水野晴郎の『ハリウッド100年』が面白かった感想文

今、空前の水野晴郎ブーム。「アメリカン・ニューシネマ」概念の形成と変遷を調べるために最近いろんな種類の映画本を集めているのだが、その中に入っていた水野晴郎の『ハリウッド100年』を読んだらこれが面白い。久々にページをめくる手が止まらず、文庫本1冊でも5年くらいかけて読む俺にしては異例の2日で読了してしまった。そして、あらためて思う水野晴郎の尊さ。かくして俺の脳に水野晴郎ブームが到来し、このように文体も気持ち水野晴郎風になっているのである。

さてこの本『ハリウッド100年』だが、1987年~1989年まで産経新聞に連載されていた水野晴郎の映画コラムを書籍化したもの。その時々の流行り映画や映画関連の話題に絡め、主にハリウッド映画やハリウッドスターに関するあれやこれやが書かれている。昭和末期の時事コラムということもあり話題は古い。測ったわけではないがおそらく間違った情報も多く含まれているだろう。それでもこの本は良い本だと俺は思う。というのも、読んでいる間、実に楽しく映画という異世界に耽溺することができたためである。

ま水野晴郎調の文体はここらへんにしておきまして…水野晴郎というと俺の世代的には第一に金曜ロードショーの映画解説者なのだが、その顔は結構長い間忘れてた。俺が映画に傾倒していった十代の頃は00年代、水野晴郎がカルト映画シリーズ『シベリア超特急』の人としてみうらじゅんや関根勤などを筆頭にサブカル界隈でネタにされた人気を博した時代であったから、いつのまにか頭の中の水野晴郎も映画解説者から『シベ超』の人に書き換えられたわけだ。

今回『ハリウッド100年』を読んで十数年ぶりに思い出す映画解説者・水野晴郎の顔。あー、なんか、金ローもこんなだったなー。細かい解説内容などは覚えていないが水野晴郎の解説を聞くとなんとなくワクワクする、これから特別な時間が始まるように感じたもの。そこらへん水野晴郎の芸なんでしょうな。その名調子はこの本でも存分に堪能できるが、読んでいて実に気持ちの良い文章を書く。どこがどうと具体的に言うのは難しいが、簡潔明瞭にして博覧強記、といって押しつけがましいところは微塵もなく、あくまでも映画が大好きな一人の観客としての語り。その謙虚さは映画よりも個性や思想を語りたくてたまらないというような映画解説者も多い今の時代に読むと殊更に響く。なにせまぁ俺も個性や思想を語りたくてたまらない映画感想屋だからね…水野晴郎に学ばなきゃなと思ったよ。

「映画が大好きな一人の観客としての語り」といってもそれは今のSNSに溢れるような映画礼賛では決してない。映画やスターに対して思うところがあれば率直に語る。ただしそこは水野晴郎、映画評論家以前は20世紀フォックスやユナイトの宣伝部にいた業界人であり、なにより生粋の映画好きであるから、素朴とも言える感想の中にも今の人にはない含蓄がある。たとえば『ランボー3 怒りのアフガン』公開に際しての、マーロン・ブランドやポール・ニューマンらハリウッドの「反逆者」役者たちの加齢に伴う穏健化・セレブ化を引き合いに出しつつのスタローン評などはそのへんがよく出ていると思う。

シルベスター・スタローンに初めて会ったのは、「ロッキー」がアカデミー賞をとった一九七七年の授賞式の夜であった。彼はなんとノーネクタイ、胸を開いたシャツで、胸毛を見せながら、ややソリ身で会場に入ってきた。〔中略〕このスタローンのスタイルは、彼にとってハリウッドの伝統への反逆、その表現だったと思う。〔中略〕スタローンは今、反逆どころか早くも〈アメリカ〉の旗の下にその身をおいて、若者よたくましくあれと叫ぶ。反逆とは、一体何に対してのものなのであろうか。ふっと私は、疑問に思う。

