病気で休職してたマリオン・コティヤール。
家族養うタメにもいつまでも休んでらんねってんで復職しようとするが、ナント解雇を言い渡されてしまう。ガーン!
マァ一方的に解雇って感じでもなく、コティヤールの同僚たちの投票によって決まったコトなのだった。
彼女を復職させてボーナスを諦めるか、ボーナス貰って彼女を解雇するか。会社苦しいんでどっちかしか選べないよ、ってなワケである。
とはいえ、おめおめとその決定を受け入れたら食いっぱぐれちゃう。コティヤールは会社に再投票を要求し、しぶしぶ承認させる。
再投票は月曜日。そして今日は金曜日。なんとしても週末のウチに同僚を説得しなければ、未来は無い。
こうして、コティヤールの長い週末が始まるのだった…。
今『ラン・オールナイト』(2015)とかやってますが、コレやってるコトそーゆー街を駆けずり回る系(どんな系だ)アクションと同じだよなぁ。
こう『16ブロック』(2006)とか『ジャッジメント・ナイト』(1993)とか『ウォリアーズ』(1979)とかさ。
マァあーゆー映画は街の色んな側面描くって意味じゃ社会派アクションと言えなくもない。
なので、コッチも社会派アクション映画と言えなくもない。言えなくもないが、たぶん言わない。
監督ダルデンヌ兄弟で、この人たち社会問題取り上げた映画ばっか撮る。
なんですか、不法移民とか若者の貧困とか少年犯罪とか。
そーゆーのドキュメンタリーっぽいタッチで描くんでエラく辛気臭いハナシになる。
が、いつも主人公にピッタリ寄り添うんで、ハナシのタイヘンさとは裏腹にイヤな感じとかしない。ラストは毎回、希望感じさせるしね。
『サンドラの週末』もそーゆー映画なんですが、しかしアレだな、デジタル上映のせいかもしれんが、いつもより日差しが明るい。
そしてなんだかとてもヴィヴィッドな色遣い。
ダルデンヌ兄弟の映画ってもっとこう映像暗くて、んで手持ちカメラと長回しをよう使ってた気がするが、コレはかなり構図固めて細かくカット割ってる感じ。
いつも眉間に皺寄せたクソ真面目な映画監督かと思ってたが、ダルデンヌ兄弟にこんなポップな映画が撮れたのかとビックリした。
のっぴきならない事情があるとはいえ、テメェにためにボーナス辞退してもらうなんてもう、タイヘン。仮に職場復帰できても禍根が残るだろう、コレは。
とはいえコドモもいるんで、背に腹は変えられない。コティヤールは苦しみながらも同僚一人一人を訪ねてく。
「お願い、私のためにボーナスを諦めて…」
最悪である。せっかくの休日、疲れきった心身を癒そうと思い思いの時間を過ごしてんのに、コティヤールはソコにズケズケと侵入してくる。
で、同僚の良心に訴えかけんである。
彼女は別に同僚にお願いしてるだけで、責めてるワケじゃないが、でもソッチのがダメージ大きいよなぁ。
同僚の家族の前で、コドモの前で、
「お願い、私のために…」
そりゃ誰だって余裕がありゃ助けてやりたいと思うでしょうが、みんなカネなくてタイヘンなのだ。
断ればボーナスが手に入るが、良心はタイヘン痛む。家族関係も微妙に悪くなる。
お願いを聞き入れりゃ良心は痛まないが、生活は苦しくなる。やっぱり家族関係も悪くなる。
どっちを選ぼうがイヤな結果しか待ってないってワケで、しかも悪いのは自分ってコトになっちまう。
そーやってコティヤールは同僚一人一人をお願いの暴力でもって打ちのめしてく。
リーアム・ニーソンより恐い女である。
復讐の…じゃなくてお願いの旅の中で、コティヤールは今までそんなに深入りしてこなかった(であろうと思われる)同僚の素顔を見るコトになる。
そして平凡に見えて、そのじつ今にも崩れちゃいそうな会社の中の人間関係・力関係も少しずつ見えてくるが、そのあたり裁判映画みたいにスリリングで面白い。
同僚を一人ずつ説得してくって展開も含めて、気分はシドニー・ルメットの大ケッ作『十二人の怒れる男』(1957)の二度目のリメイク『12人の怒れる男』(2007)。
コレ少年事件裁判の陪審員が喧々諤々の議論を戦わせる映画だったが、その議論の中で陪審員個人とロシア(オリジナルはアメリカ)の抱える闇が明らかになってく。
最初はみんな「有罪有罪、はい決定!」みたいな軽いノリだったが、だた一人「マァ、少年のためにもうちぃと議論してあげましょうよ」と良心に従って議論を持ちかけた結果、地獄が口を開けちゃったのだった。
オリジナルはいかにもアメリカ的なカラっとした映画でとにかく大好きなんですが、ところがコチラ二度目のリメイクの方はソレに待ったをかける。
西部劇みたいにビシィ!っと決まったオリジナルの超カッチョ良いラストをズタズタに引き裂いちまう。
そのせいで爽快感とか全く無くなって、そうだよね、現実はこうだよねと暗澹たる気分にさせられるのだった。
『サンドラの週末』は最初、同僚の説得なんて無理だろうってとっから始まる。
しかしダメ元でやってみたらコレが案外、希望が見えてくる。
『12人の怒れる男』で陪審員の投票が有罪から無罪に傾いてったみたいに、コティヤールのお願いを聞いてくれるイイ人が結構いたのだ。
次々と職場復帰の賛成票が集まって、残すところ二人分。
次なる同僚の自宅に向かう途中、車内のラジオからロックが聞こえてくる(ヴァン・モリソンの『Gloria』ってヤツらしい)
ボリューム上げて、乗り合わせた夫と同僚とともに、コティヤールは歌いだす。
いざ、最後の決戦へ!
