ド真面目どうぶつ寓話映画『動物界』感想文

《推定睡眠時間:30分》

人間が動物になっていく謎の奇病が蔓延し人類社会変貌というどことなくJ・G・バラードを思わせる設定のフランス産終末SFホラーなわけだが人間が動物になったら怖いという感覚がよくわからないので(動物の方が人間よりも素晴らしいため)予告編を見てもピンとこなかったが本編を観てもやっぱりピンとこなかったし動物化を恐れる必要はないんだよみたいなことを物語を通して言われるわけだがいやそんなのわかってるんだよという話であった。

人間動物は移民なんかのマイノリティのメタファーだろうし動物化による理性と自他のコントロールの喪失にはヨーロッパ的合理主義に基づく秩序壊乱の恐怖が込められているんだろう(マイノリティというのは常に秩序を攪拌する力を帯びているのだ)、また主人公の高校生が動物化していく過程には性的成熟と親別れのモチーフが含まれているんだろうというわけでこれは寓話、寓話であるからして寓意があるわけでそれを観客に理解させるのが最大の目的という感じの映画なのである。

おもしろいかなぁそんなの。せっかく人間が動物になったらという設定なのにハトさん人間がクルッポークルッポーと路上で鳴いているみたいな楽しいシーンもなければクラブでナンパした女の人がジョロウグモ人間だったのでセックスしたら捕食ギャーみたいな怖いシーンもない。それもこれも設定よりも寓意を優先しているためであろう。タコさん人間とかも出てくるがタコさん人間のやることといったらスーパーで魚を盗み食いというだけ。それじゃあタコになった(映画的な)意味がないだろ! タコさん人間を出すんなら吸盤攻撃ぐらいさせてほしいものだが、そんな感じで動物化をあくまでもメタファーとして用いているがために、個々の動物人間の個性と面白さを出せていないのだ。

終末SF的な設定を寓話の背景として用い、その中で展開される人間ドラマに重きを置くフランス製のSF映画やホラー映画はなんだか最近やたらと日本に入ってくる。団地の外に出ると死ぬ『ザ・タワー』もそうだったし殺人酸性雨が降る『ACIDE/アシッド』もそうだった。その最新版がこの『動物界』といってもまぁいいんじゃないかと思うが、なんでこんなのがフランスで流行ってしまっているんだろうか。もはやゴダールだトリュフォーだといった時代ではない。『世界の果てまでヒャッハー!』シリーズなど主にフィリップ・ラショー映画の公開によりようやく日本在住者がフランス人は高尚な映画ばかり観ているわけではなく下町感覚のバカ映画もめっちゃ好きであるという事実を知ったばかりなのに、こんなジャンル映画の皮を被った寓話映画が立て続けに公開されてしまったらまたフランス映画は知的で高尚という変なイメージが再びついてしまうではないか。フランス人だってホントは面白くないだろこんなの。だって『猛獣大脱走』とかみたいに動物が人間を捕食するシーンもないし!

アリクイ人間の少女が病院で診察待ちをしながらチョロチョロと舌を出して同伴のお母さんに「やめなさい! 恥ずかしいでしょ!」って怒られるところはちょっと面白かったのでそういうのもっとやってくれればよかったのに。実際に人間が動物化したらどんな風に家族は暮らしていけばいいでしょうというのはそれなりに面白い話だと思うが…まぁだからそういう具体的なところ、言い換えればSF的だったり喜劇的だったりする想像力はあまりない、あくまでも動物になんかなりたくない真面目な大人の作った寓話の映画だったということですね! これなら春日部のお馴染みの面々が動物化してしまう『クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国』の方がまだもうちょっと面白いかもしれない!

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments