どうせ死ぬなら善く死のう映画『クワイエット・プレイス DAY-1』感想文

《推定睡眠時間:60分》

映画館で眠る時にはせめてイビキはかかないようにと配慮しようにも配慮のしようがないのでせめて頭の中で0~1回ぐらいは念じているがこの映画の宇宙から降ってきた殺人クリーチャーは音を出すものがめちゃくちゃ許せない映画館のセンシティヴ客みたいな生物なので少しでも音を聞くや破壊にかかり映画館で仮に俺がグーグー音を立てて寝ていた場合は俺なんぞ瞬殺であろう。このクリーチャーの殺傷能力はかなり高いらしいので寝ている間にわけもわからず即死。そう考えればこれは死に方としてそう悪いものでもないのかもしれない。世の中には病気や戦争や拷問殺人などで苦しみ死の恐怖に怯えながら死んでいく人とかもいるわけだし。

という映画とまったく関係ないことをさっきまで考えていた『クワイエット・プレイス DAY-1』はネタの新味に欠く上に大して面白くないのになぜかヒットコンテンツに成長した『クワイエット・プレイス』シリーズの第3作目にして前2作では描かれなかった事の起こりが描かれる前日譚、もはやすっかり今風ではない今風に言えばエピソード0といったところであるが、前日譚といっても語られるお話は「宇宙から殺人生物が振ってきた!」だけなのでその程度ならいちいち膨大な金かけて映画にしないでいいよその金でガザ人道援助でもしてろとか身もフタもないことを思ってしまう。

今回の主人公は末期ガンにあるらしい女の人とその介助ネコであった。ネコになにができるものかと思うがこれはネコでも抱いてりゃガンで痛んだ心も多少は癒せるだろうという精神的な緩和ケアの一種、ネコチャン的にはただ可愛がられ抱かれているだけだが人間はそのことで少し生きるのが楽になるというわけである。動く騒音発生器ことネコチャンを音ぜったいゆるせない宇宙生物の跋扈する環境に置きなんかしたらそんなもん即死だろネコチャンは瞬時に攻撃を避けるがネコチャンを抱いてた飼い主はと思うがこれはネタバレなのだが主人公とネコチャンは最後まで無事でした。そんなバカなと言いたいが『エイリアン』でもネコチャンはあの凶悪なエイリアンの襲撃を逃れて最後まで無事だったのでエイリアン界は意外とネコチャンにやさしい。

このシリーズはわりあい宗教色の濃い映画で終末もののクリーチャーパニックではあるが殺人生物との対決とか終末世界のサバイバルにはほとんど関心を寄せない(なのでその観点から見るとツッコミどころバリ満載になる)。関心を寄せるのは終わった世界でどう生き延びるかということではなく何のために生きるか、どのように振る舞うべきかというもっぱらメンタルの部分である。その意味ではコリアン・ゾンビのエピック『新感染 ファイナル・エクスプレス』とも通じるが、そんなわけで今回の映画も主眼は殺人生物と主人公の対決にはない。そもそも殺人生物を仮に倒せたとしても末期ガンで近いうちに死ぬのだし、それなら闘ったりしたところでどうしようもなくない? なのだ。

殺人生物が汚物人類をキレイに掃除してくれた廃墟の街でケッこんなクソ世界さっさと死ねあ自分が死ぬのかとか殺人生物到来前はやさぐれていた主人公は騒音の裏に隠れた街の美しさを再発見して世界への信頼を取り戻す。それは主人公にとって福音であった。そう、世界はどうせ終わる。終わりを止めることはできない。いや、止めようとすべきではないのだ。終わることで人ははじめて世界の美しさや人間の愛おしさに気付くことができる。自分のためではなく誰か何かのために生きることができるようになる。だから、われわれは終わるべきなのだ。それがわれわれ愚かな人類にとっての魂の救済である。

作品を貫く哲学をこう抽出してみるとなかなか尖っているがこれはアメリカ映画だしアメリカはプロテスタントの国だしそしてプロテスタントに限らずキリスト教というのは終末の到来による人類の救済を説く終末論宗教なのだから、こんな考え方がハリウッド映画に出てきてもおかしくはないし、付言すれば『新感染』や『コンクリート・ユートピア』といった近年の終末系韓国映画もその傾向が強いのだが、これは現代韓国がキリスト教社会であることと無縁ではないだろう。

宇宙から殺人生物が降ってきて人類大殺戮と聞けばまぁなんというか野蛮人類としてはそういう映画を期待せざるを得ないが、というわけで『クワイエット・プレイス DAY-1』はぶっちゃけ予想されたことではあるもののそういう映画ではないのだった。クリーチャーアクションもしくはSFホラーの体裁を取っているが中身はあくまでも終末期患者が心の平穏を取り戻し死を受け入れるまでの過程をキリスト教的な価値観で描く病気ヒューマンドラマ。似ている映画を挙げるとすればそれは宇宙から殺人毛玉が降ってくる『クリッター』みたいな楽しいやつではなくニュージーランドの不遇の天才ヴィンセント・ウォードが死んだ男の天国巡りを描いた『奇蹟の輝き』とかの方だろう。完成度は到底及ばないがまぁ作品の方向性としては。

あと、エンドロールでニーナ・シモンを流せばなんか作品に風格が出る的な安直演出はいい加減にやめろ。ニーナ・シモンをエンドロールで流していいのは『インランド・エンパイア』とか『セルラー』とかそういう本当に面白い映画だけにしてください!

Subscribe
Notify of
guest

3 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
カモン
カモン
2024年6月30日 8:06 AM

不思議だね…ネコチャンと全てカタカナで記すとネコチャンという別のなにかが誕生したかのように思えちゃうねネコチャン

匿名さん
匿名さん
Reply to  さわだ
2024年7月1日 9:26 AM

ちゃんと猫ちゃん3つで返してきただと!