《推定睡眠時間:15分》
キラキラ映画で橋のロケーションは常道だが普通は映画の終盤にここぞと持ってくるところこの映画ではなんと冒頭シーンが橋をチャリで爆走する女子高生という意表を突く使用法、そればかりでなくキラキラ映画とくれば基本的には低予算というのもありフォトジェニックな構図で勝負するフィックスの画面が一般的だがこのシーンでは橋をチャリで爆走する女子高生あもちろんこの人が主人公ですがをスポーツ中継のように手ぶれぶれぶれの望遠で撮り右へ左へと画面がぶれるものだから時折この主人公がフレームアウトしてしまうという邪道ともいえる撮影法が採用されているのであった。
その後もフラッシュフォワード、サブリミナル的なコンマ数秒の映像断片のインサート、トイカメラによる撮影、ジャズドラムの多用、映画がはじまって十数分ほど経ってから急に出てくるタイトル(しかもなんとなくゴダール映画風)など、実験的手法が数多く盛り込まれていたので実感するキラキラ映画の若手監督育成機能。一昔どころではないか前にはエロ映画が「エロさえ入ってりゃわりと何やってもいい」ってことで新人監督の格好の訓練場兼遊び場になっていたわけだが(でも『ドレミファ娘の血は騒ぐ』なんかは黒沢清が自分の好きにやりすぎて「こんなのエロ映画じゃないよ!」と日活に買い取りを拒否されたりしたのであった)、現在ではキラキラ映画が「胸キュンさえ入ってりゃわりと何やってもいい」ということで似たような役目を果たしているのであった。
監督・横堀光範のフィルモグラフィーを見ると2020年にテレビドラマ『俺たちはあぶなくない~クールにさぼる刑事たち』(全然知らない)で商業監督デビューし『あたしの!』は監督3作目にしてテレビドラマではなく初の商業映画。クレジットの肩書きは監督・脚本(おかざきさとこと共同)・編集と三役で、きっと念願の商業映画だってんでいろいろやりたいことを詰め込んだんであろうことが窺える。ちなみに脚本のおかざきさとこは『恋わずらいのエリー』の人だが、『恋エリ』と『あたしの!』を見比べると主人公の女子高生がおしとやか系ではなく元気印のはっちゃけた欲望に忠実系という共通項があり、まぁ読んでないから知らない原作がたぶんそうなんだろうとしても、おかざきさとこはおかざきさとこで自分の書きたい女子キャラクターをこの映画に詰め込んだのかもしれない。
『あたしの!』というタイトルは主人公(渡邉美穂)とその親友(齊藤なぎさ)がともに同じ男子を好きになっちゃって取り合いになるプロットから来ているが、意外と恋愛バトル的な面は弱くマドンナ男子(木村柾哉)とその親友(山中柔太朗)を含めた四人の高校生のコミカルな青春群像劇という感じで、テイストはついこのあいだやってたキラキラ映画『恋を知らない僕たちは』とちょっと似ていた(ちなみにこの映画にも齊藤なぎさが出ている)。恋愛よりも高校生生活の描写に重きを置くのが最近のキラキラ映画のトレンドなんだろな。キラキラ映画の本質をビルドゥングス・ロマンとすればこの変化は当然のことであり、ここでは恋愛の成就がどうとかよりも、初恋とそれによって生じた親友との諍いを通して、主人公ほか高校生たちの精神的成長が主題となるわけである。といっても大多数の観客の関心はどう考えてもそこではなく恋愛の成就というかマドンナ男子および主人公がどう胸キュンなシチュエーションを作ってくれるかという点にあるが。
恋愛か友情かで揺れる主人公の心象風景をミシェル・ゴンドリー風のポップな映像で見せるあたり面白いものの恋愛バトルの側面が弱いということはどうなるどうなる的な引きが弱いということでもある。ということで笑える箇所は結構あるがグッと盛り上がるところはあんまりなくドラマとしてやや散漫な印象も受けるのだが、キラキラ的に美化されてない人間味のあるキャラクターたちは面白く、幾何学模様的に机の配置された教室や予算の都合か全然寿司が流れて来ない回転寿司屋など変で目を引く場面多し、それになにより多彩な実験的手法がやはり大きな見所。一般的なキラキラ映画とは少し違った意味でなかなか楽しめてよかったすねこれは。
※キャラクターでいうと主人公たちの完全アウトオブ眼中なアホバカ男子同級生二人組も良い味出してた。こいつらマドンナ男子が女子生徒の告白を断るところを物陰からのぞき見するのが趣味で「ふふふ、それぐらいじゃああいつは落ちませんよ~! あ~! 君たちには俺がいるじゃんさ~!!!」とか言うのよ。笑っちゃうね。笑っちゃうけどすごい哀しい!
※あと個人的な趣味ですがマドンナ男子役の木村柾哉よりもその親友ポジの山中柔太朗の方がシュッとしてて好きな感じだ。