監督の映画の方がよほど見事にできている)
こんな映画でも日本の観客の評判はまぁまぁ良いらしいので世の中はわからない。本当にみんなこれが面白いなんて思ってるのかな。カンヌで役所広司がなんちゃら賞を獲ったらしいという情報から生じた愛国心と欧米に対する劣等感の合わさった卑屈な心情が脳を騙して無理矢理イイ映画だったと思わせてるんじゃないの。役所広司のつまらない日常を描くだけなのでストーリーはつまらないし、東京のよくある風景を垂れ流してるだけだから映像もつまらないし、あんなカッコいいデリヘル嬢はいないしあんなオッサンに都合の良い姪だっていないし…そうだ、その姪の名前は漢字でどう書くか知らないがニコといった。
タイトルの『PERFECT DAYS』は俺ごときが言うまでもなくルー・リードの代表曲からの引用であり、ルー・リードの在籍していたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビューアルバムがマルチ・アーティストのニコとの共作『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』であるから、ここからの命名であることは疑いようがない。『PERFECT DAYS』というタイトルの映画だから登場人物の名前がニコ。そんな安直な発想の映画には、カンヌとヴェンダースの名前が持つ権威になど負けたりせずみんなもっと正直にツッコむべきじゃないだろうか。この映画は、ぶっちゃけダメな映画である。
※でも隅田川の河川敷と思われる場所で役所広司と三浦友和が戯れるシーンだけはちょっとグッときた。たぶんそれはヴェンダースの演出云々ではなく、この二人がとくに監督に指示されなくても自分で良い芝居を作れる役者だからだろう。ほか、モロ師岡のスナック客なども良い味出してました。
※※あとこれ役所広司が社会に揉まれる話ということでほぼ『すばらしき世界』の姉妹編みたいな感じでしたが『すばらしき世界』の方が映画も役所広司の芝居もおもしろかったです。
褒め評ばかりでなんだか違和感を感じてたところそのモヤモヤをすっきりさせてくれた素晴らしい批評! 結局のところ通産役人と税金売り上げ代理店のコラボにアートをトッピングしただけでキャスティングとかガワが整ってりゃイイよねっていう話でしょうかね。こちらと東京ポッド許可局の論が自分が見聞きした中で最高でした!