《推定睡眠時間:40分》
巷で言われるほどイーライ・ロスという人間の才能を信じていない俺なのでイーライ・ロスが『サンクスギビング』を撮るぞ! の報が映画好き界隈を駆け巡った時にわりかし脳内は無風なのであった。こんな映画を観る人間なら全員が知っているに決まっているが念のために書いておくと『サンクスギビング』というのはイーライ・ロスも参加したタランティーノ&ロドリゲスの共作プロジェクト『グラインドハウス』に登場する80年代のスラッシャー映画という設定の偽予告編。アメリカは『ハロウィン』とか『誕生日はもう来ない』とか『血のバレンタイン』(これはカナダ映画だが)とか記念日は全部スラッシャー映画のネタにしてしまうので、それならばサンクスギビング=感謝祭だってネタになってもおかしくないだろう、ってなジョークであった。
『サンクスギビング』がネタとして面白かったのはあくまでも『グラインドハウス』に収められた二つの長編映画、タランティーノ編の『デス・プルーフ』とロドリゲス編の『プラネット・テラー』を繋ぐ疑似幕間中の偽予告編だったからで、イーライ・ロスはジャンル映画の人であるからいかにも80年代スラッシャーにありそうな殺人シーン恐怖シーンが次々流れてマニアはニヤニヤしながら「あるわ~」とそのスラッシャーあるあるを楽しんだわけである。ではそれが長編映画となったらどうか。
これには先例があり『サンクスギビング』同様の偽予告編だった『マチェーテ』も10年ぐらい前に長編映画化されているが、ダニー・トレホのおそらく初主演に加えてセガールの悪役起用というキャスティングはなかなかホットだったものの、映画としては別に…なのであった。『マチェーテ』の偽予告編版の方はロドリゲスが本質的にオタクではないこともあってあるあるネタで笑わせるというよりも「こんなダニー・トレホ主演作があったらいいな!」というネタであったが、現実には存在しないからそれはネタになるのであって、実際にトレホ主演作として作ってしまったらそこにネタ的な面白さが無くなるのは当然だろう。
今回の長編版『サンクスギビング』は『マチェーテ』と比べると単品の長編映画としてきっちり作り込んであるので、ネタ性は失われたがその代わり『テラー・トレイン』や『プロムナイト』のような古典的なフーダニット型スラッシャーに現代的なブラックユーモアや風刺をまぶし、イーライ・ロスの映画なので当然痛そうなゴア描写も抜かりなし(一番良かったのは冷蔵庫の扉に張りついた顔面をベリベリ剥がすところ)と、なかなか楽しめる仕上がりとなっていた。
ただ問題は俺が寝てしまったことである。普段は映画で寝ても後悔などしないのだが、この映画はフーダニット型のスラッシャー、果たして誰が犯人なのかというのはどうでもいいがどうでもいいのだがでもやっぱり気になってしまうところで、そのへん、完璧に寝過ごした。これはあまりにも痛い。なぜならば犯人の正体がわかる最後の方で(犯人でなければ)劇中一番残酷な方法で殺されるに決まっているスラッシャー映画の定番キャラであるスタジャンを着たアメフト部のいじめっ子気質のカス男子高校生が死ぬところも一緒に見逃してしまったからだ。これではなんのために観に行ったのかわかんないじゃねぇか!
現代的な味付けを施しつつも作劇においては古典スラッシャーのそれを律儀に踏襲する『サンクスギビング』である。プロローグとして『ゾンビ』のパロディと思われるスーパーマーケットの群衆襲撃シーン(笑えます)などの派手な見せ場もあるとはいえ、基本的にはスローペースの進行であり、殺人はどうでもいい周辺人物から一人また一人とちくちく行われていく。ちくちく殺人を差し挟みつつも序盤はあくまでもカス高校生たちのカスっぷりを何一つ面白くない会話などで執拗に描写して「さっさとお前ら死んでくれ!」と観客のムカつきを高めることに専心し、後半からはいよいよカスどもがスラッシャー殺人鬼のえじきとなることでイエエエエエエ!!! …となっている映画のはずなのだが、メインディッシュを最後まで取っておかず最初っから見せ場見せ場見せ場の連続で繋ぐ最近のホラー作劇に悲しいことにすっかり慣れてしまったのか、なんかまどろっこしく感じて意識を失ってしまったのだった。目覚めたらもうエンドロールだから誰が生き残ったのかも不明である。
年末にして今年最大級の鑑賞ミスをやらかす自分を呪いたくなるが、でもこれはロスの演出術も少なからず関係しているとはぶっちゃけ思っており、この人の映画は『キャビン・フィーバー』にしても『ホステル』にしても、どうもシナリオというよりはカメラワークや編集の問題のような気もするのだが、妙に起伏がなくドライブ感が薄い。プロローグのスーパーマーケット襲撃シーンにしてもそのシーン自体は面白いのだが、ちょっと丁寧に撮りすぎていて長いんじゃないだろうか。80年代スラッシャーのプロローグってもっと雑に撮ってて「はい、こういう理由で殺人鬼が出るようになったわけですね! なったんです! いいから納得しろこのバカガキども!」みたいな乱暴さがあって、でもそれが意図しないドライブ感を生んでいたりもする。
そういう面白味って80年代スラッシャーにオマージュを捧げてるわりにはこの映画にはなかった。たぶんロスって真面目に映画を作ってしまう人なんでしょうね。カス高校生たちの日常を描く序盤も死に役の紹介パートにしては細かいところでちょっと面白すぎ、誰が犯人かという犯人捜しの部分も普通ろくに推理したりそのための伏線を張ったりなんかしないフーダニット型スラッシャーのテイストというよりは、結構正統派のミステリーのテイスト。つまりこの映画は普通の意味で完成度が高く面白いのだ。良いことじゃないか!
いや、まぁ、そうなんだが、それはたしかに正論なんですが…もっとあの、気楽かつ雑に撮った方が逆にスラッシャー映画としては楽しかったんじゃない? そっちのが80年代スラッシャーのテイストを再現することになったんじゃないかしら? とかまぁそういうのもある。同じくらいかもっと寝ているが、その意味で今年話題を呼んだもう一本のスラッシャー映画『プー あくまのくまさん』の方が、映画としての完成度では遥かに『サンクスギビング』より下なのに、俺にはスラッシャー映画として『サンクスギビング』よりも楽しく感じられた。それは『サンクスギビング』に比べて『プーさん』が端的に言って雑に作られていたからで、映画は、完成度を高めればそれでいいというものでもないんである。
※ちなみに個性派役者としてちょいちょい映画に出てたりもするロスなので、この映画でもテレビレポーター役で結構ガンガン映ってました。