《推定睡眠時間:0分》
なんかこれ観に行く前にブルスカの映画フィード見てたら「今回は前作と違ってテンポの良い戦争アクション!」みたいな感じの感想が目に留まったからそういうものなのかと思ってたら「えっ…」ていう。いやこれ逆に前作よりテンポ悪くなってない…? そんなにドンパチばっかやってるわけでもなくない…? その感想齟齬の謎すぐさま判明。俺前作わりと寝てたわ20分ぐらい。20分は俺の基準だと短睡眠なのだが映画を20分カットすると考えるとこれは決して短い時間ではない。前作の上映時間155分。エンドロールが10分とすると正味145分。そこから20分引けば125分だ。それはテンポも良くなるわけである。睡眠編集版の前作『DUNE/デューン 砂の惑星』は俺にとっては実に快適テンポの映画だったので前作がストーリーの進みが遅くて退屈と思ってる人に見せてあげたい。テンポが良い代わりに台詞での設定説明などが大幅にカットされているのでストーリーはよくわからないと思うが。
20分寝た前作に比べてこちらPART2の方は一睡もしなかった。と書けばそれはやはりエキサイティングな映画だったからだろうと思われるかもしれないが、俺の印象はむしろ逆で、前作の方が全然エキサイティングなSF映画だったと思う。というのも前作はなんというか強い画が多かった。ハルコンネン男爵とかいう太って自力で動けない人がタールみたいな黒湯風呂からぬーっと顔を出すところとか、男爵の配下の部隊が空中浮遊してスッと戦闘配備につくところとか、前にデヴィッド・リンチが同じ原作を映画化した時と比べて5倍ぐらいでっかくなってた砂虫が砂漠から現れるところとか、おおっ、これは異世界、これはSF映画だ! というシンプルな驚きが俺基準では結構各所にあったものだから、とくにテンポが遅いとか感じることもなく(※寝ていたからでもあるが)、好き嫌いはともかくその作品世界に没頭できたんである。
それにひきかえ今作はどうだろう。前作で登場人物とか舞台設定の説明は済ませてあるのでそれをコマにして叙事詩の形式でストーリーが大きく進展することになるのだが、どうもこれがつまらない。だって前作で説明が済ませてあるということは今作では新しいもんは基本なんも出てこないということなんである。前作でスクリーン越しに異臭を漂わせていたハルコンネン男爵はなんか何度も見ているうちに普通のデブに見えてきてしまい、戦闘部隊の空中浮遊も最初の方にちょっと出てくるだけ(この部隊の黒い宇宙服みたいな戦闘スーツ超かっこいいのだが)、そしてなにより砂虫である。
前作の砂虫はとにかくデカい上に顔見せする程度だったのでなんかこれはすごいぞと思わせたのだが、今回はもう砂虫が何匹も普通に出てきちゃってベビー砂虫が砂から飛び出してその全体像を見せるシーンまである。前作の神秘のベールに包まれた砂虫はどこへ行った。これでは単なる異星生物ではないか。砂漠の民のみんなで砂虫バスに乗っておでかけするシーンとかもう神秘も何もあったもんじゃない! 砂虫バスは原作準拠だろうから仕方がないにしても、砂虫の神秘性を剥ぐようなケレン味を欠いた演出はいかがなものか。というのも原作を読んだことがない俺が言ってもまったく説得力がないのだが、ニューエイジャーのバイブルともなったこの『デューン』という原作小説群、良くも悪くもオリエンタリズムと表裏一体の神秘性(オカルト性とも言う)が作品の核になっているのであって、神秘性を欠いてしまってはそれを原動力とするロマン主義的なSF大河ドラマも上滑りしてしまうんじゃないかと思うんである。
事実、画作り中心だった前作と対照的に今回はストーリーが映画の中心になっているが、そのストーリーがあんまり面白くない。まったく面白くないとは言わないがあんまり面白くない。砂の惑星に追放された超人貴族の主人公は今回帝国に搾取され続ける砂漠の民の側についてその予言にある救世主として生きるべきかそれとも別の道を選ぶべきかと一応悩んだりとかするわけだが、この予言がほぼほぼ説明台詞の中でしか出てこない点なんか致命的ではないかと思う。