こんな風にスタローンをフラットに、そして本質的に評せる人が今どれだけいるだろうと思う。まず『ロッキー』の頃のスタローンに会っているのがスゴイし、会ったときにはポジションこそ違えど水野晴郎の方が映画業界の先輩だったというのもスゴイ。だから水野晴郎はスタローンのスターオーラに気圧されたりすることなく、あくまでも実体験を踏まえつつ一役者としてスタローンを分析することができる。水野晴郎のスタローン評はおそらく今の映画評論家の誰が書くものよりも短く単純だろうけれども、しかしそれは、今の映画評論家の誰も書くことができないものなのだ。

また、ハリウッド映画の人種表象にさらりと触れたこんな下りには思わず唸らされた。

(白人と黒人がコンビを組む『48時間』と『大陸横断特急』は)双方とも黒人はチンピラで悪い奴だけど、よくつきあってみればこざかしいけど実にいい奴だ…といった扱いになっている。「手錠のままの脱獄」の二人が、ハレ物にさわるように、そっとやさしく描かれていたのに対して、はっきり白人優位の立場から描かれているのが興味深い。「レッド・ブル」にしてもソ連とアメリカの刑事が、一緒に犯人を追う。ソ連の刑事は乱暴で、何をやらかすかわからないと思わせておいて、やはりよくつき合ってみればいい奴じゃないか、という結論に達する。ソ連の刑事と黒人を換えても、十分成り立つ設定なのである。

なんか上から目線になってしまって申し訳なさもあるが、これは今もって有効なとても鋭い分析じゃないだろうか。悪そなマイノリティはだいたい良いマイノリティ、のパターンは一見してマイノリティ(この場合は非白人)を尊重しているようでいて、実はマジョリティ(この場合は白人)がマイノリティを「解読」することによって初めてその善性が表れるという構造を取る点で、マジョリティにマイノリティをジャッジする特権と偽りの中立性を与えているわけである。

これと対比されるシドニー・ポワチエ主演の『手錠のままの脱獄』は白人と黒人の緊張関係を主題としたサスペンス逃亡劇で、そこには監督スタンリー・クレイマーら白人制作者の「こうであってほしい」の願望も見られるものの(そこが批判されたりする)、サスペンス効果を維持するためだとしても白人と黒人がお互いにお互いの解読者として描かれる点で、白人と黒人のどちらも特権化しない、平等な映画と言えるんではないだろうか。こうした指摘は悪そなマイノリティはだいたい良いマイノリティのパターンがハリウッド映画でいささか濫用されているように見える昨今、大いに耳を傾ける価値のあるものだと思う。

ところで水野晴郎の半生をみなさんはご存じであろうか。俺は全然知らなかったのでつい昨日だか検索して出てきたインタビュー記事を読んでびっくらこいた。それは「あの人に聞きたい 私の選んだ道 第61回」という記事なのだが、記事によれば水野晴郎は満州で戦中を過ごした引揚者、満州にいたということは水野家はチャンスを求めてその地に渡ったはずだが戦後満州が解体され国民政府と共産党の内戦に蹂躙される中で財産なんかすっかり失ってしまい、敗戦二年後に故郷岡山に戻ってからは家計の苦しさから高校には通わず果物屋などで働いていた。やがて独学で中卒認定試験を取るも働きながら通える夜間高校が岡山にはなかったので夜間高校設立運動を開始…とこれが水野晴郎の人生の序盤も序盤なのだが最初からドラマがハードすぎないか。そして地味に明らかとなった『シベリア超特急』の由来。そうか、満州育ちだったから『シベリア超特急』なのか…!

戦後の貧しい日本(しかも岡山)で育った水野晴郎の光となったのはハリウッド映画。英語もハリウッド映画から学んでおそらくそれが二十世紀フォックスの宣伝部に採用された大きな理由であろうから、ハリウッド映画が水野晴郎に生きる道を与えたと言ってもかなり過言ではない。『ハリウッド100年』という本には元が新聞コラムだけあってそんなことはまるで書かれていないのだが、かような半生を送った人が書いたものと思えば俄然、その言葉のひとつひとつは重く、深く、沁みる。けれども矛盾するようだが、文章からそんな背景はまるで感じさせず、あくまでも映画が大好きな一人の観客としての語りに徹しているのが、この本、そして水野晴郎のまったくエライところなのだ。

いやぁ、映画と水野晴郎って、本当にいいもんですね!

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