《推定睡眠時間:0分》
どうやら友達と旅行に来たらしい主人公の男(佐野弘樹)が寂れたホテルを出るとそこは熱海の街で主人公は何をするでもなくぶらぶら浜辺を散歩する。わりと暑そうに見えるが微妙にシーズン外なのか海水浴客などの姿はなく波打つ音だけがあたりに響く。と、向こうから小さい子供を連れた夫婦がやってきて主人公とすれ違う。すると主人公、ぼんやり何かを思い出したようにふらりと振り返ると夫婦に近づいていって、子供の被っている赤い帽子を見ながら「すいません、その帽子、誰のですか?」「え…ウチのですけど…」「そうですか」何事もなかったかのように再び散歩に戻る主人公。ハッ? 夫婦の顔も俺の心も完全にハッ?
それから主人公に電話がかかってくる。話の内容からすると相手は出版社の人間で、主人公の妻に依頼した原稿っていうか写真が期日までに届かず連絡もつかないので、夫のあなたの法から確認してもらえませんか? とのこと。「あー、それっすか」と抑揚なく主人公は答えて、何の前触れもなくキャッチボールでもするかのようにスマホを海にシューッ! こわい。なにこのひと。え意味わかんないんですけど。
主人公が壊れている理由はやがてわかるが現在、過去、現在そして未来へというキレイな三幕構成になっているこの映画の謎多き一幕目はまるで『その男、凶暴につき』や『3-4×10月』などの初期北野映画、無伴奏のロングショット長回しの中で日常的言動→不可解かつ暴力的な言動へと無表情ゼロ体温のまま変化する主人公のやることなすことがまったく読めず『ソナチネ』序盤のヤクザたけしみたいでおそろしい。なんじゃこりゃあ。スーパーでもハッピーでもフォーエバーでもない気がするぞ!
ちなみにスーパーハッピーフォーエバー略してスハピというのは主人公のめっちゃイイやつな友人(宮田佳典)が入ってる自己啓発系の新新宗教の名前なのだが、とりわけ邦画では過剰に戯画化されることが多い自己啓発宗教がこの映画では実にサラリと自然に描写されていて、主人公の言動ともども日常の中に忍び込む非日常の演出が実に巧み。そのへんは黒沢清の『トウキョウソナタ』とか『アカルイミライ』を思わせたので、きっとこの監督・五十嵐耕平という人は初期の北野武とか黒沢清とかのあの感じが好きなんだろう。まだ映画が終わっていないどころか一幕目も終わっていないのに、早くもこの監督の次回作が観たくなる。できればホラーで。
それで二幕目の過去編に入ると北野武は北野武でも『あの夏、いちばん静かな海。』の北野武になる。二幕目の主人公はフィルムカメラで写真を撮って友達とZINEを作ってるという主に下北沢に生息し(しかし設定上の居住地は福岡とのこと)ヴィレヴァンを餌場とするサブカルヤングウーマンだが、一緒に来る予定だった友達が急遽来られなくなったということで例によってあてどなく熱海の街をぶらついていたところ、出会ったのが一幕目の主人公とその友人であった。これは一幕目の5年前の話。一幕目ではすわダニエル・シュミットの『季節のはざまで』かッ! というほどにほぼ廃墟だったホテルにもコロナ禍前は結構観光客とかがいた(一幕目がコロナ禍を経ていることは従業員のマスク着用でわかる)。大して変わらないはずなのに街の景色も妙に明るくカリフォルニアみたい。
なにやら不穏な一幕目から一転、二幕目はその差異がしみじみと悲しかった。どんな幸福も永遠には続かない。いつか必ず終わりがきてしまう。だから余計に束の間の幸福は輝いて見えるものだし、そしていつか終わることがわかっていても、人はそれをどうしても信じることができない。男の友人がその名の通り永遠のハッピーを約束してくれるに違いないスハピにハマったのも映画では具体的には描かれないけれども幸福の終わりを認めたくなかったからじゃないだろうか。一幕目の主人公であり、二幕目の主人公であるサブカルヤングウーマンと出会った男もまた、終わりを信じることができなくて、彼女が被っていた赤い帽子を探しているのだ。
イイ映画だなと思ったのは往々にしてこんな感じの邦画というのは狭い狭い人間関係や心情の描写に終始しがちなものだが(根拠は俺の主観)、この映画はあちらこちらで明るく静かにけれどもたしかに残酷な幸福の終わりと世の無常を示しつつ、その終わりが別の何かの始まりへと繋がっていくことを三幕目で素っ気なく見せていたからだった。サ~ムウェ~ビヨンザシ~の挿入歌のごとく出来事は幸も不幸も関係なく連鎖していくのが世の中というものだし、人生というものではあるまいか。たとえ自分がどんなに不幸でも、海の向こうの誰かは死ぬほど幸福かもしれないし、その逆もまた然り。ちょっぴりの異国情緒を漂わせる熱海の100円絵はがきのような風景と音景(なんでもない環境音をかけがえのないものと思わせるサウンドデザインは素晴らしい)の中でそんな仏教的な物語を展開するこのセンス。沁みる映画というのはこういう映画のことを言うんじゃないだろうかと思う。
などと真面目トーンで書いてみたがこれは今から振り返ればそんな映画だったという話で、映画を観ている間は、とくに二幕目がそれどころではない。フィルムカメラでZINEを作り街の古着屋で『バタリアン』のTシャツを見つけてはしゃぎロメロとカーペンターが好きでノリが良くよく笑い飾らず自然体でそして浮世離れした美人という感じではなくそこらへんにわりといそうな雰囲気のサブカルウーマンを演じた山本奈衣瑠がッ! 俺のような限界映画オタクには深々と刺さりすぎて心が痛いほどにドッキドキであった。
これが下北沢ならそうもならないだろうが映画のロケ地は熱海である。沖縄でも函館でもパリでもなく熱海なのである…熱海でフィルムカメラでZINEを作り街の古着屋で『バタリアン』のTシャツを見つけてはしゃぎロメロとカーペンターが好きでノリが良くよく笑い飾らず自然体でそして浮世離れした美人という感じではなくそこらへんにわりといそうな雰囲気の山本奈衣瑠と出会う! 出会いたい! 俺も出会いたいぞ…!!! 世の中の人にとっては『花束みたいな恋をした』がこんな感じだったんだろな。俺にとっての『花束みたいな恋をした』はこの映画だよ。SUPER HAPPY FOREVE…映画もまた残酷に94分で終わってしまうわけだが、この映画を観た幸福な記憶は永遠に忘れない、と思いたい。
※他の人の感想を読んでいたら舞台は熱海ではなく伊豆らしいので忘れないと書きましたがもう忘れてたみたいです。儚いね…人間の記憶というのは…。