昨日池袋の新文芸坐で北野武初期の代表作『ソナチネ』を観ててふっと思い出したのが中学時代に俺を隙あらば殴ってたいじめっ子で、俺を殴るやつは何人もいたがその中でそいつはいちばん理解ができず気味が悪かった。他のやつは基本的にその場の流れで俺を殴るし場の流れが変われば別の誰かも殴るのでガキの行動としてはわかる。でそいつらとは仲良しとまでは言わずとも一緒に遊んだりしているうちに友達になってそれからは殴られなくなったんですけど、『ソナチネ』を観てて思い出したそいつは場の流れとかじゃなくてマジで急に俺を殴ってくるから意味がわからない。なんなんだこいつはですよね。
でそのなんなんだこいつはがある日の学校からの帰りに、方向が同じだからっていうんで半ば無理矢理一緒に帰らされることになって、そいつの住んでるアパートまで俺行ったんですよ。途中で会話なんかろくになくてさ。そんなんこっちからしたら理由も無く急に殴ってくる狂人だから当たり前なんですけど。それでそいつんち着いたらそいつが「このアパート全部おれんちなんだぜ」って言うの。まぁウソじゃないですか。ウソだけど嘘つけって言ったら殴られるかもしれないからへぇとか言うわけ。そしたらそいつが「冗談だよ」ってつまんなそうに言うの、殴るでもなく。でじゃあなって家帰ってくの。ハァ? って思ったよな。なんなんだお前はと。
『ソナチネ』にヤクザの組長のたけしが舎弟の寺島進に突然拳銃のロシアンルーレットをやらせるシーンあるでしょ。あそこでそのエピソード思い出して、それで俺思ったんですけど、もしかしてなんなんだこいつは氏は気兼ねなく笑い合えるような友達が欲しかったんじゃねぇかな。他の俺を殴ってたやつは場の流れで殴るぐらいだから友達はわりと多くていつも何人かでつるんでるんですけど、そのなんなんだこいつはは友達があまりいなくて、なんかどっかのグループと一緒に行動してるときでも外の方にいて浮いてるんですよ。それで考えてみれば、なんなんだこいつはが俺を急に殴る時って基本別のクラスメートと一緒の時なんですよね。俺となんなんだこいつはが二人きりで行動したことなんか例の帰り道ぐらいですけど、そういう時は殴られなかった。
たぶんなんなんだこいつはにとって俺を殴るっていうのは、オモシロギャグのつもりなんですよ。こんなオモシロギャグをやってる自分おもしろいだろっていうアピール。そうやって他のクラスメートに友達になってもらおうとしてたんだと思うんですよね。まぁそんなの全然面白くないから基本的になんなんだこいつはが突然俺を殴り始めると周りの連中は止めに入るかあるいはドン引きの表情を浮かべる。そんなんで友達ができるわけねぇだろ。でも、それがわかんなかったんだろうな、なんなんだこいつは。あるいはわかっていても他にどうしたらいいかがわからなかった。
何か巧いことが言えるわけでもなくてさ、頭が良いわけでもないし、顔も良いわけでは全然ない、人好きする性格でも当然ない。だからなんなんだこいつはにとって周りの人間に自分をアピールする方法といったら暴力ぐらいしかない。殴られる側のこちらとしたら迷惑どころではないのだが、でもなんか考えてたら切なくなっちゃったな。だってあんたそんな不器用で発想の貧困な人間がすべて自称とはいえ知的でユーモラスで美的センスのある今の俺よりも充実して暮らせているわけはないんだから。充実といったところで年収二百万しかないというのが実に痛いところだが…まぁ人生の充実は収入では計れないからね!
