プラモとフィギュアの映画『鶏の墳丘』感想文

《推定睡眠時間:20分》

中国の個人制作3DCGアニメ映画なのだがトークショーで配給の人が監督は中国の長編映画検閲を回避するために短編の連作としてこれを作ったのでこのような数珠つなぎ的な内容になったと話していたのだが出来上がったものを観るにたぶんこれなら検閲に引っかかる部分はないんじゃないかというか、意味がわかんないので検閲しようがないんじゃないかと思った。

なんなのだこれは。冒頭にカニロボットとハードエッジロボットは自分を人間だと思ったとテロップが出てまずその状況設定が飲み込めていないのにいきなりカニロボットとハードエッジロボットの生活描写が台詞もなく始まってしまう。生活描写といっても朝起きてご飯食べてといった物語性のあるものではなく、このタイプのカニロボットはこういう場所でこういう動きをしているというような描写が淡々と続くだけなので、ロボット会社とか3DCGアニメスタジオのプロモーション映像のようである。

そのうちにカニロボットとハードエッジロボットの戦争が勃発。だがしかし、これもなのだが戦争といっても濃厚なプロモーション感、いろんな形のカニロボットとハードエッジロボットが一騎打ちで様々な兵器を駆使してあたかも『アーマードコア』のごとく戦ってはレゴブロックみたいにバラバラになっていくのだが、鳥瞰的な視点がなく個々の戦闘を淡々と映していくだけなので戦況がどうとかはよくわからない。一応このロボット戦争ではカニ地球に住むカニロボットがハードエッジ地球に住むハードエッジロボットに敗北したようだ。中には戦闘に嫌気が差してサナギ化して第三の地球へ飛んでいったハードエッジロボットもいたそうな?

かろうじて俺があらすじが書けるのはここまで。以降はまったく意味不明としか言いようがない。トークショーには『スキップとローファー』のアニメ監督がゲストに来ていて配給の人にちなみにどんなストーリーと解釈されましたかの質問を振られてそうですねぇ息苦しさのようなものを強く感じましたねぇと歯切れの悪い返答をしていたがこんなもんどう解釈したか聞かれても困るだろ。わけわかんないんだから。そりゃ『不思議の国のアリス』みたいのだったら解釈のしようもあるよ。あれは起こる出来事は不条理でも不思議の国に迷い込んだ少女の冒険っていう一本筋の通ったストーリーがあるじゃないですか。でもこれは思いついたイメージをポンポンと次々放り込んでそこに整合性も何も与えようとしない映画というよりは90年代のアート系PVとか、マシュー・バーニーのビデオアートみたいな美術館で流れてるやつなのだから無理だろ。そもそもこっちはカニロボットの時点でカニロボットってなんだよって思ってるんだから!

けれども画面の中で行われていることが意味不明な一方でそこに登場するキャラクターは妙に馴染みのあるものばかり、多足歩行のカニロボットはまぁ甲殻類ということで『攻殻機動隊』のタチコマを思わせないこともないし多弾頭ロケットを背負った二足歩行カニロボットはやはり『アーマードコア』とかあとなんか『装甲騎兵ボトムズ』とかの世界だ。カニロボットがこうしたプラモデル的な世界観を持つとすればハードエッジロボットの方はフィギュアの世界、いろんな形のロボットがいるが映画の中核は表情とプロポーションからいって美少女フィギュア型のロボットである。その声もなぜか分からないがにゃにゃにゃ~としたメイド的萌え声、あと衣装もなんとなくメイド。

ロボットプラモと美少女フィギュア…なんだこの秋葉原感は。ヨドバシAKIBAの7階オモチャコーナーかよ。実際、オモチャのような質感が映像にあるというだけではなく、この映画はBGMにあたるものがおそらく一切ないのだが、その代わりにロボットが歩く度にピョコンピョコンとかプイップイッとか効果音が鳴ってこれが音楽代わりになっている。これは実にオモチャ的発想ではないだろうか。ヨドバシAKIBAの7階オモチャコーナーもずっとどっかしらでオモチャがガタガタピコピコいっててやかましいもんな。

本業は画家というこの監督シー・チェン、大学の第二外国語で日本語でも取ったのかトークショーも日本語でOKというほど日本語が堪能らしいので、秋葉原観光でもしながらロボットプラモと美少女フィギュアとあとオタマトーンみたいな音の鳴るオモチャとかを見てインスピレーションを得たりもしたのかもしれない。なにからなにまで全部一人で作る個人制作3DCGアニメ映画といえば最近では『Away』というラトビアの映画もあったが(奇しくも制作期間は『鶏の墳丘』とほとんど同じ3年間ぐらいだという)これは孤高のゲームクリエイター上田文人による『ワンダと巨像』の影響があまりに明瞭な観るゲームという感じの映画だった。

『鶏の墳丘』にもフィギュアロボットがニンテンドーDSみたいな携帯ゲームを退屈そうにやってる場面が出てきたが、なにか、ゲームとかオモチャとかのカルチャーは個人制作系の映画作家と親和性があるのだろうか。まぁ個人制作の3DCGアニメ作りなんて考えてみればデジタルなプラモ/ジオラマ遊びとも言えるし、ルールのない開発シム系ゲームとも言えるので、やってることの本質は案外オモチャとかゲームと近かったりするか。俺にはなにがなんだかさっぱりわからなかったが暗喩が層状になって暗喩から暗喩へと連鎖していくかに見えるこの映画、その暗喩を読み解こうと能動的に観れば謎解きゲームにもなるだろう。

俺にとってはなんだか馴染みのある秋葉原的デザインの中でピコピコ音が鳴り響くためあのロボのように繭に包まれた気分になって眠り込んでしまう安眠映画だったが、なかなか心地よい体験が出来たのでそれはそれでよかったです。

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青池圭子
青池圭子
2024年1月29日 6:21 PM

いつも楽しく、なるほどなるほどと拝読しております。noteさんと記事内容が違うこともあるのですか?(それは読めばわかりけど)笑。ところで、お願いがあるのですが、検索窓に入力しても反応してくれません。使えるようにしていただければ目当ての記事にたどりつけやすいです。よろしくお願いします。

青池圭子
青池圭子
2024年1月30日 9:38 AM

お、ぉぉぉ!
ありがとうございます!enterキーを押すだけだったんですね・・早くきけばよかった(涙)ちょっとはずかしかったので。
ありがとうございました。