どのような反応が待っているにしても劇場公開やソフト化・配信化を前提に製作される商業映画と違って自分から探し求めなければ発表の場がない自主映画というのは作っていてなかなかモチベーション維持がしんどいもんである。やはり映画は人に観てもらってこそ、観てもらってつまらなかったと言われる方が観られず何も言われないよりも、自主映画を作っているだいたいの人にとっては嬉しいのではないかと俺は思う。もちろん観てもらって面白かったと言われるのが一番良いのだが。
そんなわけでこの狭い日本列島には大小無数の自主映画上映会や自主映画コンペがひしめていて日本の自主映画監督たちはせっせとここに自作を送り込んだりしている。今年で二回目となる自主映画いろいろ団体・京浜ビデオ企画主催の「第四世界」もその一つにカウントできる自主映画祭だが、この映画祭の大きな特徴は出品料を払えば無審査で(※2024年6月時点)基本なんでも流してくれる点にある。ロフトとかでやる自主映画上映イベントでは無審査上映も珍しくは無いが、数日間に渡って映画祭という形ではかなり珍しいか、あるいは日本では第四世界だけじゃないだろうか。
畢竟、そこには他の自主映画コンペなどでは色んな意味で弾かれるような作品も集まってくる。要するになんじゃこりゃ的な自主映画というかいやそもそもこれは映画なのか? みたいなのもちゃんとした自主映画に混ざって平然と上映され、まるで自主映画の闇鍋。なんだかおそろしげだが、しかし実際に行けばわかるがこれが実に和やかな映画祭。普段は基本的に陽の当たらない創作活動をやっている人たちがこの日ばかりは映画館の主役だってわけで、舞台挨拶(すべての上映作品の関係者舞台挨拶がある)で思い思いに自作について語るその姿はなんだか幸せそうである。
そのような感覚は競争原理に基づく自主映画コンペや同好の士が集まる自主映画上映イベントではあまりない。今年は全6プログラムとかある中の2プログラム計12本の自主映画を観てきたが、個々の作品の面白さとは別に、そうした空気の面白さが味わえたので、うむ、行って良かったなと俺ごきげん。既に第三弾も予定されているようだが、なにやら殺伐とした昨今、こういう精神的に豊かな映画祭は貴重なので、ぜひがんばってこの先も続けて欲しいと思う。
ほんじゃあ偉そうなことは一通り書いて自尊心を自分でくすぐったので今回観てきた個々の自主映画の感想をゆるりと書くコーナーに入りたいとおもいまーす(なおタイトル後ろには監督もしくは作品の代表者の名前を付けてます。そうしないと自主映画のタイトルなんてあまりにもあっさりとネットの海に埋もれてしまうので)
『whisky』(NRF)
ごめん電車がわからなくて予定より映画館着が30分ぐらい遅れたので上映開始に間に合わず最初から観られなかった! 劇場に入った時には既に最後の15秒ぐらいだったので何が何だかまったくわかっていないが…なんかニコ動系の? 往年のフラッシュアニメを思わせる? ミュージック・ビデオということでいいんでしょうか。懐かしかったなこのノリ。
『彼の、骨の、カケラ』(中沢志保)
どういう関係にあるんだかわからないが葬式に行く程度には縁のある人の遺骨をなぜか持っている主人公が恋人とお花見に行く純文学系のやつ。ストーリーはあまり面白くないが冒頭のガード下の暗がりや華やかさよりも死をイメージさせる桜の映像など、風景に対する感性はけっこう鋭い。
『道草』(山科晃一)
映画のワークショップとかの実習みたいので撮ったやつらしい。占いがどうのというストーリーは捻りが足らず面白くないが実習なら脚本開発の時間もないしそんなもんだろうってなもんで、登場人物二人を画面の両端に配置して川面が反射する夕陽を画面中央に据えた川辺のショット、この映画の見所はそのたった一つの決めカットと言っても過言ではない。そこはわりと決まってた。
『ライチ』(堺史洋 FStudio)
ストレスの溜まってる会社員女性がひたすらライチを食べる映画。なにそれ。監督によるとひたすら果物を食べてもらう映画を撮りたかったとのことでそれを聞いても意味がわからないが、オチはまぁまぁキレイに決まってた(あれは妄想ということでいいんですよね…?)