果たしてこの長い前置きは北野映画論に必要だったのだろうかと多くの方は思われるであろうが、ともかくこの世にはそういうやつがいる、という実例として必要であった。暴力でしかコミュニケーションが取れないやつはいる。そしてこれはある程度の希望的観測も混じっているとはいえ、そういうやつは本質的には暴力を行使したいわけではなく、ただ自分が安らげる場が欲しくて暴力を行使するのだ。なんなんだこいつはのように暴力によって自分を周囲にアピールし仲間を作ろうとするやつもいるだろうし、周囲から恐れられその誰からも暴力を行使されないように自分から暴力を誇示するやつもいるだろうが、目的は同じで、安らげる場を求めての暴力なのだ。そしてこの安らげる場を求めての暴力こそ、北野映画における暴力なのである。
さて、北野映画といえば暴力。おそらくそのようなイメージは世代差もあるだろうとはいえかなり一般的であるように思える。『その男、凶暴につき』にせよ『アウトレイジ』にせよ2024年時点での最新作『首』にせよ、国際的に高い評価を得ていたり大きな話題を呼んだ北野映画というのは暴力的なものばかり。例の新文芸坐での『ソナチネ』上映は実は4度目くらいのアンコール上映であり、それというのも過去の上映回はたぶんすべてキャパ266の劇場が満席になる名画座としては驚異的なヒットとなり、その前段階として2021年ぐらいから3回程度開催された『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『ソナチネ』の3作から成るオールナイトプログラム「北野武バイオレント・サタデーナイト」も記憶が確かならば全回満席だったはず。上の3作は初公開時には記録的な興行不振で即座に打ち切られてしまったというから隔世の感だが、今や北野武の暴力映画はシネフィル中心に大変な人気があるし、そしてどうも北野映画を観たことがないという非シネフィルの観客も『首』効果なのか『ソナチネ』リバイバル上映にはわりあい集まっているようである(これは願望もちょっと入っているが)
しかし…たしかにスクリーンでは初めて観たかもしれない『ソナチネ』にはじーんと来てしまったし『首』も大いに笑える暴力コメディで楽しかった、『その男、凶暴につき』の衝撃は何度観ても色褪せないし『3-4X10月』の作為と偶然の入り混じった凄みを超える北野映画は個人的にない、もちろん『アウトレイジ』も現代では貴重なヤクザ群像劇、三部作とも良く出来ていて好きな映画である、のだが。俺の北野映画ベスト候補は暴力の一切出てこない夏休みサーフィン映画『あの夏、いちばん静かな海。』なんである。そしてそんな人間からすると昨今の北野映画再評価の波は少し暴力映画に傾きすぎているように思う。言うまでもなく暴力映画が悪いとかそんなくだらないことを言いたいわけではない。そうじゃなくて、北野映画の暴力シリーズばかりに注目すると、北野武という映画監督の良さや凄さがかえって見えにくくなってしまうのではないか、という気がするんである。
先に結論からいえば、北野武は暴力を主題とする映画監督ではない。北野武の作家的な主題は安らげる場の希求だと俺は思う。童心に返って無邪気に戯れていたい。これが北野映画の核心なのであって、むしろ暴力はそれを際立たせるための装置として、安らげる場を破壊する悪として、敵対的に描かれるんである。だからこそ北野映画の暴力は容赦がなく残酷であり、観客の心をざわつかせずにはいられない。そして心がざわつくものに、人の目というのはどうしても向くものである。こうして北野映画の本質が暴力に覆い隠されてしまうというのはなんだか皮肉であるが、ここでは皮肉だなぁで済ませずに、どうして北野映画の本質は暴力に非ずと言えるのか、軽いスケッチ程度ではあるが書いてみよう。
