堤幸彦メジャー凱旋映画『夏目アラタの結婚』感想文

《推定睡眠時間:0分》

コロナ禍は現代日本有数のメジャー監督であるところの堤幸彦も容赦なく襲ったようで本人の弁によればコロナ禍で進行中だった企画が何本も飛んだという。そのコロナ禍の間に(と書けばさも終わったかのようだが別に新型コロナは消えたわけではなく普通に蔓延中であることは忘れないようにしよう!)堤は『truth ~姦しき弔いの果て~』『ゲネプロ★7』など妙なほぼほぼ自主映画を作って誰も居ない劇場でひっそり公開したりしていたが、このたび『夏目アラタの結婚』でめでたくメジャー復帰! ひさびさの堤シネコン作は(本当は『ゲネプロ★7』も『SINGULA』も一部シネコンでやってはいたが限定公開のようであった)客入りも評判も上々で『天空の蜂』を観て堤幸彦は現代日本屈指の娯楽サスペンス映画職人だと確信した俺としてはたいへんよろこばしいのであった。

しかしメジャー復帰とはすなわち大衆路線回帰ということでもある。堤コロナ期のほぼほぼ自主映画はどれもあんまり商業的な成功は考えていないがゆえに意欲的な題材や実験的な演出が見られ堤幸彦ここにありと思わせたが、それを考えれば『夏目アラタ』は世の中の様々なバッテンを高速で繋いでいくアヴァンタイトル(このバッテンをラストまで覚えておくように)こそ堤の出世作『ケイゾク』のタイトルバックを思わせるも、それ以外の部分はそこまで堤らしい遊び心とかはなく比較的オーソドックスな法廷ミステリー。同じく法廷ミステリーの堤監督作『ファーストラヴ』の発展系ともいえる内容で、よくよく考えられたシナリオやディテールにより完成度は高いのだが、堤ファンを自認する俺としては物足りなさを感じたのも事実。まぁ久々のメジャー映画だしこれは失敗できんやろという思いもあったのかもしれないな堤的には。もちろんそれだけではなくこの題材このテーマを雑には撮りたくないという真摯さもしっかり感じられるのだが。

と少し先に話を進めすぎたが『夏目アラタ』がどのような映画かというとなんでもオッサンを3~4人ぶっ殺して解体して逮捕された日本には珍しい女猟奇殺人鬼がおった。主人公のアラタくん(柳楽優弥)はチンピラ風情の児童相談員で、その受け持つ子供の一人が例の女猟奇殺人鬼に殺されたオッサンの息子。ワケあってアラタの名前を勝手に使い獄中の女猟奇殺人鬼と文通していたこの息子に元ヤンキーの感性で暴力感化の危険信号を察知したアラタは文通をやめさせるために女猟奇殺人鬼と面会することに。だがそこに現れたのは報道のイメージからはかけ離れた美少女(黒島結菜)で、なんやかんやあってアラタは彼女に結婚を申し込むことになるのであった。

俺のあらすじ作成能力が低いせいでなんだかラブコメのようになってしまったがラブはあってもコメ要素は友情出演の佐藤二朗を除けばほとんどなく、先にも書いたが内容的には数ある堤映画の中でもシリアス度が最も高い部類と思われる『ファーストラブ』の発展系。ということで柳楽優弥と黒島結菜の丁々発止の演技合戦(付け合わせは佐藤二朗)とテンポよく二転三転する結構意外なストーリー展開によって『ファーストラブ』ほど辛気くさくはなっておらず素直に楽しめる娯楽法廷ミステリーにはなっているが、それでもテーマを考えれば軽い感じの映画ではやはりない(そのへんのバランスはなかなか絶妙)

で、じゃあそのテーマとはなにかというと『ファーストラブ』もそうですけど近年の堤映画ってリベラリズムとかフェミニズムが結構入ってて、それでこの『夏目アラタ』もなんていうかそういう感じ。俺はよくツイッターなんかに生息しがちな臭いオッサンの恥ずかしい騎士道精神は男尊女卑の裏面に過ぎないというようなことを書いているがまぁそういうことだよね。物乞いしているホームレスを見て見ぬふりをするのもどうかと思うがだからと言って憐れみの眼差しで見るのもどうなのか。こっちもあっちも同じ一人の人間なんだから目線を上にやるのでもなく下にやるのでもなくあくまでも対等に見たらいいんじゃないの。善意からの同情や憐憫ならいくらでも相手に投げかけていいのだという発想は無邪気無自覚な残酷であり差別であり見下しであり、反論を許さないという点で暴力でさえあるのだということをこの映画は鋭く突く。むかし哲学者の中島義道がよくそういうことを書いてたね(『人を嫌うということ』など)

そういう無意識的な差別意識の批判が作品の核になっているので、この映画は「らしくなさ」があちこちに仕掛けられている。女猟奇殺人鬼はレザーフェイスみたいな体型かと思ったらスリム小柄な黒島結菜だし、じゃあ完全なる美少女かといえばその歯は歯並び悪く真っ黄色で山谷をたむろするヤニカスオッサンよりも汚い。児童相談所の職員といえばなんとなく聖人のようなイメージを持つ人も多いんじゃないかと思うが、主人公の児相職員アラタくんは受け持つ子供をガキ呼ばわりする元ヤンの乱暴者である。メジャー映画となれば画面は美男美女で埋め尽くされるのが通例だがこの映画でもう一人のヒロインとなるのは決して美人とはいえないそこらへんにいる女の人な見た目の丸山礼だ。差別というのは「〇〇とはこういうものだ」というざっくり偏見の別名なので、それに異を唱えるこの映画には「こういうもの」じゃない〇〇がキャラクター造型の面でもストーリー展開の面でもたくさん出てくるってなわけである。

そう考えればわかりやすい実験的要素はあまりないとしても実はこれも堤の実験精神がひそかに発揮された野心作だったのかもしれない。なにせハリウッドなんかじゃたとえば史劇なんかでその時代に合わせて役者の歯に汚しメイクを付けようとすると偉い人に怒られて止められるっていうからね。そこまで極端ではないだろうとしても日本の映画だって事務所の出演条件とかがおそらくあってアイドル役者の歯を汚すことなんか滅多にない。でもこの映画は黒島結菜の歯をきっちり付け歯で汚す。そういう地味なところに堤の本気と執念が見えるよ。そしてそういう地味なところで妥協してないから、終盤の展開に説得力が出るのだ。

二転三転で引っ張ってドドンと伏線を回収していくシナリオは面白いし反差別のテーマにも真面目に取り組んでいてそのくせシリアスになりすぎない良い映画だと思うが、ただ柳楽優弥のチンピラ芝居に対して黒島結菜は死刑宣告を受けた女猟奇殺人鬼(?)の迫力がちょっと足りず、緊張感があまり感じられないのは勿体ないところだった。黒島結菜の美少女感は伏線ではあるのだが、とはいってもレクター博士とまでは言わずとももう少し何をしでかすかわかんない人のコワさがあったほうが真相がわかったときのカタルシスが強くなったんじゃないかと思う。でもこの手のメジャー映画には珍しく血まみれ切断死体をしっかり映していたから許そう。そういうの大事。

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