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エピローグとして付されているウクライナ戦争初期のポーランドによるウクライナ避難民受け入れのエピソードがなんとも皮肉である。一般的には美談的に受け止められがちなこの話も当然ながら最大180万人ともされる急激にして膨大な人口流入にポーランドのようなさして大きくもない国が影響を受けないわけもなく、おそらくウクライナ戦争の主戦場が実質的にドンバスに限定されている現在ではウクライナに帰還した住民も数多いと思われるので現在はある程度緩和されているだろうが、たとえば下の記事などからは避難民受け入れに伴うポーランド社会の軋轢が見て取れる。
ウクライナから180万人を受け入れる隣国の今 侵攻10カ月、関心減り支援疲れ シェルター運営者は悲鳴(東京新聞)
とはいえ現在の国境線が定まるまでには領土が重なっていた時期もあることからウクライナとポーランドの交流は深く、同胞のよしみというやつで多少の痛みは伴ってもポーランドはウクライナ避難民を受け入れた。その一方でポーランドが徹底排除の方針を取った避難民がいる。親ロシア国ベラルーシがポーランド国境に向けて送り込んだ「人間の銃弾」とも称される人々で、これはベラルーシのルカシェンコ政権がベラルーシ経由なら安全なEUに入ることができると(当然EU側の合意なく)喧伝して集めた各国の難民の人たち。その背景にはEUとの関係悪化があるらしい。
ポーランド、ベラルーシ国境で移民流入を阻止 双方が非難の応酬(BBC NEWS Japan)
え、ベラルーシさんが無料で難民送迎してくれたんですか? ありがとうじゃあこれからはEU各国に難民の人に住んでもらうわ! これで俺の国際的評価うなぎのぼり間違いなし! と俺がEU帝国大統領ならむしろ安価な労働者の増加に喜んでしまうところだが、世の中の多くの人は俺のように薄情にしていい加減ではないので異なる文化圏から来た難民とくればテロだレイプだなんかわからんが犯罪者だと警戒して、日本もその例外ではないが基本的に難民の人には入ってきてもらいたくないようである。
ウクライナからは180万人も受け入れたのに、数的に言えば具体数は不明ながらその十分の一以下ではないかと考えられるベラルーシからの難民群は、まぁおそらく難民キャパの問題というよりもベラルーシの嫌がらせになど屈してなるものかという政治判断の方が強かったんだろう、ポーランドが受け入れることはなかった。そのため行き場を無くした難民たちはポーランドとベラルーシの間を行ったり来たりしながら餓死や凍死をすることになったという。原題の『GREEN BORDER』はこの国境線が森林地帯にあることを意味しているが、それを『人間の境界』と意訳した邦題は地味ながら良い仕事だと思う。人間は自分たちの仲間ではないと感じる人間はいともカンタンに虐殺することができる。
少なくともポーランド政府にとってウクライナ難民は仲間であり、そして人間だったが、ベラルーシからの難民は仲間ではなく、従って人間でもない。人間ではないのでポーランド/ベラルーシ両国の国境警備隊の兵士たちはそれを文字通りモノとして扱い飢えようが凍えようが人として当然すべき支援をすることもなく死ぬに任せたし、そうした非人道的な政府・軍部の対応を非難する人々も双方の国に当然いるとしても、いずれも国民全体としては容認していた。それは難民に対する日本の入管対応の非人道性が再三指摘されながらも政権を解散に追い込むほどの大規模な抗議デモなどは決して起こらないし俺も別に起こそうとしないのと同じである。われわれもまた緩慢な虐殺を日々容認しながら生きているわけだ。
「入管」でなにが “ブラックボックス”の実態(NHK News)
そうした現代の虐殺の形をきわめてハードに描き出したのがこの映画『人間の境界』であった。虐殺される難民グループの視点で綴られた序盤は近年の作で言えば虐殺映画の傑作『アイダよ、何処へ?』と肩を並べる緊張感と悲惨さ、その後映画はポーランド国境警備隊の新兵男の視点になるがもう散々ヒドい光景を見ているのでお前頑張ってその場にいる兵隊全員殺しちゃえよとか思ってしまうほどである。もっともポーランドの側にも政府・軍部の虐殺行為に黙っちゃおけねぇという立派な人々がいて、後半は従来から活動を続けていたこの人たちと新たに加わった精神科医の視点で物語が進んでいく。
この構成自体は虐殺の現場を多角的に眺めるという意味で悪くないが、ただ最終的にちょっとハッピーエンド気味というか、積極的なものであれ消極的なものであれポーランドのごく少数の善良な人々のがんばりでなんとか助けることのできたベラルーシからの難民の人もいたという着地をするので、まぁ比べるものでもないのかもしれないがそこらへんは最後まで冷徹さを崩さなかった『アイダよ、何処へ?』に及ばない。こちらにはどうも、希望といえば聞こえはいいが、ポーランドという国とその国民が犯した難民虐殺に対する「でもわたしたちも努力はしたんだよ」的なエクスキューズが透けて見えるのだ。どうせ受け入れるつもりがないのなら偽りの希望なんか映画とはいえ描かない方が難民の人たちのためになると思うのだが(「ポーランドに行くと虐殺されるらしいぜ」「え! マジかよ! EUだし安全な国だと思ってたのに…じゃ行くのやめよ!」ってなるじゃん)
それでもこれは力作、それもかなりの力作であることは間違いないし、あえて今観るべき映画を1本選ぶとしたら、俺はテレビとかネットとかでたくさん観られるウクライナ戦争やガザ虐殺の映画よりも、この映画を推す。だって今の日本でポーランド/ベラルーシ虐殺の話なんてしてる人なんて全国で15人ぐらいでしょ(推定値)。それにウクライナ戦争はヒドいガザ虐殺もヒドいとそういうニュースなり映画なりを観ればみんな言うわけだが、じゃあその人たちが助けを求めて日本にたくさん来たらヒドいヒドい言ってるあんたらは受け入れてくれるんすか? という重要な問いかけはこれらのニュースや映画には含まれない。なにもヒドいことが起きているのはウクライナとガザだけではなく現在進行形で世界各国でヒドい目に遭っている人たちがいるのだ。世界のニュースといえばすっかりウクライナかガザかという昨今、そうした悲惨極まる世界に目を開かせ、「じゃあお前はどうなんだ」と突きつけるこんな映画はまったく貴重、実に観る意義のある映画じゃあないかと俺は思う。
それにしても、人間が他者を人間と見なす/見なさないの境界線はどこにあるのだろう。ガザで人が死んだと聞けば今の日本ではおのれーイスラエルめーと噴き上がってガザ地区のパレスチナ人に連帯します! と言ってのける人はツイッターなんかにはたくさんいるが、難民を乗せた船が難破してEU入りを目指してた難民の人がたくさん死にましたというニュースは年に5回ぐらいある気がしているのに、だからといって難破船の人たちと連帯します! なんて言う人を少なくとも俺は見たことがない。そうした人間の認知のおかしさも、この映画は教えてくれるんじゃないだろうか。それで別に何か変わるわけでもないだろうが、「良い難民/悪い難民」という無意識的な振り分けの根拠の無さと滑稽さを自覚しておくことは、まぁ悪いことではないでしょう。