粋な珍説映画『お隣さんはヒトラー?』感想文

《推定睡眠時間:0分》

信じるか信じないかはあなた次第ですとしか言えない風説だが日本では映画のタイトルにヒトラーが入ると売れるというジンクスがあるとかないとか言いたしかにヒトラーものは毎年なにかしらは公開されている気がするしこの映画『お隣さんはヒトラー?』も他にデップーのやつとかもっと売れ線の映画もやってんのに土曜のシネコンで想定外のほぼ満席を叩き出す人気っぷり、信じるか信じないかはあなた次第ですが第二次大戦後のヒトラー絶対悪教育のある種弊害でヒトラーは最強ヴィランとしてそのネームバリューは未だ衰えずという皮肉な状況のようである(※筆者はネオナチではないのでヒトラーを支持しているわけでもヒトラーの残虐行為を正当化したいわけでもありません)

しかし、この映画に登場するのはヒトラー本人ではなくあくまでもヒトラーに似ている人。時は1960年、ホロコーストで家族を失ったユダヤ老人の主人公は戦後イスラエルに向かうことなく南米コロンビアで誰を信じず一人孤独な隠遁生活を送っていた。その隣家にある日引っ越してきたのが偏屈で気難しいなにやら怪しげなドイツ老人。面倒くさい老人二人は当然隣人トラブルとなるがそこでドイツの方の面倒くさい老人の目を見たユダヤの方の面倒くさい老人は直感する。この目…ヒトラーに違いない! イスラエル大使館に通報しても相当冷たい目を担当者に向けられるだけで信じてもらえなかったので以来ユダヤ老人はドイツ老人の監視を開始。やがて驚愕の事実が明らかになるのであった!

というわけでこの映画はヒトラー南米逃亡説をベースにしたコメディ、いや~ヒトラーものは数あれどこういう軽妙な方向性のヒトラー映画というのは珍しいですな。モンティ・パイソンぐらいじゃないのこういう方向でヒトラーをネタにしてたの、って映画じゃないか。ドイツ老人を演じるのはウド・キア。うむ、ヒトラーとは…似てないんじゃないかな!? だがしかし、そこがまさにこの映画のキモ。見た目ヒトラーにかなり似ていない気がするドイツ老人がこいつは絶対ヒトラーと思い込んだユダヤ老人の目には過去の傷からかヒトラーと見えてしまい、その正体を暴くためにユダヤ老人がヒトラー本を買い込み(店員がニヤリと笑い『わが闘争』を差し出すブラックジョーク!)ヒトラーマニアと化して暴走していく過程は軽妙洒脱で実に可笑しい。

突飛にして不謹慎な設定と思う人もいるかもしれないが、劇中でもそれを報じる新聞が出てくるように1960年というのはアルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンがモサドに見つかりイスラエルに連行された年(のち死刑)。このモサド武勇伝は『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』など何度か映画にもなったりしているが、南米は戦後ナチ戦犯の主要な逃亡先であり、明らかになるのはずっと後だがチリのカルト・コミューンであるコロニア・ディグニダも、これは厳密にはナチ戦犯が設立したものではないものの、元ナチス軍人が主導するナチス・イデオロギーを受け継いだ組織であった。グレゴリー・ペックがヒトラーのクローンを作ろうとするカルト映画『ブラジルから来た少年』はこうした時代を描いたものだ。

更に1960年当時は米ソ冷戦真っ只中。ヒトラーの自殺を確認したのはソ連軍であり、冷戦下の緊張関係もあってソ連軍が死体などを含むヒトラーの死の詳細を西側諸国に公開しなかったため、実は1960年当時の南米にあって「お隣さんはヒトラーかも?」と疑う(とくにユダヤ系の)人というのはいてもおかしくなかったのだ。日本でも落合信彦のハッタリベストセラー『20世紀最後の真実』を読んで南米で暗躍しこっそりUFOを作っているナチスともしかしたら生きているかもしれないヒトラーに震え上がった人がいることだろう。そちらの方は落合信彦の虚言なので安心していただきたい。

とにかくまぁそういうわけで奇抜に見えて1960年のヒトラー事情を背景にした「史実に基づく」映画だったりするのが『お隣さんはヒトラー?』の巧みなところ、ふざけた軽妙コメディと思わせておいて実はしっかり地に足の付いた映画だった。地に足はついているが半分は浮いている。ヒトラー本の記述を信じヒトラーの睾丸は一つとかいう信じるか信じないかはあなた次第にも程があるトリビアを得てしまったユダヤ老人が取った行動は…とかまったく下らないし、ドイツ老人をスパイしているうちになんか仲良くなってきちゃったユダヤ老人がドイツ年配ウーマンの着替えを二人で一緒に覗いて(おい!)束の間一心同体になるとかほんとバカじゃねぇかと思う。そのへんのリアル(シリアス)とリアルからの飛躍(バカ)のバランスがこの映画はとてもよいかったね。

終盤には意外な一捻りがあるのもこの映画の面白いところだが、捻った先の着地点には面白いとか泣けるとかだけではなく作り手のなにか信念のようなものを感じてグッときてしまった。ホロコースト生存者を描いた映画でコメディ、というだけでもそもそもチャレンジングなわけだが、物語のラストにおいて示されるのは敵か味方かの二分法で世界を分割しようとするイスラエルの国家方針に対する疑義、というか結構ストレートな反対の姿勢だった。

世界はそう簡単に黒か白かに割り切れるものじゃあなく大抵の場合は黒と白が入り混じったグレー。悪は悪で善は善なんだというのがイスラエルに限らずインターネット化された国々では当今流行りの世界観だが、それはいささか現実を見失った空想的な世界観だろう。そんな煮え切らない世界は嫌だと感じる人も少なくないだろうが…けれどもグレーであることはなにも悪いことばかりじゃないと俺は思う、っていうかこの映画を観て思った。世界を黒と白とに分けてしまうと黒の人と白の人は交わることができない、それ即ちこれまた最近流行りの分断というものだ。でも世界がグレーなら自分もグレーだし相手もグレーなので、まぁお互い様だよなみたいな感じで人と人が交わって、双方が少しだけ相手を理解したり、少しだけ共感したり、敵味方の関係にあっても少しだけ許せたりできるかもしれない。

グレーであることによる分断克服の可能性をヒトラー生存説をネタニヤフしてじゃなかったネタにして観客に見せる。なんとまぁ研ぎ澄まされた発想、鮮やかな着地。なんつーか、粋な映画だね。こういう粋なナチス関連の映画も昔は『独裁者』とか『生きるべきか死ぬべきか』とかあったが最近はもうほとんど消滅してしまった。だからそれも含めて、流行り廃りに流されない気骨のある良い映画だったなと思います。本当に大事なことっていうのは流行り廃りじゃあないのよ。

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