シリーズ最終作?映画『怪盗グルーのミニオン超変身』感想文

《推定睡眠時間:0分》

怪盗グルーは悪党の中の悪党という設定で始まったこのシリーズなので悪党=ヴィランの存在は大変重要、そう考えると間に『ミニオンズ・フィーバー』を挟んだりしているが『怪盗グルー』シリーズのナンバリングタイトルとしては前作に当たる『怪盗グルーのミニオン大脱走』の80年代に使い捨てられた子役っていうヴィランの設定は実に秀逸で、大人も子供も笑えるし大人なら更にそこに込められた80年代ノスタルジーやアメリカのショウビズ批判も読み取れる(と思いたい)のだから、実はシリーズの最初の方は観てないのだが、観ていないにも関わらず『怪盗グルーのミニオン大脱走』がシリーズの頂点だったんじゃないかとか言ってしまいたくなる。

そのように書き始めるということはぶっちゃけ今回のヴィランはうーむどうにもなのであった。怪盗グルーのティーン時代の学友で下水道に秘密基地を持っていて緑色だし可愛らしくデフォルメされてはいるが形態はゴッキー的な昆虫たちを従え自らも身体をゴッキーに改造しているヤツが今回グルーと戦うヴィランなのだが、そんな設定を知れば『バットマン・リターンズ』のペンギンみたいにゴッキー群団を使った攻撃とかたくさんしてくるんだろなとこっちは期待するのに全然ゴッキー使ってこないし悪事に同行する妻ヴィランも見せ場ナシ、せっかく手にはゴッキー変身銃という人間をゴッキーに変えてしまうという恐るべき兵器を持っているにも関わらずこれをロクに使ってこない! 『ミニオン大脱走』のヴィランであったバルタザールはキャラが強いだけでなく最後に巨大ロボットまで繰り出す大暴れっぷりだったのでこれはちょっと肩透かしである。

しかし肩透かしなのはヴィランだけではなかった。『ミニオンズ・フィーバー』があるので忘れていたがそうでした怪盗グルーは『ミニオン大脱走』で(その前からか?)所帯持ちとなり悪党業を引退し反悪党同盟のエージェントとして悪党をやっつける正義の悪党になったのでした。ということで今回はグルーとミニオンの絡みがほとんどなくグルーの関心ときたらもっぱら家族、一応悪党スキルを活かして泥棒をする場面もあるが、それも隣に住んでる『笑ゥせぇるすまん』みたいな顔したクソガキに脅迫されて無理矢理という苦しい展開で、もはやグルーに悪党中の悪党の風格はない。したがってあれこれとごちゃごちゃやってなんかよくわからん感じになったきたところでなんだかんだやっぱり家族愛だよねというドリームワークスみたいなオチに着地するのであった。

フーム。まぁストーリーがとっちらかって落ち着かないのはイルミネーションアニメらしいところでもあるが、そのとっちらかりの方向がミニオンズのギャグ100連発とかではなく今回は家族である。例のゴッキーヴィランに追われる立場となったグルーは家族を守るためにマイホームから一時的に退避し反悪党同盟の用意した隠れ家ハウスに正体を隠して引っ越すのだが、正体がバレちゃあいけねぇってんでグルーだけじゃあなく家族みんなも新しい名前を付けて新しい環境に入っていく。それで妻は偽名で美容師になって一悶着起こしたり子供たちは偽名で空手道場に行って一悶着起こしたりということになり、そのために家から強制排除されたミニオンズたちが反悪党同盟のヒーロー改造作戦のモルモットとなってスーパーパワーを身につけるもミニオンズがヒーローになれるわけがないので街のみんなにすごい迷惑をかけて怒られるというオモシロ展開の時間配分は少なめである。ちなみに俺が『怪盗グルー』シリーズで観たいものの比率は前者が1で後者が99である。

