《推定睡眠時間:0分》
この映画とは日本公開が一日違いの『毒親』という韓国映画もあるらしいので『毒親』と『毒娘』で合わせて毒々映画だなガハハという感じで(※どう考えても配給は俺みたいなバカな客を狙ってる)ハシゴして両方観ようと思ったのだが時間の都合により金曜夜の仕事帰りにこちら『毒娘』だけ先に観ることになってしまった。えー金曜夜はなんかもうちょっと派手なっていうか開放感のある映画が観たいけどなーこれ世界が狭そうな気がするしなーとあんまり気乗りしなかったがそこは監督が『先生を流産させる会』(未見)や『ミスミソウ』そして『牛乳王子』の内藤瑛亮、ポスターには漫画『惡の華』の押見修造の名前もあったからまぁでも面白い映画にはなっているだろう、なんだかんだ観る前はそのように思っていた。
…まぁ、細かい感想はとりあえず置いておくとして、エンドロールめっちゃ短かったわ。1分もなかったと思う。配給がクロックワークスだからそれなりの予算規模の映画かなと思ったがこれはこのエンドロールの短さは映画美学校の卒業制作映画に毛が生えたようなものだね、映画美学校ってほら高橋洋とかが講師やってる。内藤瑛亮そこの卒業生で『牛乳王子』もたしか卒制映画のはずだ。そういう映画と知ると観ているうちに感じたあれこれもわりと成仏した。こちらも美学校卒業生の大畑創による『へんげ』と同じ頑張ったな枠のジャンル映画というか…いやちゃんと他の映画と同じお金払って観てるんだからそんな形であれこれを成仏させてはいけないのだが、でもほらお金ないとやっぱり映画って作れないから…。あと押見修造はてっきり原作かと思ったがそうではなく登場するサイコ系女子のキャラクターデザインだけらしい。それはストレートにふざけんなと思う。
えー、その押見修造デザインの毒娘ちゃんですが、この人は真っ赤な服を着て大きなハサミ持ってる浮浪少女で、なんでもない住宅街の一角に位置する平凡ハウスになぜか異様に執着しているらしい。この毒娘ちゃんがハサミで空き家だった平凡ハウスに侵入した高校生カップルを惨殺するオープニングでオッそういう感じの映画なのか、と少しだけテンションが上がるが、これは本筋とはあまり関係のないところで、以降は平凡ハウスに引っ越してきた平凡核ファミリーのお話になる。
この家族一見仲良しなのだが夫がやんわり口調で自分の意見を押し通そうとするタイプの人で、そんな夫の言いなりになっているふわふわタイプの後妻(先妻は死んだとのこと)に登校拒否中の血の繋がらない娘はイラついている。そこに毒娘ことちーちゃん襲来。家の中をめちゃくちゃにして去って行くが、それからもたまにちーちゃんは家を訪れるようになり、娘はいつしかちーちゃんのパンクスピリットに感化されていくのであった。つまりちーちゃんというのはちゃんと実体のある存在ではあるのだが、作劇上は娘の心の内を代弁する、ユング心理学でいうところのシャドウというわけ。
そんなわけだから冒頭でちょっと期待させたスプラッターな展開にはならず…というのはもはやこの際どうでもいいことで、決してつまらなくはなかったのだが、俺がこの映画を観ながらひたすら思っていたのは「内藤瑛亮こんな下手だったっけ…?」であった。演出も脚本も下手。撮影も良くない、編集も良くない、音楽は…良いとか悪いとか以前にあんまり鳴らない。とりわけ下手さが目立っていたのはラストの対決シーンで、これはなんというか…アクション設計が動きの面でもカット割りの面でもできていないので盛り上がらなくて困ってしまう。なにか、これをこう撮らなければという意志のようなものがまるで欠如している。とにかく現場を回すので精一杯という感じがある。
