《推定睡眠時間:50分》
この映画の原作のことはよく知らずポスターを見たらなんか恋愛ものっぽかったのでじゃあ観ないでいいやこないだ『パストライブス/再会』観たし、ところでこれの正式邦題表記は『パスト ライブス/再会』でパストとライブスの間にナカグロではなく半角空白が入りそういえば『ボーンズ アンド オール』もそのパターンだったので女性誌が取り上げがちな最近の映画の邦題にはナカグロの代わりに半角空白を入れるカルチャーが来てるの? とか思ったりしていたのだが、Blueskyの映画フィードを見ていたら「原作は山田太一の私小説的SFだが…」というポストが目に入り、え、そうだったの!? 恋愛なら別に観ないでいいけどSFなら観るよ! ということで急遽予定を変更し映画館へと入ったのであった。
…騙された! いや別に誰も騙していないのだがこれは騙された、事実はともかくそう言わねば気が済まない映画であった。なるほど、たしかにSF要素もないこともないとも言い切れないこともなくはない可能性もないでもないかもしれないのだが、ジャンルで言えばやはりSFではなくラブストーリーもしくはヒューマンドラマだろう。金には困っていないが孤独を抱え空虚な日々を過ごしている脚本家の主人公はある日のこと町で死んだはずの両親を見つける。それからというもの彼は夜な夜な死んだ両親に会いに行くのだが、それは両親の存在と共に忘れていた彼の心の傷を再発見する行為であった。主人公は同じマンションに住む恋人にそれを告白するが、すると恋人もまた主人公と同じように傷を持つ人間であったことがわかる…。
SF要素というのは言うまでもなく死んだ両親との再会の部分だが、原作とか日本での映画版はどうか知らんがこのイギリス映画版では死んだ両親との再会はかなり明確に主人公の空虚な心が生み出した幻想として解釈されていて、そのシナリオ上の機能は周囲に心を閉ざしていた主人公が恋人に本心を曝け出させることにある。要するに死んだ両親との再会というファンタジックな出来事が作品の核になっているのではなく、あくまでも主人公と恋人の関係の深化が作品の核であり、お互いに慰め合って生きていこうねみたいな感じで終わるのですごくなんか夢のない映画であった。
夢はないがエモはある。もうひたすらにエモい。エモすぎる。最近の映画だと『aftersun/アフターサン』と雰囲気が似ている気がしたのだが、ヒーリング・ミュージック風のBGMが最初から最後まで基本的に途切れず流れ続け、登場人物は主人公とその両親および主人公のほぼ4人だけなので親密な空気が画面を覆い、対比的に切り取られたロンドン市街地の無機質な景観がそれを補強する。主人公が自分の住むマンションを外から見上げるシーンは印象的だ。このマンションの格子状にデザインされた外壁が、まるで主人公を閉じ込める牢獄のように見えるんである。これは序盤のシーンだから主人公の心境のメタファーだろう。死んだはずの両親との交流、そして恋人との交際を通じて、主人公の心は牢獄から解放されるのだ。
主人公はゲイなので小道具として印象的に用いられるのはゲイのセックスを歌った「リラックス」で有名なフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドとこちらもゲイ人気の高いペット・ショップ・ボーイズ。そういえば『アフターサン』も主人公はレズだったしデヴィッド・ボウイ×フレディ・マーキュリーのデュエット曲「アンダー・プレッシャー」が印象的に使われていた。ゲイアーティストの懐メロ、主人公の同性愛、過去との交流、それと冷たい都市との対比、そこから生まれる激烈エモ。こう考えてみるとやはりとてもよく似ている『アフターサン』と『異人たち』で、ただでさえエモにステータスを全振りした映画なんか鼻で笑ってるのに、そうか『アフターサン』も『異人たち』もイギリス映画だから今のイギリスではこういう映画が流行っているのだろうとか思うと、そりゃあもう白ける。なんだかとてもインスタントで作り手の創意や思想が感じられない気がするのだ。
別にそれでもいいがそれなら今の客にはこういうのがウケると思ったから撮っただけですって言えばいいのに、さも深遠な思想のあるアート映画のごとく配給や客どもから扱われ、作り手の側も都合がいいもんだからそれを否定しないというのがムカつく。ムカつくがしょうがない、まぁしょうがないことだ。いつの時代でもきっとそうに違いないのだが、大抵の観客は映画だろうが絵画だろうが音楽だろうが、エモいものが立派なもので、エモいものが真のアートで、むしろ逆に、エモいからこそそれはアートなのだと思ったりするものだ。当然ながらそんなわけはなく、エモなんかそのジャンルに造詣の深くない人に作品を売りつけるためのわかりやすい商品価値でしかないとまぁ俺は思う。
とはいえ、そういう映画として割り切れば別に悪い映画でもないかもしれない『異人たち』である。開始1分ぐらいで既にエモいのでサッとエモくなりたいタイパ重視の人にはおすすめできる。『コマンドー』は開始1分で血圧が上がるが『異人たち』は開始1分でエモくなるということで、これはもしかするとエモ業界の『コマンドー』なのかもしれない…!
山田太一『異人たちとの夏』がSFって… でも、松竹映画HPの特設サイト『松竹映画 100年の100選』になると、大林宣彦監督版同作品は「お伽噺といって笑えない」映画であると松竹社員が執筆。この『100年の100選』にかかると、三木卓『震える舌』も、「恐怖を描くことで定評のある野村芳太郎監督」の「ホラー映画」になっちゃうんですよん。うわ〜コワ。
で、『異人たち』。
主人公にアンドリュー・スコットをキャスティングしちゃった時点で、もう、既に何というかブラック・ジョーク路線? シニカル・ギャグ狙い? の匂いがそこはかとなく。
エモいかシニカルティか、それが問題だ。なんちゃって。
『異人たちとの夏』はともかく『震える舌』はまぁ『エクソシスト』に便乗しようという制作の経緯からいえば確かにホラー映画ですからね…笑
『異人たち』の方はクソド真面目な映画でした。笑うところ一切なし。日本とイギリス…というかイングランドの家族観の違いを感じて興味深い気はしましたね。
ジェイン・オースティンとか読んでると、鋭く辛辣な人間観察描写がメガ盛りビシバシで思わずうはは〜♪で仰け反ってしまいますが、小説のメインはあくまでも「ラヴ・コメ」ですからねー もう、お国柄というか。
植民地政策のため、見せ掛けに容認してしまった多文化社会。
その綻びに現代のイングランドが絡め取られているんスかね。
それにしても、お盆に御先祖様が……なので山田太一の原作タイトルに「夏」がくっついっているわけで、それ取っちゃたら、あえて山田太一原案を謳う意味無いんじゃね、とフツー思いません?
あ、原作はお盆だから死んだ人が帰ってくるんすね。なるほど…じゃあこっちはハロウィンの時期にでも設定すればよかったのに。この『異人たち』はなんか『クリスマス・キャロル』みたいな感じになってましたねぇ。