原作『デューン』の影響も多分にあるであろう宮崎駿の映画版『風の谷のナウシカ』にはタイトルバックに予言の内容を記した壁画が出てくるし、その後何度も回想とも空想ともつかない神秘的なイメージ映像なんかが登場するので、風の谷の人たちが信じる予言の世界が観ているこちらにも伝わってくる。そのうえ冒頭からして終末感が強烈。あまりに強烈なのでオウム死刑囚の井上嘉浩はビデオ録画したこの映画を観たその夜にクンダリニーに覚醒したと証言しているほどだが、それはともかく『風の谷のナウシカ』には「これなら民が予言にすがる気持ちもわかる!」とひじょうに納得感があるわけである。よって、気分が乗る。
翻って『PART2』はというとこれがないのだ。よって、気分が乗らない。叙事詩の形式で主人公側、砂漠の民側、帝国の側、ハルコンネン家の側、と原作のストーリーを(おそらく)可能な限り省略することなく描いているのは良いが、単にこういうことがありました、こういうことがありました、こういうことがありましたが続くだけで、ドキドキもワクワクもビックリもなんもない。それはストーリーが悪いということではおそらくなく、まぁメリハリのない弛緩した演出も悪いが、根本的には作り手が『デューン』の物語の持つ神秘性を捉え損ねているからではないか、と思う。早い話、今回の『デューン』にはリンチ版にあったようなセンス・オブ・ワンダーがなかったのだ。
最近はSF映画ばかり撮っているドゥニ・ヴィルヌーヴだが俺はこの人はあんまりSFには向いてないんじゃないかと思う。『ブレードランナー 2049』だって『ブレードランナー』最大の見所といっても過言ではないあの未来の街の魅力がまったくなかったし、『メッセージ』にも原作の『あなたの人生の物語』にあった価値観の転換が表面的にしか描かれていなかった(それはまぁ脚本が悪いとも言えるのだが)。コンセプチュアルな強い画を作ることに長けているヴィルヌーヴだが、その発想はヴィジョナリーなものではなく現代美術的な批評を包含したメタ視点からのものと見え、それが画面の洗練の代償として映画からSF的ワンダーを奪ってしまっているのかもしれない。
クレバーなヴィルヌーヴはこの世の外に別の世界があるなんてことは信じない。今目の前に広がる世界が5秒後にまったく別のルールが支配する世界に突然なんの前触れもなく変形してしまうなんて妄想を抱くこともない。だからヴィルヌーヴが描くSF世界はどれを観てもSF風の背景の前で演じられているだけの現代劇に見えてしまう。それはつまりヴィルヌーヴはとても真っ当な感覚を持つ信頼できる常識人ということだが…ことSFに関しては作り手が常識人であることが足かせになったりもするんじゃないだろうかとはやはり思ってしまうのだ、こういう映画を観ると。
※スパイス収穫用と思われる移動要塞みたいなのを襲撃するシーンのアクションとかはよかった。でも言うほどアクション満載という気はしないのだが…。
※※あとこれ前作の感想にも書いたかもしれないですけどハリウッドの『アラビアのロレンス』コンプレックスみたいのなんなの?
前作のほうがとっつきにくいかもしれないけど画の力が強くてかっこよかった。今作は画の強さが薄れて(慣れ?)ずいぶん見やすくなってさくさく進みすぎるくらい進む。見やすくなったぶん今作は未来の地球のどっかの砂漠地帯で起こってることに見えてしまう。前作は違う惑星での出来事に見えたけど
砂蟲の扱いはひどいよね
前作だと神秘に包まれたフレメンにとっては高貴な生きもの(だから歯から作られたクリスナイフが聖なるものだった)のに今作で急に御せるものになってしまった
砂蟲ライドほんとはもっと危険で死傷者とか普通に出るんだろうけど初挑戦のポールがあっさり成功しちゃったせいもあって簡単な行為に見えちゃう。ラストではチャニがウーバーかリフトでも呼ぶみたいに乗ってっちゃうし。おまけに幼生っぽいのが溺死させられて青い体液がドラゴンボールの超神水みたいに利用されちゃってたし砂蟲とは関係ないけどスティルガーが馬鹿になってたし
見て損したと思えるような駄作じゃないしネタ的に見れば退屈もしないんだけど前作より今作のほうが世評が高いというのはなんだか色々と不安になるかな
わかりやすい見所はたしかに前作よりこっちの方が多いんですよね。ストーリーもサクサク進むしキャラの感情なんかも理解しやすいし。でも前作の方がヴィルヌーヴの「これが撮りたいんだよ!」みたいなのが見えてアツかったなぁ…。
キャラの感情わかりやすすぎて後半になるとチャニの険しい表情見るたび噴き出しそうになっちゃった
めちゃくちゃ怒ってましたね…主人公もちょっと謝ればいいのに…