映画監督・北野武の歩みは周知の通り当初監督を予定されていた深作欣二の代打として『その男、凶暴につき』から始まった。仕上がった作品は代打監督の雇われ仕事というにはあまりにも強烈な個性を放っているが、ともあれ雇われ仕事は雇われ仕事であり、『その男、凶暴につき』が映画監督・北野武のデビュー作なら、映画作家・北野武のデビュー作は監督・脚本・出演・編集など一人何役もこなした『3-4X10月』といえる。ところでその二本の映画の間にもう一本の北野映画があることを知らない人は案外多いんじゃないだろうか。それは北野武が企画・出演でクレジットされている『ほしをつぐもの』という映画である。
会社から早期退職を言い渡されたサラリーマン・田中邦衛は玩具収集と修理が趣味の温厚な人物。ある日テレビの街頭突撃インタビューを受けた彼は取材中に脳梗塞で倒れ、死線をさまよう中で幼き日の出来事を回想する。太平洋戦争後期の冬、田舎に疎開していたヤング田中邦衛は物資不足により他の子供たちが次々と死んでいくのを目の当たりにし、東京は平和で食べ物もたくさんあるらしいとの風説を信じて他の疎開児童とともに旅に出る。しかし大自然のサバイバルなど経験のない疎開児童たちにとって冬の山はあまりに過酷、一人また一人と倒れていよいよこれまでか…と思われたところに現れたのが山で独り暮らす謎のおじちゃん、ビートたけしであった。バカヤローコノヤローと悪態をつきながらもおじちゃんは行き場のない疎開児童たちを保護し、戦争の影のない平和な山の中でしばしのバカンスを楽しむのであった。やがて児童たちは東京へと旅立つが…。
以上が『ほしをつぐもの』の骨子なのだが、ここに後の『ソナチネ』や『アウトレイジ 最終章』にも通じるモチーフが早くも見られることにお気付きだろうか。それは暴力に支配された大人社会からの逃避と、逃避した自然の中での無邪気なバカンスのモチーフである。『ソナチネ』では抗争に巻き込まれたたけしらヤクザたちが人里離れた浜辺に逃避し束の間のバカンスを楽しむ。『アウトレイジ 最終章』はヤクザを引退したたけしが韓国・済州島でのんびり魚釣りをしているところから始まる。どちらの映画でもそれまでの展開で無表情を崩さなかったたけしがバカンスの中で楽しげな表情を取り戻すのが印象的で、『ほしをつぐもの』の山男たけしもまた戦争もなく大人もいない山の中で子供たちと実に楽しそうに戯れる。
『ほしをつぐもの』の次に北野武が企画でクレジットされることになるのは監督3作目にしてマイフェイバリットの『あの夏、いちばん静かな海。』。北野武が企画・監督・脚本・編集の四役をこなした入魂作で、北野映画では例外的に本人が出演していないが、そのことがかえって自分は裏方に徹し演者はプロの役者だけで固めたいとでもいうような作品に対する本気度を感じさせる。以降の映画で北野武が企画もしくはプロデューサーとしてクレジットされたことはないので、企画まで買って出た映画で描くものが『ほしをつぐもの』の山バカンスや『ソナチネ』の浜辺バカンスだけを抜き出したかのようなひたすらに平和で幸せな時間というのは、もうそれだけで北野映画の本質は暴力に非ずの根拠として充分なんじゃないかとも思うが、しかし、話を続けよう。
北野武が直接監督はしていないものの、その役回りからすれば北野映画に加えてもまぁまぁ差し支えないのが『ソナチネ』と同年1993年公開の『教祖誕生』、これは北野武の同名小説を『その男』から『ソナチネ』までの全ての作品で助監督として関わった天間敏広が監督したもので、シーンの省略やミニマルな画面構成など北野武の影響を強く感じさせる作品となっている。ストーリーはインチキ新興宗教を影で操り金儲けをしているヤクザみたいな教団幹部ビートたけしが役に立たなくなった前教祖を破門にして(教祖なのに!)教団に興味を持つ若者・萩原聖人を新教祖として育成するが、そのうちに萩原聖人はどんどん本気で人々を救済したくなってしまい、というもの。