実にダルデンヌ兄弟らしくない、ハリウッド・アクション映画的名シーン。
しかし!ダルデンヌ兄弟はやっぱりダルデンヌ兄弟だった!
ラスト、コティヤールの前に意外な、でも考えてみりゃ当たり前の現実が現れる。
そのあたりも『12人の怒れる男』に近いトコあるが、しかし善意が現実の前に敗れ去ったアッチと違って、コッチはもっと希望がある。
同僚を裁いて、また裁かれるっつー苦痛に満ちた旅を通して、コティヤールはその苦痛に負けない力強さと平穏を手に入れたのだった。
その姿、感動するとゆーかすげーカッコ良かった。『ロッキー』(1976)みたいで。イーストウッドみたいで。あるいは西部劇のガンマンみたいで。
やっぱこれアクション映画なんである。
それにしてもマリオン・コティヤール、この人目つき悪くて恐いんで、いつも泣いてて精神的に不安定なこの映画の役はなんとなく意外。
この前にゃジャック・オーディアールの『君と歩く世界』(2012)で事故で両足が切断されるっつー悲劇と闘ってたが、そっちじゃクールな感じだったのに。
つかオーディアールも底辺の負け犬どもの悪あがきばっかドキュメンタリー的に描くんで、人種的にはダルデンヌ兄弟と同じなのだった。
演技もイイが、作品選びもスバラシイ(ドライな映画ばっかり)
ダルデンヌ映画の顔、オリヴィエ・グルメ。この人いかにもな冴えないオッサンだが、冴えた人が一人も出てこないダルデンヌ映画の世界じゃイコンになんのだった。
今回はコティヤールの上司役ってコトで、最初と最後にチョットだけ出て、そして美味しいトコ全部持ってく。『シェーン』(1953)のJ・パランスみたいなもんか。
ラスト近くのコティヤールとの静かな決闘、コレも名シーン。
(そして、この人もまたオーディアールのケッ作『リード・マイ・リップス』(2001)に出てるのだった…)
マァほんなワケで、とても面白いアクション映画だったナァ。
ダルデンヌ兄弟だから~社会派映画だから~とあんま気乗りしないで観たが、意外にスピーディでスリリング。
アクションのイタさと悲壮感、んで反面の爽快感は、たぶん『ランボー 最後の戦場』(2008)と並ぶ(コッチはコトバと善意の暴力ですが)
最後のどんでん返しはビックリしたし、ラストカットもキマってんだよ。
社会派的なコトやりつつ本質はアクション映画(的)って意味で、シドニー・ルメットの映画っぽかったかもなぁ。
オリジナル『十二人の怒れる男』とリメイク『12人の怒れる男』混ぜ混ぜしたらちょうどこんな感じになるのかも。
【ママー!これ買ってー!】
コレほとんど『リード・マイ・リップス』と同じようなハナシなんですが、アッチよりキレイな感じ。
一応ラブストーリーも、ジャック・オーディアールの映画なんで甘い愛とかそんなん一片たりともない。
恋愛は食うか食われるか!愛はバイオレンスだ!みたいな。
でもその恋愛闘争を通して、社会の負け犬たちの人生になにか希望が見えてくる良いハナシなのだった。
映画(十二人の怒れる男たち)のようなスタイル。そこでも陪審員の話題は野球であったー。スポーツ・アクションという見方が良かった!