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「対外」というから韓国映画界十八番の対北スパイノワールとかかと思い込んでいたが「対外秘」というのは単に持ち出し厳禁の意のようでこれが指しているのは与党の再開発計画書、政界のフィクサーの子飼いとして汚い仕事をいろいろしてきたらしいことが仄めかされる主人公はカネ欲しさに理念もなんもなく国政選挙に打って出るのだったが土壇場でフィクサーの意向により党の公認を取り消されてしまい、無所属で選挙戦を戦うためにこの再開発計画書を知人に持ち出させるのだった。再開発計画書があればインサイダー取引の道具になる、土地転がしにインサイダー取引を持ちかければ選挙資金が集まるだろう。かくして主人公は顔見知りの角刈りヤクザと手を組みインサイダー取引に手を染め選挙に臨むのだがということでさすが肝の据わったシリアルキラーがマ・ドンソクを殺そうとして逆に『ファイナルファイト』のボーナスステージの車みたいになる『悪人伝』を撮ったイ・ウォンテ監督、『アウトレイジ』もかくやの全員悪人っぷりである。
ノワールというよりもポリティカルなピカレスク・ロマンという感じで、キャラ立ちよしテンポもよし展開はスピーディで飽きさせない、と面白かったのだが『オオカミ狩り』とか最近の他のコリアン・サスペンスと同じ問題をこれも抱えていて白けるとまでは言わないがわりと平熱な感じで終わってしまった。それというのは要するに週刊連載的なご都合主義で、見せ場見せ場見せ場に次ぐ見せ場、どんでん返しどんでん返しどんでん返しに次ぐどんでん返しで観客を飽きさせないために展開に無茶が出てくるというあれである。
そういうのも作品のリアリティラインが低ければこれぞB級娯楽って感じで楽しめたりするのだが、韓国現代史を一応絡めて少なくとも『オオカミ狩り』なんかよりはリアリティラインを高めに設定しているのが『対外秘』、まぁどこがどうとかはネタバレになるから言いませんが「おめー不死身かよ!?」っていうところと「いやその新聞記者をさっさと消せや!」っていうところ、あともうそれを言っちゃおしめぇよ的な話ですけれども「普通にフィクサーが主人公にカネ握らせときゃよかったんじゃないの?」っていうところで、なまじリアリティラインが高いものだから俺はその後々のオモシロ展開を作るためのご都合主義にだいぶ冷めた。実利以外なんの関心もない裏社会の連中があんなゲームみたいな抗争やらないよねぇ。
リアルな話ならリアルに徹すればよいし、娯楽なら娯楽に徹すればよいじゃない。リアルな裏社会の抗争というのは東映実録ものの『沖縄やくざ戦争』とか『仁義なき戦い 頂上作戦』とかあのへんの。娯楽の裏社会抗争といったらジョニー・トーの『エレクション/黒社会』とかジョン・ウーの『男たちの挽歌Ⅱ』とかでしょやっぱ。『対外秘』はそのどちらでもない。どちらかといえばこれは『10人の泥棒たち』以降のコリアン・コンゲームものの流れを汲む作品なのかもしれない。軽快なテンポと軽いユーモアなんかはそれっぽい気がした。
苦い(つもりの)ラストに映る青瓦台は民政だろうが軍政だろうが政治屋なんか大して変わらんと観客に冷や水を浴びせる。時代設定は1992年。『ソウルの春』に見られるようにナショナリズムと結びつく形で韓国の民主化が半ば神話化されることの多い韓国現代史系映画にあってこのラストは意表を突いたつもりなのかもしれないが、そもそもこの映画の中にはろくに狭義の「政治」なんか出てこないので、それまで散々非現実的なご都合主義をやっておいてラストだけ急にリアリストぶっても説得力がなかろうよ。同じような問題提起を行った韓国ノワールだったら『悪の偶像』の方がずっと(展開は突拍子もないのに)説得力があったし、だいたい真面目に問題提起をしてたんじゃないですかね。
ってなわけで政治の映画として観るとあんまり感心しないが、「もしも『悪人伝』にマ・ドンソクが出ていなかったら?」の映画とでも思えば、ズブズブと泥沼化していく抗争劇はときおり乾いた笑いをこぼしながら楽しめるんじゃないだろうか。つまんない映画では決してないので観る側がどういう心づもりで観るかというそこだな。まぁでも、そんなこと言ったらどんな映画だってそうか。そんな感じです。