とっちらかるのはいいが、それが家族一人一人に半ば無理矢理見せ場を作ったり家族愛をアピールするためのとっちらかりとなるとな。更にはそのせいでヴィランの活躍が減ったりミニオンズの大騒ぎが減ったりしてしまうとこれはちょっと。肝心の、といっても邦題がそれを前に出してるだけで原題は素っ気なく『DESPICABLE ME 4』なのだが、その肝心の超変身ミニオンも超可愛くなくて面白いのに出番は少ないし手に入れたスーパーヒーロー能力をヴィラン相手にどう活用するのかなと思ったらなんと活用しないという…いや、それは「いや使わないんかい!」的なギャグになってたのでいいんですけれども、とにかく、今回はミニオンズものにしては今一つ盛り上がらず煮え切らない、ぶわっはっはと景気よく笑えるシーンの少ない映画であった。街に出た超変身ミニオンたちの「さぁ! 諸君の出番だ!」からの「諸君! 実験は失敗した!」の流れとかサイコーでしたけれども。

ところで映画のラストに流れるのは80年代UKバンドを代表するティアーズ・フォー・フィアーズの『ルール・ザ・ワールド』である。どんな感じで流れるかはまぁみなさん劇場でご確認くださいだが、シリーズの悪党が総出演したところで『ルール・ザ・ワールド』。「誰もが世界の覇権を握りたがる。母なる自然に逆らって…」という歌詞を持つこの曲は悪党学校とかがあり悪党でいっぱいの『怪盗グルー』の世界にピッタリだが、『テスラ エジソンが恐れた天才』でエジソンとの電流戦争に敗れたイーサン・ホーク演じるテスラによって歌われて以来、俺の中では敗者たちの追悼ソングとなってしまった。「やったね、ボクらもう成功間近。がっかり、ヤツらそれを無下にした。誰もが世界の覇権を握りたがる(So glad we’ve almost made it. So sad they had to fade it. Everybody wants to rule the world)」などと失意のテスラに歌われればそれはもう追悼待ったなしである。

もしかするとこの映画の『ルール・ザ・ワールド』もそんな意図で用いられたのかもしれない。怪盗グルーはもう悪党中の悪党じゃあなく平和な家庭人となってしまった。『ミニオンズ』で明かされたところによればミニオンたちはその世界でもっともワルい人を求めてグルーに辿り着いたわけだから、もう今のグルーにミニオンたちが着いていく理由はない。それに『怪盗グルー』は主人公のグルーよりも最初は脇役というか賑やかし的な存在に過ぎなかったミニオンズの方が断然人気が出てしまったという変なシリーズであるから、ほならここらへんでグルーとミニオンズをそろそろ別のシリーズに分けよか、そしたらミニオンズも今より自由に映画の中をはしゃぎ回れるしな、という空気が製作陣の間に流れていたとしてもおかしくはない。というわけでこれまでの悪党大集合の大団円ラスト、そして敗者追悼ソングとしての『ルール・ザ・ワールド』だったんじゃないか、と俺としては思うわけである。

『怪盗グルー』シリーズは映画版の『クレヨンしんちゃん』と似て子供向けギャグ映画のフォーマットの中で監督が個人的なオタク趣味やノスタルジーを込めるシリーズという面も強かったが、その映画クレしんにしてもいつからか監督の趣味が露出しないウェルメイドな家族愛推しアニメになってしまったし、同じ轍を『怪盗グルー』もまた踏んでいるように『怪盗グルーのミニオン超変身』を観る限りでは思える。とすればここで『怪盗グルー』と『ミニオンズ』を別シリーズに分けてしまって、『怪盗グルー』の方では家族愛をやりつつ『ミニオンズ』ではスラップスティックギャグとオタクネタばかりをやった方が、双方の持ち味を生かせるだろう。

でもそう考えたらなんか切なくなっちゃったな。まぁミニオンズの映画は今後も続くだろうけれども怪盗グルーの方は場合によってはこれがラストなのかもしれないじゃないですか。隣のクソガキもグルーに代わるミニオンズの新しい主人候補として登場したキャラっぽく見えるし。ミニオンズは大好きだけどグルーには思い入れが全然ないから仮にこれでシリーズ終了となっても別にいいですけど…まぁ、『ルール・ザ・ワールド』だね。『ルール・ザ・ワールド』なんだよ。そういうことだ!

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