『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』こんな本です感想文

前にこのブログで本の感想文を書いたのはいつだったかなと思って前回の記事の日付を見ると2022年8月9日。相当久しぶりの読書感想文なわけで、それが賛否渦巻く問題作『トランスジェンダーになりたい少女たち』で果たしてよいのかという感じもあるのだが、読んでいたら前に観た何本かの映画と繋がるところが結構多かったので、いつもであれば映画本の感想文を書いたりするこのコーナーではあるが、今回はこの本の感想を書いてみようと思う。

さて早速なのだが結論から言うと面白い本だった。どのような面白さかと言えばふへーアメリカって今こんなことになってるんだーという面白さ。これはアビゲイル・シュライアーというジャーナリストの人が最近欧米で増えているというティーン女子の性別違和の急増について性別違和の当事者であるとかその親であるとか医療者であるとかトランスジェンダーのインフルエンサーであるとか、それに関わるいろんな立場の人にインタビューをしてエッセイ風にまとめたもので、人によってはそこが癪に障ったり逆に物足りなく感じたりもするだろうが、肩肘張ったところのない軽妙な筆致で綴られる現代アメリカの思春期女子事情は、文字で読むアメリカ旅行の観あり。

行間からジャーナリストというよりも母親(著者は三児の母)のため息が聞こえてくるようなその文章は時に頭が硬いなーと苦笑いさせられたりもするが、決して中立を気取らず個人的な視点で書かれているために誠実だし(あたかも中立であるかのように装うジャーナリストこそ不誠実なのだ)、取材の部分とそれに対する自分の見解のバランスは良いので、医療ノンフィクションとまでは言えないが現代アメリカの一断面を切り取ったルポルタージュの好著ぐらいは言っていいんじゃないかと思う。そう書いてもイメージが伝わりにくいだろうから俺がこの本の中でいちばん気に入っている箇所を引用しよう。これは声を上げて笑ってしまったところである。

トランスジェンダーの大流行が精神疾患の流行のひとつに過ぎないからといって、なぜトランスジェンダーなのかという疑問の答えにはなっていない。非常に多くの熱狂が流行っては消えていった。連続殺人はほとんどなくなった。銃乱射は増加。過食は減っているかもしれないが、自傷と自殺は急増している。ひとつの熱狂が収まると、またひとつが定着する。いったい、なぜなのか? アメリカ人が飲む水に、何か混じってでもいるのだろうか?

ちなみに、チンコが小さいことを男子に笑われたことに怒ったチン小男性がアメリカ人が飲む水にチンコ増大剤を混ぜたことでアメリカ中の男たちがチンチンをブラブラさせながら女たちを殺すミソジニスト・ゾンビになる『ザ・テイント 肉棒のしたたり』というゾンビ映画は日本では1度ゴアフェスで上映されたのみで配信もソフトも出ていないが、これはなかなか(いかにアメリカ社会のマチズモとミソジニーが根強いかという)社会風刺が効いていて面白いので、興味があればごらんください。

いろんな立場の人に取材をしている本なので論点は広いが、そこから俺なりにこの本のいちばん大事なところを取り出してみれば、それは性別移行治療のリスクを患者本人はもちろんとして医療者やセラピスト、学校やトランスジェンダー・インフルエンサーなど、その周囲の人たちが本当に正しく把握しているか、ということに尽きるのではないかと思う。仮に技術が発達してその日の気分で男になったり女になったりできるゼロ副作用の薬が発明されればそんな必要はなくみんな自由に薬飲んで男になったり女になったりすりゃいいわけである。

けれども現在の性別移行治療は残念ながらそこまでは発達していないので、乳房除去や外性器形成といった外科手術は当然のこと、ホルモン投与やテストステロン注射といった比較的軽度な治療であっても部分的には不可逆的な身体の変容をもたらすことがある。とくにホルモンを抑制することで第二次性徴の発現を止める思春期ブロッカーは最近イギリスで提出されたキャス報告書なる未成年のジェンダー医療に関する国の調査報告書で安全性の根拠なしと指摘されたもので、その使用目的からして投与開始が16歳からと早いため、身体にどのような影響をもたらすか長期的な検証が必要であるように思われる。

英医療機関、18歳未満へのジェンダー関連治療に関する報告書を発表(BBC NEWS Japan)

そうしたリスクが広く共有されていれば何も心配はないわけだが、この本を読む限りではどうもそうではないんじゃないかという印象を受ける。その一例は、これは性別移行治療とは直接関わらないものだが、生徒が身体の性(セックス)とは別の性(ジェンダー)を自認した時に、学校側は親が非協力的と判断すれば、生徒のプライベートを守るためという名目で、親に知らせずに学校内で生徒の希望する男性名もしくは女性名を使用して生徒の自認する性として扱う、という日本ではちょっと考えられない対応である。

名前なんかどうでもいいことではあると思うが、ここで問題なのは経済的にも精神的にも程度の差こそあれ親に依存せざるを得ない生徒を、その関係性は変えないまま親と分断してしまうことでむしろ生徒を心理的に追い詰めることであり、そしてそれ以上に、生徒がリスクある性別移行治療を今度望むかもしれないという状況を親に伝えないということは、学校側がそのリスクを親に伝える必要がない程度のものと判断しているということである。著者はこれを急進的な活動家の仕業だと恨みがましく書いているが、まぁアメリカのアクティヴィズムが強烈なのはたしかだとしても、活動家だけの影響でそうなったわけでもないだろう。おそらくは様々な要求や圧力を受ける中での波風立てない妥協策がこうした学校側の対応なのだろうと思うが、どうあれこれはいささか八方美人的で無責任な対応ではないだろうか。

