《推定睡眠時間:45分》
基本的に映画はそれ単体で観るものでたとえ続編だろうが原作ものだろうがとにかくそれ1本で面白くなくては映画としてダメなんじゃないですか派の俺だがこのジャッキー・チェン主演(の日本で公開された映画としては)最新作『ライド・オン』に関しては例外的に予習としてでもこれを観た後の補足としてでもいいから併せて観た方が100%良いっていう映画があって、『ライド・オン』という映画はそれを観て初めて本当の面白さがわかるんじゃないかとさえ思ってる。『プロジェクトA』とかジャッキーの過去作ではない。香港カンフー映画黄金期の最重要人物たちが大挙出演した香港スタントマン血風録ドキュメンタリー『カンフースタントマン 龍虎武師』である。
いや俺ね『龍虎武師』観た時に思ったんですよ、あ、ジャッキーは出ないんだ…って。今もうジャッキーっていったら完全に香港とは縁を切って大陸の映画スターじゃないですか。それは知ってましたけど『龍虎武師』にも出ないほどとは思わなかった。だってこれみんな出てるんだもん。役者ではサモ・ハンを筆頭にエリック・ツァン、ブルース・リャン、マース、ドニー・イェンも出てる。監督とかアクション監督ではツイ・ハーク、ユエン・ウーピン、スタンリー・トン、アンドリュー・ラウとかそんなですよ。いや、なんかジェット・リーもいないしユン・ピョウもいないしこうやって並べてみたら言うほどみんなじゃないな…っていう気もしてきましたけど、でもこの並びでジャッキーがいないっていうのはやっぱ不自然でしょ、香港カンフー映画黄金期にスタントマンと二人三脚でやってきた一番のスターといったらそりゃジャッキーなんだから。
兄貴分だったサモ・ハンも出てるわけだしそこはお前義理立てのつもりで顔見せぐらいはせぇよと思いますけど、でも出なかった。そして出なかっただけじゃなくてもはや役目を終えつつある老スタントマンを演じた『ライド・オン』には主演して、この映画は最後に「この映画を中国100年の映画を支えてきたすべてのスタントマンに捧げます」みたいなテロップが出るんですよ。それはお前…いや何もジャッキーがそのテロップを入れたわけではないにしてもだね、助監督が街で集めてきたカネが欲しいだけの貧乏な若者衆がメイン層の香港スタントマンたちがどれだけ過酷なスタントというか「とりあえず3階から飛び下りて下さい。はいアクション!」みたいなそれはスタントじゃなくて事故死系ユーチューバーとかそういうのだろ! っていう命がけの無茶仕事をこなしてきて、その血と骨の上に香港カンフー映画黄金期があったのだと観客に叩き込む壮絶にして崇高な、そして誠実にして真実の物語である『龍虎武師』に出なかったジャッキーが言えたことじゃないだろ、「この映画を中国100年の映画を支えてきたすべてのスタントマンに捧げます」とかお前…いやだからジャッキーが書いたテロップではないにしてもさ!
だからそれを考えるとねぇ…。深い。深いよ『ライド・オン』。映画として深いだけじゃなくて業も確執も深いかもしれないがとにかくこれは深いのだ。表面的にはジャッキーのトレードマークであるコミカルなアクションも交えつつスタントマン(+スタント馬)の老後をしんみりと描いた後腐れ無いイイ話に見える。けれども『龍虎武師』を念頭に置けば、『ライド・オン』には中国と香港の緊張関係の中で次第に引き裂かれていったジャッキーとサモ・ハンら香港残留組の切ない人間模様が陰影を投げかける。映画の中でジャッキー演じる老スタントマンの過去が仔細に描かれることはなかったと思うが、そこに『龍虎武師』が描いてみせたあの危険で自由で貧しくて楽しかった醜くも魅惑的なムチャクチャ香港80sの風景が否応なしに入り込むのだ。
中国映画は明るい。決して後ろ向きにはならない。未来は常に明るく過去は常に今日よりも暗い。それが中国共産党の統制下にある現代中国映画のイデオロギーであり、限界でもあり、そしてハリウッド映画でもお馴染みの欺瞞でもある。『ライド・オン』のラストは『龍虎武師』とは対照的だった。スタントマンの第二の人生の始まりを告げるこの爽やかなラストは、身も蓋もなく言ってしまえば、今ではテクノロジーの進歩でかつてスタントマンが危険を侵さなければ作れなかった映像が危険なく安全に撮れるようになったので、そのテクノロジーを受け入れよという中央政府の方針に従った宣伝・啓蒙である。
一方『龍虎武師』はあくまでも映画にスタントは欠かせないと話を結ぶ。かつてのような無茶はもうできないしするべきでもない。けれども生身の人間のスタントがなければ作れない映像は必ずある。そのために今日も香港映画の現場では若いスタントマン(マンというが、今では女の人のスタントマンも珍しくないので、スタントアクターと呼ぶべきだろう)が死なない範囲で身体を張っている。それが『龍虎武師』の示したスタントアクターへの敬意であり、香港映画人の矜持だった。
同じ時代、同じ場所から出発した二人の香港アクションスター、ジャッキーとサモ・ハンの、スタントアクターを題材にしたそれぞれの出演作の結末の違いは、あたかもジャッキーとサモ・ハンの選んだ道の違いのように見えてしまう。豊かな生活や家族の幸せ(馬も家族に含まれます)のために過去を忘れて社会の流れに従ったのがジャッキーなら、たとえそのために富や名声を得る機会をいくらか逃したとしても、過去の遺産を現代に継承せんとするのがサモ・ハンなんじゃないだろうか。どちらが良いとかどちらか悪いとかそういう話ではない。激動の中国現代史を現在進行形で生きている二人のレジェンドの人生が、『龍虎武師』と照らし合わせた時に、『ライド・オン』からは見えてくる。俺はそのことに心を打たれてしまうんである。
『龍虎武師』に関してですが、読んだのが数年前なので曖昧なところがありますが中国在住のジャッキーファンの方のブログが面白かったです。何でも、香港での『龍虎武師』の舞台挨拶付きの上映での質疑応答の際に「何でジャッキー出てないんだよ」という当然の質問があって、それへの回答が、ジャッキーの出演はしていてインタビューの素材も撮影済みなのだが主に権利的な問題で完成版からは削除せざるを得なかった、ということらしいです。
なので香港映画人とジャッキー自身の間にはそこまでの確執は無いのかなぁと俺は思っています。まぁ以前から中央に寄ってるのは確かなので香港でのジャッキー人気は下がっているみたいではありますが。
確執っていうか、ジャッキーは基本的に金で動く人なので、もう香港映画出ても金にならないから出ないし香港時代の話はイメージダウンに繋がるからあんましたくないみたいな、たぶんそういうことだと思うんですよ笑
できるだけ昔の話したくないってのはありそうですね。
例のブログの人の他の記事ではマースが語ってた『プロジェクトA』の例の時計塔スタントのダブルの件についての考察とか面白かったですよ。