ここでも現れるのは汚れた大人社会VS無邪気な子供の構図であり、教団幹部のたけしと岸部一徳は宗教を金儲けの道具としか考えていないし、そのためには邪魔者を暴力で排除するほぼほぼヤクザである点が面白いが、こうした構図は実は役者としてのビートたけしの初期の代表作である1985年の『哀しい気分でジョーク』で既に表れていたことは注目に値する。ビートたけし本人を思わせる夜遊び好きの破天荒な芸人が、息子が不治の病に冒されたと知り、一転息子のために生活のすべてを捧げるようになるという泣けるヒューマンドラマとして展開するこの映画はしかし、ラストでお涙頂戴劇を反転させる。息子のための芸能活動休止や営業先でのトラブルなどたけしの行動に理解を示していたかに見えたマネージャーや芸能プロダクションの社長の本心が、たけしを不治の病で息子を亡くした悲劇のスターとして売り出し一儲けすることにあったことを、たけしは知るのである。「そういうことか」諦めたように呟いてたけしは舞台に立つ。そこには悲劇のスターを待ち受ける大勢の観客たちの姿があった…。
『哀しい気分でジョーク』においても『教祖誕生』においても、そして『ソナチネ』や『アウトレイジ』や『首』においても、北野映画に繰り返し現れるのは私利私欲の追求にしか関心がなく、そのためにはなんでも利用する身勝手で酷薄な男たちが構成する大人社会であった。『首』が戦国版『アウトレイジ』と言える構成を取っているのも、『アウトレイジ』が現代ヤクザ版の『教祖誕生』と言うべき世界観を持っているのも、宗教階級社会も戦国武将社会もヤクザ社会も本質的には変わらない大人社会と北野武が捉えているためではないだろうか。そして北野武は『教祖誕生』や『首』でセルフパロディ的にそんな汚い大人を演じたのを除けば、そうした仁義なき男たちの大人社会に利用され、疲弊し、自ら死を望むまでに追い詰められた、子供の心を持った大人の役ばかりを演じてきた。その心情は『ソナチネ』の「疲れちゃったよ。ヤクザやめたくなったな」や『アウトレイジ ビヨンド』の弱々しい「もういいよ、帰ろう」といった台詞によく表れているのではないだろうか。
こうした北野武の自己規定は当代きってのスタータレントであり映画の世界でも名監督の地位を確固たるものとしている現実の北野武とはずいぶんとギャップがあるようにも思える。そのギャップを北野武自身が描いたと考えられる『TAKESHI’S』は、強面のスター芸人・ビートたけしとボロアパートで孤独に暮らしているうだつの上がらないコンビニ店員・北野武という二人のたけしの世界が交錯するメタフィクショナルな映画だったが、その中に線路の上でたけしが一人タップダンスを踊り続けるシーンがある。なぜたけしはこの私小説的な映画タップダンスを踊ったのか。それはタップダンスが北野武の内面に深く根を下ろしたものだからではないだろうか。
北野武の浅草修練時代を描いた自伝小説『浅草キッド』をたけし軍団の浅草キッド主演で映画化した『浅草キッドの浅草キッド』には、若き日のビートたけしを演じる浅草キッドの水道橋博士が、師匠の深見千三郎に習ったタップダンスを一人で一心不乱に練習するシーンが幾度も登場する。ダンカンが脚本を担当したこの映画で強調されるのはまさにキッドとしてのたけしの姿である。いたずら好きで口の減らないたけしを深見千三郎は子供のように可愛がり、たけしもまた深見千三郎とのじゃれ合いを心底楽しんでいた。
「浅草にいたのは、ただ居心地がよかったから」とたけしが浅草修練時代を振り返るのは、そこではたけしが無邪気な子供でいることができたからじゃないだろうか。父は深見千三郎、母はストリッパーのお姉様方、兄弟は他のコメディアンたち。たけしの習熟したタップダンスを見た深見千三郎が「もうお前に教えられることはねぇ」と笑顔で言ったときの、たけしの寂しげな表情は印象的である。それはたけしがもう浅草フランス座の子供としてここに居続けることはできないと仄めかす言葉だからだ。『TAKESHI’S』の中で北野武が一人寂しくタップダンスを踊るとき、その背中には無邪気で幸せな子供時代を懐かしむような切なさが漂っている。
