言うほど変な映画じゃない映画『哀れなるものたち』感想文

《推定睡眠時間:40分》

1792年に『女性の権利の擁護』を発表したフェミニズムの先駆者メアリ・ウルストンクラフトがこれまた先駆的なSFホラー小説『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーの実母であるという事実はフェミニズム関連の話題が尽きず誰も彼もが気軽にフェミニストを自称するようになった昨今その言葉の氾濫とは裏腹に驚くべきほどに、というよりも呆れるほどに知られていない。なぜそう断言してしまえるのかといえば、この映画『哀れなるものたち』が女性の解放を描くという点で明確にフェミニズムを題材としており、入水自殺を遂げた母親の身体にその死にかけ胎児の脳を移植することでこれを蘇生させるという発想は『フランケンシュタイン』を換骨奪胎(まさしく!)したものであることが明白であるにも関わらず、まぁパンフレットとかにはさすがに書いてあるだろぐらいは思うが、ネットでフェミニズムを引き合いに出しながらこの映画を語る人の中でこうした作品背景に触れる人といったら一握りのフェミニズム史専門家を除けばもう絶無といっていいほどにいないからであった。

こうしたことはおそらくフェミニズムが通時的な学問領域とは理解されておらず共時的な大衆現象としてその支持者に理解されていることと無縁ではないんだろう。なにもフェミニズムに限らず大なり小なりすべての革命的な運動はそれが通時的なものではなく、今この時だけの共時的な現象であると理解されるからこそ爆発的な広がりを見せ大きなうねりを生む。情報を権力が管理するカトリックのヒエラルキーに対して活版印刷がもたらした水平的な情報伝達によって生まれたのがルターの宗教改革であった。ラジオと映画をプロパガンダに最大限活用したのがナチスであった。そしてこんにちではフェミニズムをはじめ様々な改革を求める運動はSNSを通じてなされるわけである。SNSなしにトランプのような政治家がアメリカ大統領の座に着くことができたかといえば大いにあやしい。

それはさておき、いわば『フランケンシュタイン』の肉体にウルストンクラフトの脳を移植したかたちの『哀れなるものたち』は幾重ものコンテクストが折り重なった多層的なフェミニズムのオリモノといえる。スチームパンクっぽい架空近代の男社会の抑圧束縛により自由を剥奪され死を選んだ女がゴッドと呼ばれる怪物博士の手で娘として再生しその人生を生き直す物語は、この女がやたらとセックスに関心を持つことから「セックスによる解放なんて古いし男が考えるフェミニズム像」みたいな、みたいな! おめーなんもわかってねぇな! と言わざるを得ない心ない感想を他ならぬフェミニストを自称する人々から寄せられていたりもすることがネットの吐き溜めを見れば確認できるが、これはウルストンクラフト自身はその時代に許されなかったことを、生まれ直した彼女が自由に自分の意志で謳歌する、という実にフェミニ~ンな意味合いがあるんである。

映画のあらすじを見た段階で中卒界随一の知恵者である俺は以上のことをあっさりと察知しふふんこれは俺の得意分野だな、さ~偉そうに本当はなにもわかっていないからウィキペディアを見ながら書いているくせにさもわかったかのようにブログで一席ぶつぞ~と意気揚々であった。ということで以上のフェミうんちくはじつは映画を観る前に頭の中で完成させていたものなのだが、映画を観たらわりと予想外な感じだったのでちょっと困ってしまった。

あくまでもフェミニズム的な観点からいえば、原作由来と思われるその重層的な設定以上のものはとくに見当たらなかったからである。なにか付け加えたいことがあるとすればずっとおうちで暮らしてた主人公が「グランド・アドベンチャーに行く!」(字幕では「大冒険」)と言って各国のセックス旅行に出るが、これはグランド・ツアーというものが近代ヨーロッパでは貴族の子弟の嗜みとしてあり、各国を旅して世界を学びつつ大人になりなさいという要するに金持ち版の修学旅行だが、主人公の諸国マン遊セックス旅行はこのグランド・ツアーになぞらえてのものだろうという程度だ。

いやそればかりか、海外の映画祭でのこれは変な映画だとかSNSでのとんでもないエログロ映画だとかいう評判からいったいどんなものだろう監督はクセモノのヨルゴス・ランティモスだしとワクワクしていたらである。なんだこれはエロくもグロくもねーじゃねーか! ひじょうに納得がいかないですよこれは! まぁグロに関しては良しとしよう、脳みそがボヨンと出てくる程度のグロ描写を果たしてグロ描写に含めてよいかということは疑問ではあるが、苦手な人から見ればこれは立派なグロ描写に違いない。

しかしエロに関してはおかしいだろ。たしかに主演エマ・ストーンのセックス描写が何度も出てきてそれが映倫のR18指定理由になっているが、世の中の大半の人間はなんだかんだセックスを普段からしているはずであり、とすれば見るにしても晒すにしてもこの程度のエロなど日常茶飯事のはずである。一方おれは5年に一度ぐらい風俗に行くとはいえ素人童貞であり、またエロ動画も月数回観る程度なので、この映画ぐらいのエロでも普段からセックスしてる勢と比べれば見慣れないエロのはずである。その俺がとくにエロく感じなかったエロ描写をセックスしてる勢がエロいエロいと騒ぐとはなんだ! まぁ騒いでいる人がセックス勢だという根拠は一切ないのでこれをエロいと言う人は全員童貞もしくは処女という可能性も捨てきれぬところであるが、だとしたらそんな感想がカジュアルに出てくるネット空間というのは童貞処女の巣窟ということになってしまうだろう。…そうなのかもしれない。

