《推定睡眠時間:30分》
棺桶を引きずって旅するジジィと少女の話というあらすじを読めば『続・荒野の用心棒』かはたまた『子連れ狼』かと思ってしまうと嘘をつきたくなるが当然ながらそんな映画ではなくとにかく風景に圧倒されるロードムービーであった。どのような風景といえばこれが美景ではまったくない。最初のシーンはあえて言うならばアレクセイ・ゲルマンやタル・ベーラの映画に出てくるような荒涼とした原野であり、舗装された道路は一本だけ通っているがそれ以外は建物はもちろん木々も生えず黒土が露わになっている、その土は雨上がりでぬかるんで空を見上げれば重々しい雲が一面に。なにかこの世の終わりのような風景である。
ところがこれが見事なまでに目を奪う。ロングショットを基本とするこの映画は黙示録的荒涼を平面の絵画として捉え、黒土、黄土色の雑草、ぬかるみの茶、遠くに見える畑の薄緑をひとつのショットに収める。年齢相応の適切な比喩が思い浮かばずたいへん恥ずかしいがそれはまるで幼稚園のお弁当のようである。肉そぼろ、桜でんぶ、炒り卵がご飯の上に乗っかったあれ。あれの黙示録版みたいな風景の中を棺桶引きずりこのジジィと少女は一言も喋らず無言で歩く。その光景は圧倒的であり、それさえ観られれば他のことはストーリーも込みでどうでもいいというぐらいである。
とはいえ行く先々で宿を借りたりヒッチハイクをしながら無予算旅を続けるこの二人が出会う人々、これは取り立てて変わったところのないザ・市井の人々なのだが、二人が一言も話さない代わりに市井の人々がやたらと話す、そしてその内容ときたら誰々が借金を返さないとかステーキ(みたいなやつ)のおいしい焼き方論議とかもうまったくもってどうでもよく、どうでもいいダラダラ会話が逆にどうでも良すぎて面白くなってきてしまう。だんまり棺桶引きずり旅の寓話性と市井の人々の日常過ぎる会話のギャップ。ギャグという感じではないのだが、表情一つ変えず一言口を挟むこともなくとにかく黙ってトルコ南東部庶民どものどうでもいい会話を受け流しているジジィと少女を見ていたらフフっとなってしまった。
それにしても棺桶引きずり旅とはいったいなにか。公式サイトとかのあらすじを読めば書いてあるが、主役二人の台詞が極端に少ないこの映画、序盤はその目的が開示されずミステリアスに物語が展開するので、これからこの映画を観ようという人がいるならあらすじは読まずに映画館に入っちゃった方が楽しめるんじゃないだろうか。田舎の人から見れば単なる日常風景であろう荒涼大地が非日常の寓話世界に変貌する映像のマジック、そして非日常に浮いた世界が一気に俗っぽい日常世界に墜落する脚本のマジック、その間隙を縫うように旅する二人の詩情のマジック。映画のマジックがいろいろ見られる楽しく美しくやがて哀しい珠玉の的な映画なので、詳しい内容なんか知らないで観ても別に問題ないだろう。あとどうぶつがいろいろ出てくるのも良し。
こんばんは。
この映画を見ながら思い出したのは、『巡礼の約束』というチベット映画でした。https://moviola.jp/junrei_yakusoku/
本作では時折垣間見せる小技が良かったです。
一台目の車を降りた後に、疲れて座り込む孫に祖父が石を握って近付き…彼女の玩具を解体して棺のキャスターにしたり、箱屋(?)のオバチャンのトラックで、糖尿病だからダメだといわれたオバチャンのお父さんにこっそりお菓子をあげたり、棺はやめて段ボールにしなよ、という男の作業場で捨てられそうな棺から(多分、彼女の玩具の一部だったのであろう)リボンをとり返そうとして棺を倒してしまったり…
そして〝クローブ〟づかいの上手さ!
なんだかあとを引く映画でしたな。
小さな何気ない動作とか気の利かせ方がいいんですよね。台詞のほとんどない映画だから余計にそういうのが目立って。俺はトラクターのオジサンが借金の電話でトラクターをおりたらトラクターのブレーキが外れちゃって爺が慌ててブレーキをかけ直すところとか、泥水の中にカマドウマみたいのがいてびっくりする少女とかのシーンが印象的でした。
トラクターのブレーキ!アレはアワアワしました笑
おじいちゃんが解さない言語を孫が通訳したり、冒頭とラストを結婚式で結んだり、説明はないけどビターな小技もヨカッタです。
最初と最後が結婚式、それ見逃してた!爺の最後に選んだ道を思うとなにやら感慨深いものがありますなぁ…