『SO SWEET』(伊藤徳裕 N・I FILM)
監督によればピンク映画やOVを中心に活躍する女優のしじみが子供を生んだのでその映像を撮っておきたかったとのことだが映画のファーストカットは畑のミステリーサークルを眺める疲れた表情のしじみということでなんだかただならぬ雰囲気である。しかもしじみ宅(実際にしじみさんちで撮ったらしい)のテーブルには『矢追純一のUFO大全』(俺それ持ってるわ)などUFO関連の本がやたらと置かれている。街はコロナ禍で閑散。強盗事件なども発生して不穏。そしてミステリーサークルと矢追純一としじみの子供。なんなんだ。なんなんだかわからないが監督には明確なビジョンというか世界観というか確信があって画面にそれが強くしじみいや違ったにじみ出ているので、異様な迫力があってよかった。
ちなみに観ている間うしろの方になんだか元気なキッズがいるなと思ったらそれがしじみキッズだったらしく、一緒に来てたしじみさんの「ほら、〇〇ちゃん映ってるよ」とかキッズの「ママだ!」とかが聞こえてきて、4DXを超える臨場感の映画体験となった。
『シャット・アップ』(マカ・ママレード)
ごめん疲れてほぼ寝てたわ!でも断片的に観た映像はシャープでカッコよかったと思いますよ!
『いと』(田村宗慈)
なんだっけこれ。今思い出そうとしながら書いているがなかなか出てこない。なにせアクの強い自主映画を6本も観た(1本寝てるが)後のことだから相対的に印象が…とここで思い出しましたこれはあれだ省略が多くプロットよりも雰囲気で見せる系のやつだったのでなんかよくわからなかったが、製作兼主演の人のプロモ的な短編ぽいやつ。面白くはなかったが映像はキレイに撮れてたと思う。
『イズム』(あずまき)
星新一ライクなSFおとぎ話をデジタル紙芝居のスタイルで描く。アニメの強みか一般的な自主映画はプロットが超地味で舞台がひたすら狭いが、これはたった数分間で未来社会とその崩壊までを描くお話優先型、なんだか新鮮です。紙芝居なのでナレーションベースなのだがその台詞の表現が曰く言い難いがなんだかAI作文的にズレていて面白く、実際にAIを活用したのかそれともあえてAI風に台詞を書いたのかは知らないが、これはAI至上主義への警鐘がテーマの作品なので、気の利いた仕掛けであった。
『悪太郎 生霊磁石女』(白澤康宏)
しょうもない! あまりにもしょうもない! 生き霊に憑かれて苦痛にあえぐ女の人(繁田健治監督作の常連役者さんであった)の声としておそらくAVからサンプリングしたあえぎ声を使っている冒頭からしてイイ歳したオッサンがいったい何をやっているんだと思わずにはいられない! 世の中いろんな映画を作る人がいるなぁ!
『誤解のゲーム』(三笠大地)
生成AIに脚本を書いてもらったと冒頭にテロップで説明される密室会話劇だが、どの程度AI出力の脚本に監督が手を加えたのかは舞台挨拶に監督が不在だったため不明も、起承転結がはっきりしていてきっちりと伏線もあり、ミステリー・ジャンルの無予算自主映画として完成度が高かったので感心した。脚本だけではなく演出や構図も明確な狙いを持って隙なく作り込まれており、この監督はそのうち商業で撮るんだろうなと思う。
『話しかけてなんかあげない。』(繁田健治 ときめきチーム)
この映画の内容を説明するのは難しい。各種のフィクションで描かれてきた「青春」や「あの頃」のイメージを断片化して脈絡無く繋ぎ合わせ、それを反復しながら少しずつ異風景へズラしていく、という意味で俺はこの監督を日本のアラン・ロブ=グリエだと思っているが、アラン・ロブ=グリエの映画だって説明しろと言われたら困るっていうか基本できないだろう。ええ歳したおっさん(監督本人が演じる)が突然目の前に現れたあの頃と同じ姿のブレザー女子に告白されるという一見すればヤバイ人のキモ妄想のような映画だが、すべてとは言わずとも大抵のところは確信犯であり、ノスタルジックな風景とパロディ的な笑いは次第に存在しないはずの過去と理解を拒絶する不気味に変貌していく。俺からすればこれは様式化した現代ホラーの殻を破る前衛作であり、おそらく世界でもっともシリアルキラーの見ている世界に肉薄した映画の1本じゃあないかとさえ思える。
『吟華筆致俳句ガイド』(市川良也)
多少スベっている感もあるがそこは質より量ということでまるで70年代のギャグ漫画、とにかくひたすらギャグ、ギャグ、ギャグ! けれどもその本質は多文化共生のポジティブな実践ということで、最初から最後までほとんど休みなくふざけ倒しているが、実は教育的なイイ話なのだ! 笑えるか笑えないかはともかく、全編に渡って平和への願いと優しさの漲る、ピースフルな1本。あ説明する必要はないでしょうがタイトルはもちろん『銀河ヒッチハイク・ガイド』のもじりです。