《推定睡眠時間:5分》
超絶技巧の長回しと鳥瞰的な大河ドラマの組み合わせがすばらしかった『春江水暖』のグー・シャオガンの新作ということで冒頭は早朝から出稼ぎ茶葉摘みウーマンの人たち数十人が懐中電灯を手に山に入って行くというスケールの大きな画(余談ながらよく似た画面がインドのカルト作『ジャリカットゥ 牛の怒り』にも出てきた)。まだ薄暗い山の斜面に懐中電灯の光が乱舞するわけだがこれは何をやっているかというと中国語の正式名称は知らないが字幕では山起こしとか訳されていた伝統行事らしい。季節は冬の終わりぐらいらしいので山さんに起きてもらってたくさん茶葉を作ってくださいとそのような人間に都合の良い行事だが、原題が『草木人間』というだけあって山と人間の共生関係を示す意図がおそらくあったんだろう、終盤にはこれと対になる山が人間を起こすという場面が出てくる。山に生き山を生かしそして山に生かされる、それが人間の本来あるべき生活ではあるまいか…う~んイイ話だなぁ。
だがその訓話を見せるための中盤が濃い! 主人公は一人息子と一緒に暮らしたい例の茶葉摘み出稼ぎ労働者の一人なのだが茶葉摘みなんかいくらやったって一緒に住むためのカネは集まらねぇ、ちょうど些細なことで雇い主に解雇された(たぶん訴えれば勝てる事例)主人公は一緒に解雇された仕事仲間と共に新たな仕事を始める。それは足の裏に貼ると疲労が取れるという怪しい健康グッズの販売員であった。祝い事となれば冠婚葬祭なんでもド派手にやるのが中華スタイル、販売員志望者を集めたお祝いパーティでは爆音EDM的なものが流れミラーボールがキラキラとパーティ会場に光を放ち千切った銀紙みたいなやつがドバァと降ってくる盛り上がりっぷりで司会者の男は「さぁ皆さんも一緒に! 発狂してでも人生に勝つ!!!」「発狂してでも人生にかーつ!」「声が小さい! 発狂してでも人生に勝つ!!!!」「発狂してでも人生にかーつ!!!」とコールアンドレスポンス、こんなもん露骨に怪しいやんお前らマルチやろと一人の参加者がツッコむと司会者は堂々と言い放つのであった。「マルチじゃありませんよ! なにせ私たちは一人三人までしか勧誘させません!」それがマルチだろ。
この発狂的空気にすっかりアテられら残念な主人公はまんまとマルチ勧誘員となってカスみたいな健康グッズをほぼ全財産はたいて買い込んでしまう。それだけではない。ウチら儲かってまっせをアピールするために風貌も人格も改造しあの茶葉摘みの冴えない出稼ぎ労働者はどこへやら、すっかりバブリーなシティ派へと変身してしまったのだ。出費は大きいがなぁに売れれば問題ない、売れれば問題ない…あくまでも売れればな! 当然売れないので主人公は破滅と発狂への道を突き進むのであった。都市の虚栄などやはり間違い、人間は草木のように自然と共に生きるべきであったのだ。
映画の終わりになると画面に「山水画・第二部」と出るのでこれが実は「山水画・第一部」と画面に出ていた前作『春江水暖』と緩く繋がる連作であったことがわかる。思えば『春江水暖』にも現代中国社会の隅っこの方に生きる人たちの哀寄りの哀歓が描かれていたので中国の伝統的な価値観を示しつつ都市化の進む現代中国人の生き方に警鐘を鳴らすのがこの山水画シリーズなのかもしれないが、しかし警鐘というには中盤の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や韓国ノワールを思わせるピカレスクなマルチ破滅ものがたりが黒々と光りすぎていたので、この監督が本当にやりたいのはどちらかと言えば自然描写とか訓話よりもそっちなのでは…? と穿った見方をしたくなってしまう。
テンションの高い犯罪ものの映画をやりたいがあんまり露骨にやると偉い人から怒られるのでしっかり中国の伝統的な価値観でピカレスクを包みましてあくまでも犯罪はいけないよと警鐘を鳴らす映画ですと言い訳できるようにしたのがこの映画ではないか…とそこまでは邪推しないが、それにしてもやはりマルチ破滅のパートが過剰で面白い。序盤と終盤のゆったりした編集とは対照的にキレの良い編集で主人公が坂を転がるようにマルチ沼にハマりそして抜け出せなくなっていく過程を描き出すこのパートでは駅前の健康グッズ販売場に連れてきたジジィババァに「さぁみんなでカネ掴み体操!」とグーパー運動をさせたり健康グッズをジジィババァに買わせるために「お義母さんと呼ばせてくださぁぁぁぁい!!!」と泣きすがるマルチ販売員など数々のパワーワードとブラックユーモアが炸裂、本当にさっきまで観てたのと同じ映画か…? と思う。
中国ノワールといえば『迫り来る嵐』とか『鵞鳥湖の夜』とかBGMの使用は最小限で長回しを基本とする静かな作品が多かったがこの『西湖畔に生きる』も一種の中国ノワールとすればちょっと新しいタイプの中国ノワールかもしれない。そういえば最近中国で公開された『エイリアン:ロムルス』は人死にの多いアメリカのホラー映画としては珍しくカットなしのR15版で上映されて大好評だったとか。娯楽の締めつけとかあんまやっても民衆の不興買うしなみたいな感じで中国も扇情的だったり反道徳的だったりする映画に寛容になってきているのかもしれない。そうだとすればイイ話である。