アメリカはジェンダーだけではなくそもそも自認(アイデンティファイ)というものを非常に高く評価する国である。海外では自分の意見を言えない人はバカにされるとか意見を言わないと同意と見なされるとかよく言うが、海外というかこれは基本的にアメリカの話であって、アメリカというのはあくまでも俺が映画をアメリカ映画を観まくって得た知識の上ではの話だが「自分は〇〇である」と様々な局面で常に表明することが求められる国なのだ。

畢竟、そうした国においてはその自認を証明するための「らしさ」という固定観念が非常に強くなる。男は男らしく、女は女らしく、黒人は黒人らしく、リベラルはリベラルらしく、みたいな規範の力はハリウッド映画を観ていれば嫌というほどわからされ、そしてまたそうした「らしさ」に対する巨大な反動もホントにもうマジで嫌というほどわからされるのだが、その反動が「女だって男みたいでいい」とか「アジア人だって真面目じゃなくていい」とか、結局は一方の「らしさ」から反対方向の「らしさ」に向かうだけで、「らしさ」そのものの解体(とはつまり「自認」の価値低下ということだが)には向かわないあたりがアメリカの頭の悪いところである。

そうした「自認の王国」で身体変容はカジュアルなものとは言わずとも比較的ハードルが低いものである。自分が何者であるかを示す(つまり自認)ためにタトゥーをやたら入れるというのはよく知られているアメリカ族の奇習だが、自分の望む自分の姿を得るためなら平気でドラッグもやるし整形手術もやるし、そして現在では制度的にも技術的にも手が出しやすくなったがために性別移行治療も行われる、というのが『スキズマトリックス』『ニューロマンサー』を生み出しサイバーパンクのジャンルを確立したアメリカなんである。

こうしたアメリカ特有のエンハンスメント思想は技術の進歩を促すという面では歓迎すべきかもしれないが、それが医療分野となれば、やはり人間の命がかかっているものなのだし多少は待ったがかかってもいいだろう。自認と密接に結びついたエンハンスメント思想がアメリカの医療の暴走とも見える現象を生み出した例としては、最近Netflixでドキュメンタリーかなんかが配信されたので知っている人も多いであろうオピオイド薬害がその代表例だが、Netflix配信ドキュメンタリーでは他にも避妊インプラントを扱った『両刃の先進医療』、主にADHD治療に用いられる合法覚醒剤の通称スマートドラッグを題材とした『テイク・ユア・ピル スマートドラッグの真実』などがあり、アメリカの現代医療の問題点を抉るこの2作はいずれも「リスクを伴う医療行為や医薬品がアメリカではあまりにも性急に認可され、かつ軽率に施術・投与されすぎじゃあないのか」という問題意識で一致していた(スマートドラッグの問題点については↓の記事も参考になる)

スマートドラッグでぼくらの体と心に起きたこと──米大学生「5人に1人」の使用実態(WIRED)

『トランスジェンダーになりたい少女たち』はそうしたアメリカでの性別違和急増問題の病根(なんせ医療リスクさえなければ別にこれは問題でもなんでもないわけである)に深く切り込むことはなく、問題の対処法としてSNSヤメロ(インフルエンサーやクラスタの存在によりSNSが子供の性別違和を強化し、性別移行治療を促していると著者は書くのだが、ツイッターで政治に目覚めて極端で論争的なことばかり言う政治ロボットになってしまったアカウントを俺は何人も知ってるので、こういうことはあるだろうなと思う)とか親は子供をちゃんと保護しろとか、それはそうかもしれないが現実問題わりと無理だろみたいな結論に落ち着いてしまうのでその点は物足りないのだが、とはいえ、ちゃんとそこから見識を広げていこうと思えば、その土台は与えてくれる本ではある。まぁつまりみんな俺みたいに立派な読者になれということだな(ふふん!)

最後に、この本でもっとも読む価値があると思ったのは、安易な性別移行治療に反対する精神科医や性別違和の専門家にインタビューを行った第七章もそうだが、やはり本質的には医療過誤の問題ということで、性別移行治療の先端を突っ走ってきたプロレスラーみたいにムキムキマッチョなトランス男性ポルノスターのバックエンジェルのインタビューと、性別移行治療を途中でやめた当事者の人のインタビューで、このへんは至極真っ当としか言いようがなかったので、後者の発言を一部引用したいと思う。

性別違和の程度はさまざまなのに、治療法にはさまざまな段階がない。誰かが神経性無食欲症になっても、最初にやることは喉に栄養チューブを突っ込むことではないでしょう。それなのになぜ性別違和をいだいていると言ったら、最初に『ホルモン治療が必要です』と言われるのでしょうか

性別違和というのはとくにネット上ではセンシティブかつ政治的な話題なのでこの本を巡っては出版賛成派と反対派の間でバチバチの終わりなき論争が起こってついには出版元である産経新聞社(以前の版元であったKADOKAWAはツイッターで炎上したので怖くなって出版直前で発売を中止した)および大手書店に出版・販売したら書店に放火するという旨の脅迫メールまで届く事態にまで発展してしまった本だが、なんというか、そういう本ではないので、みんな落ち着いてください。

トランスジェンダーに関する本の発売中止要求 産経新聞出版に脅迫(朝日新聞デジタル)

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名無し
名無し
2024年5月14日 11:13 PM

感想文面白かったです!出版賛成派と反対派のバチバチの論争を門外漢の身で外野から見てて呆気に取られてたのですが、近いうちに読んでみようと思いました。