和製『X-MEN』(2000)+『ファンスティック・フォー』(2005)?
ってな感じのSFアクション映画『ストイレイヤーズ・クロニクル』が6/27に公開されるんで、原作読んでみた。
(6/30 追記:映画の感想書いた)
とりあえずあらすじ書く。
秘密実験で生まれた特殊能力を持つミュータントたち。
その一人である主人公は仲間とともに実験施設から脱走、今は絶大な権力を持つ人気政治家の下で、表沙汰には出来ない事件の処理に当たっていた。
そんな彼らの前に、アゲハと名乗る謎の殺人集団が現れる。
彼らもまた、主人公たちと同じように造られたミュータントなのだった…。
映画の予告編観るとミュータントがバリバリ闘うハナシかと思ったが、原作は案外そんな感じでもない。
どちらかっつーとリアリティの無いポリティカル・サスペンスって感じ。
分冊形式で、全三巻。それぞれ独立したエピソードが描かれて、ミュータント同士の戦いはそれぞれのクライマックスでチョコっと出てくるだけなのだった。
マァ映画はミュータント同士の闘いに焦点を絞って脚色してるかもしんない。
さてさて通して読んだ感じ、コレ冨樫義博のマンガ『HUNTER×HUNTER』(1998~)の、とくにヨークシン編にとても近い感じあった。
気取った言い回しとか人物描写なんかよく似てて、ミュータント同士の闘いに立場の異なる様々なヤツらの思惑が交錯する群像劇になってる、ってあたりも同じ。
要するにマンガ的なんであって、ト書きがいちいち説明的で冗長なワリに展開がスピーディなんで、サクサク楽しく読めるってなワケなのだ。
『HUNTER×HUNTER』っつーと少年マンガらしからぬ冷徹な視点とグロテスク趣味が売りの一つだったが、コチラはバンバン人が死ぬにしちゃあそんな感じない。
ミュータント以外の各々のキャラクターは現代社会の一側面を象徴するカタチになってるワケですが、そのためかとても記号的で、正直死のうが生きようがどーでもよくなってくる。
なので、いかに冷徹な展開にしようがグロテスク描写を入れようが、そんな風にはちぃとも感じないのだった。
それもまたサクサク読める所以かなぁ。
しかしマァ群像劇ではあるが、そんな具合にサブキャラクターは正直どうでもいい。ハナシの力点はミュータントの悲哀に置かれてる。
みんな特殊能力があり、他にもなんや色々とハンデがあるんで、俺たちゃ所詮人間じゃねーんだと思うようになる。
ワケあってみんな童貞・処女なのだが、そのあたりも鑑み、なんだかとても中二っぽい人たちである。
ミュータントの悲哀を描いたポリティカル・サスペンスっちゅーと、感じゲームの『メタルギアソリッド(MGS)』シリーズの1~3作目っぽかったりもする。
その『MGS』にとても影響を与えた映画『ブレードランナー』(1982)に出てくる人造人間(レプリカント)のキャラクターとも通じるトコ多し。
あるいは超能力もののSFドラマ『NIGHT HEAD』(1992~1993)みたいでもあるが、一番やってるコトが近い、というか多分影響を受けてんのはTVアニメ『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX(S.A.C)』(2002)だろナ。
ポリティカル・サスペンスって点でも特殊能力を持った人間の集団アクションって点でも似てて、その世界観もほぼ同じ。
サイボーグをミュータントに変換すれば、作品自体交換できそう。
なにか、色んな作品を連想させる小説である。
もちろん悪いコトじゃない。
マァ面白かったが、しかし俺としちゃ大分ひっかかるハナシだったなぁ、コレ。
ポリティカル・サスペンスって書いたけど、ポリティカルって言ったところで「悪い政治家が権力使って陰謀を企んでる!」程度の意味。
権力の絡み合いとか微妙な力関係が云々なんてハナシは無く、図式はとてもシンプル。「悪い政治家」を「ショッカーの親玉」に置き換えても一向に問題ナシ。
