《推定睡眠時間:85分》
『君と世界が終わる日に』というドラマは一ミリも観たことがなくゾンビものらしいという程度の知識しかない。ふん、面白そうじゃないか。少しも知らんドラマの最終回的映画版だけをあえて観る。新作公開とくれば予習だなんだで大わらわの先進的現代人から見ればかの松岡洋右のごとく「映画にわかは、頭が変ではないか」と言われてもおかしくはない行動であろう。なぜ突然松岡洋右が太平洋戦争開戦前に極端な対英早期開戦論者へ転じ南方進軍を訴えたことで時の海軍大臣に「松岡は、頭が変ではないか」と呆れられたエピソードのパロディが出てきてしまったのかは自分でもよくわからないのでやはり変になっているのかもしれないが、まぁゾンビものだしね、ゾンビドラマということはこれまでのお話の中で文字通り食うか食われるかの攻防が描かれてきたはずであり、その最終回となればゾンビものであるからしてついにゾンビと人間の均衡が崩れ人間の拠点にゾンビがなだれ込みグチャアグシャアのはずであろう。松岡洋右の早期開戦論は戦略的根拠の乏しい当時の日本外交の破綻を端的に示すものであったかもしれないが、俺の連続ドラマの最終回だけ観る論はそれなりに根拠があるのである。
ということで少し遅れて映画館に入るとあれゾンビがいない。なんか海辺で二組のカップルが恋愛ドラマみたいなやりとりしてる。おそらく過去の回想パートであろう、ならもっと遅れても大丈夫だったなと映画への敬意とか期待が微塵もないことを考えながら観ていたらフラフラと一人のサラリーマンがビルの屋上を歩いてきてそのまま転落。これが主人公たちの目撃した最初のゾンビということのようだが、ゾンビ初遭遇シーンとしてこれはなかなか悪くない出来。いきなりの転落はびっくりするしその呆気なさが日常と非日常の境界の曖昧さを効果的に演出していた。
しかしこれはあくまでも俺のような一見さんにも『君と世界が終わる日に』がどういうお話でどんな感じの世界観かわかるように理解してもらうためのおそらくドラマ版を再編集したチュートリアル。その後タイトルを挟んで物語は一気にFINALへと飛ぶのだが、飛んだ先は『マッドマックス2』もしくは『ハード・リベンジ、ミリー ブラッディバトル』みたいな砂漠と化した日本であった。なぜゾンビ病が流行ると草木が急速に枯れると同時に土壌も変化し砂漠になるのか。その砂漠を『北斗の拳』にモヒカン族に搾取される村の人役で出てきそうなコスチュームの老人が歩いていると、その視界に飛び込んできたのは都庁的なツインタワー。鳥取にツインタワーはないはずだからおそらく鳥取砂丘ではないだろう。都庁の見える範囲がなぜか建物まで消滅して砂漠化するのもわけがわかんないからここは東京ではなく大阪でもなく現実には存在しない日本のどこかなのかもしれない。もちろん米国がゾンビ撲滅のために弾道ミサイルの標準をTOKYOに合わせた結果の東京砂漠という『真・女神転生』的展開がドラマ版ではあった可能性も否定はできないが。
それはさておきこのツインタワーが老人の語るところによると人類最後の砦・その名もユートピア。ツインタワーの片方には政治家などが避難しておりもう片方では医学界の叡智が結集しゾンビワクチンの研究をしているのだという。リニア駅となる予定だったその地下は生き残った人類がひしめいて貧しいがとりあえずゾンビには襲われることのないまぁまぁ安全な難民暮らしを送っている。まぁ、『ランド・オブ・ザ・デッド』ですな。公開中の韓国終末映画『コンクリート・ユートピア』も設定が『ランド・オブ・ザ・デッド』だったので、なぜか今ロメロ最後のゾンビ大作(遺作じゃないよ)となった『ランド・オブ・ザ・デッド』がアツい。格差社会だからだろうか。『ランド・オブ・ザ・デッド』はアメリカ格差社会と帝国主義的中東政策を当てこすった風刺映画であった。
その後いろいろ起こるがあんまりゾンビは出てこないでなんかタワー内で人間同士ごちゃごちゃやってるだけなのでわりとどうでもよかった。そんなことを言ったらロメロのゾンビ映画だって基本は人間同士でごちゃごちゃやってるだけだが、ロメロは舞台的な会話劇の才能が非常に優れているので人間同士の諍いも見応えがある。そういう方向をこの映画の作り手は目指していないからキャラもシナリオも美術も全部安い週刊連載漫画で緊張感や迫力が乏しい。逆に完全に週刊連載漫画の世界に振り切れていたのでこっちも肩の力を抜いて実写になった週刊連載漫画として楽しめたが、週刊連載漫画としての面白さとゾンビ映画としての面白さは別だろう。
とりあえずゾンビが出てきてみんなを食い始めるまでと思って寝ていたらおそらくゾンビワクチン被験者?であろう少女が死んだ誰かに向かって「起きて!」と叫びその声で俺も起きたのだが、寝ている間にゾンビパニックは終わってしまったのかまた人間ドラマになっていた。よくわからないが、もしかするとこれはゾンビ映画の体裁を借りているだけでゾンビ映画的な興趣のある映画ではなかったのかもしれない。人類の立てこもる高層ツインタワーにゾンビ侵入そして人類の砦崩壊と聞けばこれはもうゾンビ映画ユーザーとしてはわくわくであるが、そのアクション引き出しの異常に多い舞台設定もとくに活かされた形跡がなく、作り手の眼目がそこにはないことが窺える。おそらくではあるがこれはそういうものではなく、竹内涼真を筆頭に売り出し中の若手役者さんたちがゾンビ世界でバトルをしたり恋をしたり人情ドラマをやったりというそのさまを楽しむトレンディコンテンツなのだろう。ヤンキー映画的な。
ふぅん、そうか。そういうものか。まぁ、そういうドラマがあってもいいんじゃないかな。諸々よくわかってはいないが人もまばらな夜の映画館でたくさん寝て体調が回復したのでとくに不満もありません。それはともかくなのだがFINALというからこれで最後なのだろうなと思ったらエンドロール後にオマケ映像がついてて今度は政治家たちの住むもう片方のツインタワーに行くぞみたいなことを言っていた。いや続くんかい。