いやそんなことはどうでもいいとしてだ、つまり映画としての見所が思ったよりかなり薄かったのである。エロも弱いしグロも弱い、フェミニズムに関して原作以上の掘り下げや異なる視点の導入があるようにも思えないし、映像美映像美というが魚眼レンズで歪んだ映像や真上からの鳥瞰映像の多用はランティモスがこれまでの作品でも度々用いてきたいつもの手法の粋を出ておらず新味なし、背景にCGかなんかで手を加えてエル・グレコの宗教画に出てくる空の書き割りみたいな感じにしているのはレオス・カラックスの『アネット』で観たし去年の『ヒンターラント』という映画でもなんかおんなじようなのを見た。脳みそ幼児な主人公のあけすけ言動とそれに対する男どもの困惑反応には笑わせられたが、『ロブスター』の革命集団無音ダンスとか『聖なる鹿殺し』のスイカ割り殺しとかシュールなユーモアはランティモス映画の基本要素なわけだから、そうした飛躍が少ないだけこれはいつものランティモス映画からいくぶん毒や個性を薄めたような映画にさえ感じられたのだった。

頭の中がロッタちゃん状態のエマ・ストーンは超あどけな可愛くそれがどんどん大人に成長していくのを観ていたら(寝ていたが)謎の親目線でほっこりしてしまったのでまぁいいが、いろんな意味でこれはアンガールズじゃあるまいしわーわー言うような映画ではないんじゃないだろうか。ラストシーンはヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を引用した動物フリークスたちの箱庭楽園で、このへんはランティモス汁の濃いところな気がしたが、フェミニズムと快楽の園がどう関係するのだろうかと思えばやはりあんまり深い意味はないというか、面白いからやってみただけみたいな適当さが感じられなくもない。たぶんランティモスはフェミニズムにぶっちゃけ関心がなかったのだろう。

本当はもっと語りたかったんですよ俺は…ゴシック小説はおもに有閑夫人に読まれその二次創作的な活動によりジャンル化して云々でありアリエスが「子供の誕生」というように「女」もまたボーヴォワール史観に則れば近代に生まれた概念でありしたがってシェリーの時代が云々であるが「女」概念の誕生によって「人間」と「男」を同一視してしまう逆説的な男尊女卑に云々なので男女の区分の無効化を目指すポストモダン・フェミニズムこそが…云々、云々! しかし、『哀れなるものたち』はそのような含みと射程を持つような映画ではとくにないように思われたので、まぁ原作の方はどうか知らないが、そんなこと言ってもしょうがないしなみたいな感じになるのであった。

2024/02/09 追記:
ラストで『快楽の園』の引用をすることに意味なんてないだろと書き殴っておりますが、それからいやこれはキリスト教倫理の転倒を目的とした引用だったんじゃないかと思い直した。原作版に関しては読んでないのでなんとも言えないが、この映画版に関して言えば、主人公ベラの冒険がもっぱら性の解放に偏っているのは、フェミニズム的な意図というよりもキリスト教道徳に対する挑戦の意味合いが強かったんじゃあるまいか(キリスト教道徳すなわち「父」の道徳なので結局それはフェミニズムとほとんど同義ではあるのだが)。そのように考えればラストに登場するヤギ人間はヤギを聖なる生け贄とする聖書的思考(※キリスト教では反キリストの象徴)を茶化したもののように見えてくるし、『快楽の園』の引用もキリスト教倫理とその世界観を嘲笑するために用いられたものと理解することができる。ただしボスがどのような動機で『快楽の園』のような奇怪な絵を描いたかは不明であるし、ボスの工房による複製画も発見されていることから、『快楽の園』をその奇抜さから反キリスト教的な思考と結びつけるのはいささか安易かもしれない。

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カモン
カモン
2024年2月4日 1:42 PM

うん、この映画ね…
これ、話としてはすかすかで何の目新しさもないのを作ってる側も自覚しててそれをちょいと珍奇とかお洒落に感じられなくもない程度の見た目で装飾したというか覆い隠したというか…とりあえず観てるあいだ退屈するとまではいかないんだけど観終わるとだからなんなんだよと言いたくなるというかね
いや、エマ・ストーンはがんばってたしウィレム・デフォーはよかったしマーク・ラファロがカーーーント!って喚くところなんかくすっとしちゃったけどそれだけなんだよね。それだけにアカデミーに多数ノミネートされてるのはすごく納得しちゃったけど
とりあえずこの映画を手放しですばらしいすばらしい傑作だ傑作だとほめたたえる手合は信用できねえなあと思ってたので貴方の評がこういう内容でほっとしました笑

匿名さん
匿名さん
Reply to  カモン
2024年2月4日 2:01 PM

じゃあ多くの世界中の批評家が信用出来なくなりますね

カモン
カモン
Reply to  匿名さん
2024年2月4日 2:12 PM

そういうこと

カモン
カモン
Reply to  カモン
2024年2月4日 2:14 PM

ロジャー・イーバートあたりが存命だったらどうだったかなあと夢想することはあるかな