気遣いやめろ自立しろ映画『愛に乱暴』感想文

《推定睡眠時間:0分》

こういうせせこましい邦画の家族ドラマみたいなやつはあんま面白く感じないのでいつもなら観に行ったりしないのだが江口のりこが主演となれば話は別でそれはもう確実に観るしかないのであった。俺の独自研究によれば江口のりこは間違いなく今の日本映画界でもっともホットな役者の一人であり、硬軟自在にどんな役柄でもカメレオン的にこなしつつも決して画面に埋没せず独特の存在感を刻みつけるその芝居の面白さは今時珍しく役者魂を感じさせるものである。邦画リメイク版の『CUBE 一度入ったら、最後』だってしょうもねぇ映画だったがあそこに江口のりこを放りこんでおけばそれでもまだまだ全然観られる映画になっていたことだろう。江口のりこと古田新太と濱津隆之をあのCUBEに詰め込んで…画面が濃いな!

しかし、こんなにホットな江口のりこなのに、そのホットな才能が逆に作用してか、古田新太みたいな他の演技巧者と同様に映画やドラマではクセのある脇役起用が多く、『愛がなんだ』『事故物件 恐い間取り』『時効警察』など代表作多数も、主演作はこれまでほとんど作られてこなかった…。その江口のりこが今年に入ってフィーバータイムに入っておりなんと主演作が『あまろっく』『お母さんが一緒』そしてこの『愛に乱暴』と急に3本! とくにこの映画は心にわだかまりを抱える主婦・江口のりこの視点でほぼ全編貫かれているとあって江口のりこ劇場の様相を呈しており、江口のりこファン待望の主演代表作といえる作品となっている!

などとテンション高めに書いているが内容的には徹底的に気遣いの人であるがゆえに夫も含めた周囲の全員からナメられている江口のりこが近所で起きたボヤ騒ぎをきっかけにだんだんとブチ壊れていくシリアスドラマ、劇的なことは起こらないこともないのだが江口のりこ(の演じる桃子という役)はどこまでも気遣いと配慮の人なのでそうした劇的な状況にあっても自分からは劇的な行動を起こすことができず淡々と日常が続き…というわけだから劇判もほとんどないしカメラは手持ちのダルデンヌスタイルだからはっきり言って地味! 原作『怒り』などの吉田修一なのでうむむ文芸映画! という感じだ!

それでもスリリングな日常系サスペンスとして成立しているのはやはりなんといっても台詞に頼らず表情のひとつひとつ所作のひとつひとつで微妙な心の機微を表現する江口のりこの見事な芝居のためだろう。江口のりこの芝居の魅力を最大限に引き出すために(かどうかは知らない)撮影地や時間帯などごとにいくつかのシーンをまとめて撮る通常の撮影法ではなく脚本に書かれている順番にシーンを撮っていくいわゆる順撮りの手法が用いられていることもあり、その芝居から見える感情の起伏の生々しさには息を呑む、といったら多少表現が大袈裟かもしれないが…しかし、じっさい代わり映えしない画面構成にもかかわらず「次はどうなる、次はどうなる」と目が離せない感じではあったのだ。

テーマ的なところでいうとこれはたぶんよくいる感じの日本の主婦が感じている痛みをえぐり出そうとしたものと思われ、実は江口のりこの他にもテーマの面で重要人物と思われる人が出てくるのでその人も含めるとまた別のテーマが浮かび上がってくるのだが、その人物の出番は原作ではもう少し多いのかもしれないがこの映画版では少なく、「主婦の日常」から浮かび上がってくるものに焦点を絞ったという感じだ。

日本の主婦の日常とはどんなものだろうか。それはもう配慮と遠慮と気遣いの連続である。主人公は調布あたりの住宅街にある義母との二世帯住宅に暮らしているので夫に気を遣い義母に気を遣い近所に気遣いとたいへんなのだがそれだけではなく週2でやってる結婚前に正社員で働いていた会社の石鹸教室の先生としてパート仕事をしているのでそこでも元上司に気を遣ったりなんかする。どこへ行くにもお土産を欠かさず何があっても自分は平気ですよという顔をし気遣いを断られると気まずく感じてしまい落ち着かない…世の中はかなり残念なことに弱肉強食なので、主人公の方は気遣いによって世界に受け入れられ自らの存在価値を与えてもらいたいと無意識的に思っているようなのだが、その思いに反してこの人を取り巻く人々は主人公をめっちゃ雑に扱い、主人公としては不満が静かに溜まっていくばかりなのであった。

それはたしかに世の中が基本的には悪いのだが、悪い世の中に変わってくださいと懇願したところで、その構造は根本的に変わることがない。物語が進んでいく中で徐々に明らかになっていくのは、一見しっかり者に見える主人公がさまざまな理由で本当は自立のできていない依存タイプの人であるということだった。自立ができていないから誰かに縋ろうとして気を遣う、けれども自立ができていないから周囲の人から軽視されるの悪循環。だから結局は、自分で自立するしかない。

壊れながら主人公が精神の自立を果たしていく家庭は『逆噴射家族』のようでもあり、そこに至ってこの物語が本当は主婦だけではなく自立のモメントの薄い日本人の、あるいはそのために要請される日本的家族主義の問題であることが浮かび上がり、どいつもこいつも自立できないその共依存世界を主人公・江口のりこが突き抜けていくサマは、演出的にはそうでもないが(「そんなカス男ども全員ぶん殴って庭に埋めろや!」とか思ってしまう)俺としては爽快痛快であった。その意味でハードボイルドかもしれないな、飼い猫が消えて帰ってこないのも『ロング・グッドバイ』みたいだし。江口のりこ主演のハードボイルド・アクションなんかぜひ観てみたいから誰か作ってください。

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通りすがり
通りすがり
2024年9月3日 3:42 AM

江口のりこ主演と言えばNHK5分ドラマ『野田ともうします』。今思えば江口のりこと安藤サクラがゆるい大学生活を送るというカオスなコンセプトの作品だった…