なので、実際の政治問題がたくさん出てくるが、リアリティとか全くない。
その扱いにしたって新聞記事のスプラップみたいな表面的なもんである。
リアルなら面白いってワケでもないんで、そんなのどーでもいいって感じもある。
でもアレだな、ハナシの作りとして各々のキャラクターを通して現代社会を描く、とゆー意図があるようで、そうなるとリアリティの無さってどーなの?とも思う。
記号化された単純なキャラクターをいくら織り込んでも、ソコにリアルな現代社会なんて出てこないじゃない。
だったら吹っ切れてさ、近未来かなんか舞台に自由に想像力羽ばたかせてハナシ作ったら良かったのに。
リアリティの無いリアル(っぽい事柄と舞台)の導入が、なにかせっかくの特殊能力持ちミュータントたちを殺してるよーな気がすんのだ。
そのミュータント、ぶっちゃけ全部どっかで見たコトある能力ばかり。
それは別にいいが、ミュータントの悲哀が全部中二レベルの悲哀でしかないってのはなんかなぁ。
基本的にモノローグでミュータントの悲哀を描写してて、そん中で要するに「俺たちは孤独だ」とゆーコトを言う。
でも別に、その孤独なミュータントが誰かとコミュニケーションを取ろうとして失敗する、とゆーような展開は無いんで、単なる中二的自己憐憫に思えちゃうのだ。
あるいはなんでもないセリフの中に悲哀を見出す、ってなコトも無かったなぁ。
どいつもこいつもひたすら気取り腐ったセリフを吐くばかりだが、その会話とゆーのは一人が一方的に自分の言いたいこと言って相手が頷くパターンと、話者がお互いにお互いの考えてるコトを先読みするパターンしかない。
ダイアローグじゃなくて、これも結局モノローグの延長なのだ。
ハナシはやがて、人類の存続に関わるとても壮大なモンになってく。
それなのに、この小説には徹底的に他者がいない。
なんかそーゆーの、俺はすげーイヤになっちゃうのだ。
ある意味、他者がいない世界とゆーのは今のリアルなのかもしんないナァ。
俺はまったくそう思わんが、そう考える人にとっちゃリアルな小説だろナ、コレ。
ハナシ的には全く違うが、その意味で思い出したのは『マトリックス』(1999)と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)、とゆーか押井守監督の映画だった。
で、こーゆー映画では他者の不在がもたらす孤独と反面の優越感が、主人公を超越へと導くんである。
「俺たちは人間じゃない」
と言って、『ストレイヤーズ・クロニクル』のミュータントたちは自分の中の他者性を自ら退ける。そうして自分たちの存在を正当化する。超越する。
だから、彼らはハナシの最後で人類に審判を下すコトが出来たのだった。
モノローグの中でなんだけど。
【ママー!これ買ってー!】
面白いんだよナァ、『HUNTER×HUNTER』。
いかにもな冒険もの少年マンガから始まっけど、8巻のヨークシン編に入ったあたりからすげー青年誌的な展開になって。
18巻からのキメラ=アント編は少年誌の限界まで行った感じある。ハードコア。
ヨークシン編とキメラ=アント編を合わせるとほぼ『ストレイヤーズ・クロニクル』になる。
『HUNTER×HUNTER』の方は主人公すら途中で半ば放棄して感傷と感情移入を退けるんで、『ストレイヤーズ・クロニクル』みたいな甘い感じとか全然ないが、どうなるか分からない緊張感は物凄い。
なんでもない脇役もとても良く描きこまれてるんで尚更。
別にどっちが優れてるとかそんなハナシじゃないですが、見比べてみると面白いんじゃないすかね。
↓その他のヤツ
ストレイヤーズ・クロニクル ACT-1 (集英社文庫)
ストレイヤーズ・クロニクル ACT-2 (集英社文庫)
ストレイヤーズ・クロニクル ACT-3 (集英社文庫)
ストレイヤーズ・クロニクル DVD
ストレイヤーズ・クロニクル [Amazon プライムビデオ]