お金、なかったんだろうなぁ…しかしお金がないならないでせめて脚本はもう少し練ることもできたんじゃないだろうか。たとえばこの手の低予算映画では警察をたくさん出すことは予算的にできないので(パトカーなんかに使ってる金も時間も現場にはないんだ!)警察が話をロクに聞いてくれないかやたらと無能で使えないというのが定番だが、それをこの映画もしっかり踏襲しており、最初のちーちゃん襲撃(不法侵入して家の中を荒らしまくり娘をハサミで殺そうとする)の際に警察を呼ばない時点で相当に無理があるのに、次の襲撃でさすがに警察を呼ぶと担当の刑事がなんとちーちゃんの両親という人を連れてきて「こちらのお子さんなんです。よくやってるんですよ」とかのたまう。
そんな刑事がサメ映画かゾンビ映画以外でいるわけないだろ。その後の警察がいくらちーちゃんを探しても(※探してるシーンはありません)ちーちゃんが見つからないというのも近所の人かなんかも「どうせ捕まっても補導ですぐ出てきちゃうからね」とか言って殺人未遂通り魔少女がそこらへんを徘徊している状況を受け入れてしまうというのもそんなわけあるかZ級じゃねーんだぞと言いたくなる雑さ。いや、てかそれならちーちゃんを幽霊みたいな存在にすりゃいいじゃん普通に。なんて実体のある存在としてシナリオを組むんだよ。無理があるだろそれは。
ちーちゃんが幽霊で家のどこかに追い詰めたはずなのにふわっと消えてしまったとかそういうシーンを作れば警察にいくら言っても相手にしてもらない展開に説得力が出るから警察をたくさん画面に出さないで済むのに、わざわざ生きた人間の設定にしてちーちゃんの両親まで強引に出してるから変なことになってしまう。内藤瑛亮なら低予算で映画を作ることには慣れているはずだしシナリオの時点でこれは撮れるこれは撮れないなんてわかるだろうからなんでこんな無茶な設定にしたのかと思う。ちょっとしたオリジナリティを出そうとしたのかもしれないが…そうかと思えば『CURE』、『下女』、『ハロウィン』(オリジナル)のそのまんますぎるオマージュシーンが見せ場として恥ずかしげもなく登場したりするのだからなにそれ?
俺の見たところでは内藤瑛亮はミソジニーを強みとする映画監督であり、女の人に対する恐怖がそのホラー映画になんともイヤァな迫力を与えていたように思うが、今回は女の人たちの感情の機微やドラマを面白いかどうかはともかくこれまでになく丁寧に撮っていたので(しかしそのことでかえってステロタイプな女性人物造型が目立ってしまった)、そのへん本人も自覚があって「俺このままじゃいかんわ…」的な反省からこういう映画を作ったのかもしれない。その志は立派かもしれないが(別にミソジニー映画監督でもいいと思うのだが)出来上がった映画をとくに忖度なく眺めれば、いくつかの歌舞伎的なケレン味のある見せ場シーンを除けば、これはもうラッキー・マッキー×ジャック・ケッチャム×ポリアンナ・マッキントッシュによるフェミニズム・ホラーの極北『ザ・ウーマン』を10倍希釈したぐらいの失敗した安映画としか言えない。
『ザ・ウーマン』はかつて渋谷にあったジャンル映画の避難所シアターN渋谷で観たが、ホラーマニアの内藤瑛亮も絶対同じ映画館で『ザ・ウーマン』を観てるに違いないので、『ザ・ウーマン』を観た上でこの出来というのは喝だ喝。罰として内藤瑛亮さんは『ザ・ウーマン』をあと100回観て下さい。そしてこれを読んでいるみなさんも配信ないからと諦めたりせず宅配レンタルでもなんでも活用して『ザ・ウーマン』を観て下さい。『ザ・ウーマン』はめっちゃおもしれぇから! あとちょっと泣く最後の方!
※娘を演じた植原星空さんは三白眼がなかなかホラー映えして良かったのだが、その個性があまり生かされていなかったのが残念。