ハイコンテクスト解釈違い映画『違国日記』感想文

《推定睡眠時間:60分》

あらすじを見る限りでは日常系のお話らしいこの映画は上映時間が139分という大作っぷりで俺は日常系に2時間半近くも費やしてられるか! と早々に頭の中の観なくてもいいやつリストに入れていたのであったが、映画が公開されてからというものBlueskyの映画フィードでは原作ファンの人たちからの酷評、酷評、酷評の嵐! 映画としてどうだこうだと語っているようなポストはほとんど見られず、その酷評というのはひとえに「原作の良さを理解してない!」というものであった。

この原作漫画の存在すら知らなかった俺としてはそんなにファンの多い漫画だったのかと驚いたし同時に映画版はそんなにファンがキレるほどの出来なのかとも驚いた。映画版の監督の瀬田なつきという人は邦画若手監督の注目株の一人であり、それを知ったのはついさっきのことだが既に『ジオラマボーイ・パノラマガール』という原作もののティーン映画を成功させている人でもある。その人が主演に近年演技派として頭角を表しつつある新垣結衣を迎えて撮り上げた若い層向けの映画であるにもかかわらずこの酷評っぷり。いったいどんな映画なのかと気になりついに139分観に行ってしまったのであった。

で酷評の理由はなんとなくわかった気がした。これはなんだかまぁ日常系の物語なので日常あるあるの連続、あまり線の太くないプロットはドラマティックなところがないでもないが、映画の大半を占める会話があるあるで、リアルにこういうこと言うよね~とかこういう人いるよね~となる。おそらくこれが原作の持ち味なんじゃないだろうか。あるある感というのは常に観客や読者の共感を喚起するもの。原作ファンは何よりもそのあるある感にやられてこれは自分の物語なんだ! ぐらいに深くのめり込んだりしたのかもしれない。

しかしあるある感というのは諸刃の剣のようなところがあって、業界用語的にはハイコンテクストなどと言うが、これは特定の範囲の人には強く作用して共感を感じさせるが、逆にその範囲の外にいる人にはほとんど伝わらないというたぐいのもの。ローコンテクストというのはその逆であり、たとえば両手を耳の横に添え、目をつむって首をかしげる仕草をすれば、世界のだいたいの人に「あぁこの人は眠る場所を探しているんだな」と伝わる。その意味でローコンテクストもあるあるなのだが、それが共感を喚起して強く心を揺さぶるようなことは一般的にはあまりない。ハイコンテクストが狭く深いあるあるなら、ローコンテクストは広く浅いあるあるなんである。

思うに『違国日記』という漫画はかなりハイコンテクストなあるある作品であり、それゆえにカルト的なファンを生んでいるが、精度が高いあるあるとも言えるハイコンテクストあるあるは移植や翻訳がとても難しく、ちょっと原作のニュアンスを外しただけでファンは共感できなくなってしまう。そのためこの映画版では最近流行りの解釈違いというものが生じてファンぶちキレ、とまぁこんな感じなんじゃないだろうか。ハイコンテクストな作品は共感によって強く特定の客を惹きつけるが、それは裏を返せば共感以外に惹きつける要素がないということでもあり、原作ファンが映画版の映像や音声や芝居といった映画の構成要素にはまるで言及することなくもっぱら原作との違いだけに文句を言っていることは、その裏付けのように俺には思えてしまう。

俺の方はといえば映画でも漫画でも共感というのは基本的に求めない方で、そりゃ『最強伝説黒沢』みたいなダメオッサンあるある漫画であれば共感のあまり涙さえ流すが、まったく共感のできない殺人鬼が身勝手に300人ぐらい人間を惨殺するような映画でも共感できないからとつまらなくなることはないし、むしろ300人も殺人鬼が殺してくれる映画は一切共感はできないがかなり面白い映画である。よって共感性にステータスを全振りした観のある日常系あるある映画の『違国日記』は俺にとって映画的な見所がかなり乏しい作品であった。たぶんこれは映画向きの原作じゃあなかったんだろう。実際原作ファンの愚痴を見ていても、映画ではなく連続ドラマでじっくり観たかったという声は結構多かった。俺は139分でも観るのを躊躇したのに君らこんなヤマもオチもないようなのを10時間とかそれぐらい観たいの…?

個人的な好みでいえば、様々な出来事を「まぁ人生こんなもんなんで」みたいな感じでサラッと流していく構成自体は嫌いではなく、ただその様々な出来事に付随する膨大な量のあるある会話がつまらなくてツラかったので、どうせ原作ファンから嫌われるならいっそのことあるある台詞の7割ぐらい切って100分とかの映画として観てみたかったと思う。あくまでも『ジオラマボーイ・パノラマガール』を観ての印象だがこの監督は冗長なあるある作劇よりも前置きなしでザクッと物事に切り込むタイトな作りの方が向いているんじゃないだろうか。その証左となるかはわからないが、言葉で説明しないラストの軽音部のライブシーンは撮影も編集もテンションが高く、映画的な見所に乏しく冗漫なこの映画の中でほとんど唯一俺にとっては面白いシーンだった。

最近は今泉力哉の映画みたいな日常あるあるものが邦画界でプチブームの様相を呈しているが、やはり日常系なんて一部の観客をカルト信者化させるだけで面白いものでは基本的にないと思うので、そういう不健全なブームはさっさと終わって殺人鬼が300人殺すみたいなローコンテクスト映画がたくさん作られる世の中になってほしいとおもいます。ちなみに同じ原作者の『さんかく窓の外側は夜』の映画版も原作ファンには評判があまりよくないようだが、死体が100体ぐらい出てくるので俺はかなり面白かったです。

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