子供はやがて大人にならなければならない。1970年代の浅草で修練時代を過ごした北野武にとって、大人社会はキレイなものとは到底見えなかったのではないだろうか。『浅草キッド』には浅草に辿り着くや露天商に騙され金を巻き上げられる場面がある。そうした環境で大人になるとは、ナメられないようになることを意味するのかもしれない。虚勢を張り、怯えを見せず、相手よりも上に立っていることを見せつける。それは浅草といわず舞台に上がるすべての芸人の心構えでもあるだろう。けれどもそれは外面であって、内心では何度舞台を踏んでもビクビクだったりするのかもしれない。『ソナチネ』でたけしが語る名台詞、「強くないから拳銃なんか持つんだよ」。
北野映画にヤクザが多く登場するのはこうした芸人の基本姿勢とヤクザのそれがよく似ているからじゃないだろうか。芸人もヤクザもより強く虚勢を張った人間が富や名声を得ることができる。そして虚勢を張れば張るほど自分の外面と本心は離れていく。虚勢によって維持される業界のヒエラルキーの中で、いつしか自分は自分ではなく、業界によって操られているように、たとえ哀しい気分でも笑ってジョークを言わされているように感じられてくる。たけし軍団を率いるお笑い業界の頂点という立場が、北野武なら望まなかったかもしれないフライデー編集部襲撃などの暴力沙汰にビートたけしを向かわせる。そうと考えれば、お笑いやテレビの業界でスターとなることで直面せざるを得なかったその恐怖やストレスが、暴力に支配された大人社会からの逃避と、逃避した自然の中での無邪気なバカンスのモチーフを北野映画にもたらした、と言えるかもしれない。
最後に、『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『ソナチネ』という初期北野映画の暴力映画3作は、いずれも『丑三つの村』や『GONIN』など過激で激情的な(そして扇情的な)作品を多く手掛けた松竹の鬼っ子プロデューサー、奥山和由の手になるものであることを指摘しておきたい。前述の通り『3-4X10月』と『ソナチネ』の間に撮られた非暴力映画『あの夏、いちばん静かな海。』は北野武が企画として携わり、奥山和由は関与していない。一口に暴力映画といっても『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『ソナチネ』と、後年の『アウトレイジ』や『首』では、作品のトーンがずいぶん違うように感じられるが、それは北野武自身の心境や作風の変化もあるだろうとしても、奥山和由の有無も関係するんじゃないだろうか。基本的に静かなものやプラトニックなものを好む北野武に対して奥山和由は即物的かつ情熱的なものを好む傾向に(その手掛けた作品から言えば)ある。
『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『ソナチネ』、あるいはそこに石井隆のノワール代表作でありビートたけしも出演している『GONIN』を加えてもいいかもしれないが、これらの作品群は内省的な傾向を持つ監督と、その正反対の傾向を持つように見えるプロデューサーがぶつかった結果の、ある意味では事故的な、したがって再現不可能なものなのかもしれない。『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『ソナチネ』の3作を観るときにはそれが単に北野映画というだけではなく奥山映画である点も考慮しなければ、北野武という映画監督の本質を見誤ることになるんじゃないかと俺には思える。
そしてその本質とは、繰り返しになるが、虚勢を張らず、暴力に頼らず、子供のように無邪気に戯れていられる、『あの夏、いちばん静かな海。』に描かれたような、安らげる場の希求なのである。北野武は暴力の天才なのではなく、安らかな場を夢想する天才なのだと俺は思う。
※2024/1/20:ちょっとだけ加筆