《推定睡眠時間:0分》
ベネズエラ映画とのことなのだがベネズエラと言われても南米、のはず…ぐらいなぼんやり世界解像度の俺にはたぶんサッカーが強い以外に何も頭に浮かばない。チラシかなんかを見ると「世界一犯罪率の高い国から届いたパステル・カラーの音楽映画!」みたいなことが書いてあったのでベネズエラは犯罪率の高い南米の国らしい。といっても主人公は博士というだけあって(どっかの研究室で働いてるらしいが詳細不明)富裕層に属する人でストリート的なところには出ないので、閑散としたビーチをほっつき歩いてたら気の良い海パンお兄さんに「おいおい、あんたこんなとこで一人かい? 強盗に狙われるから気をつけた方がいいぜ!」とか言われるところとか汚職警官に食いもんねだられるところぐらいしか治安の悪さが感じられるところはない。
というわけで犯罪率の高い国から来た映画という情報は別に頭に入れなくていいだろう。ていうかベネズエラ映画という情報も別にいらない感じである。この映画で描かれることといったらまるっきりそこらへんのありふれた人のお話でしかないのだ。研究室で働きながらバンドもやってる30代ぐらいの主人公がちょっとした仲違いからバンドを脱退してソロアルバムをレコーディングしようとする…これはなんとただそれだけの下北沢のような映画なのである!
大抵の映画というものは何かしらドラマティックな盛り上がりであるとか問題提起であるとか、はたまた誇張されたキャラクターであるとか現実にはありえない夢のような世界であるとか、方向は様々でも日々の労働にひーひー言いながら現実世界に生きている時はあまり考えないようなことを見せてくれがちなものだが、この映画にそんなものはない。とにかくあるのはそこらへんのバンドマンがなんとなく流れでバンドをやめてなんとなく流れでソロレコーディングするがなんとなく流れでうまくいかない、その過程だけ。
具体的には仕事をちょっと抜け出して建物の裏手をぶらぶら行ったり来たりしながらバンドメンバーに電話をして曲の権利について確認するとか、上司とレコーディングのための有休取得日数を交渉するとか、家に帰ったら門がリモコンで開かなかったので車から身を乗り出して二度三度とリモコンを押してみるが反応はなくやがて停電していたことがわかるとか、レコーディング用にマンスリーレオパレスみたいな感じのアパートを借りて作業をしてたら深夜まで音がうるさいと苦情があるんですよとオーナーから軽く怒られるとか、バンドのMVをYouTubeで見てざっとコメント欄をスクロールしてから無言でDislikeボタンを押すとか、音源を入れたポータブルHDDが急に反応しなくなったのでデータ救出に出して帰って来た音源入りディスクを開こうとしたらファイル破損で開けなかったのでもう一度やり直してくれるよう店に頼みに行ったら追加料金を請求されてかなり納得いかなかったとか…ってショボいな! あまりにもそこらへんの日常すぎるよ!
けれどもそれが不思議と面白い。こういう日常系映画は邦画でやられるとふざけんなと思ってしまいがちなのだが、ガチにただ新曲を淡々とレコーディングするだけという純粋さ透明さがそう感じさせるのか、日常系映画のくせに『博士の綺奏曲』には嫌味なところがないのだ(邦画のムカつく日常系会話はだいたい若い男女のドロついた恋愛がどうとかそういうしょうもないことばかり「俺って観察眼あるだろ?」的にやるのである)。音楽を作る。ただそれだけ。それを少しも美化しないし見下しもしない。音楽を作るということを日常の一部としてきわめてリアルに、ということは全然派手なところなく捉えているわけである。俺も一時期マッシュアップにハマっていたがたしかに集中して曲作ってるときなんか完全無表情だもんな。うおーとかイエーとかそういう感情の発露とか別にない。でも心の中は「今のサイコーじゃない?」とか秘かに盛り上がってる。この映画は主人公のそんな心情をブルカみたいの被った音楽のミューズ(無言でタバコ吸ったり部屋の掃除してたりする)で表現してる。
曲調は全然違うがその世界観は初期ベックの音楽世界と通じるかもしれない。案外こういう音楽映画というのは無いんじゃないだろうか。そりゃ探せばあるだろうけど映画に出てくる音楽作りって基本的にアツいじゃないすか。オーディエンスは熱狂して作曲家は大袈裟に苦悩したりする。で音楽ってスゴイね、音楽って楽しいね、みたいなメッセージも付いてきてさ。そういうところはこの映画ホントなかったね。だけど、その何も無さからかえって音楽の良さが見えてくる。主人公から食いもんを巻き上げようとするセッコい賄賂警官の一味がこいつもギターできるんだぜって主人公のギターで一曲ポロロンと弾いたりするがそれが結構上手い。それは音楽を作ったり演奏したりすることが少しも特別なことじゃあなくて日常的な行為であることを示してもいるし、ろくでもない賄賂警官なのにギターを握らせると良い曲を弾くってのは音楽の普遍性や越境性を示しているんじゃないだろうか。
まったくありふれたものとして音楽を捉えるからこそわかる逆説的な音楽の素晴らしさ。驚くほど何も起きない音楽映画だが、それでいてほんのりユーモラスで肩肘張らない爽やかな音楽賛歌になっているという、その魅力を文章で伝えるのはなかなか難しいが…多少なりとも音楽が好きという人なら、曰く言いがたく「あ、良いな」と感じることができるんじゃないだろうか。