町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』ちょろ再読感想文

そういえばこないだ文庫化されたみたいなことがどこかに書いてあったなと思って調べたら文庫化されたのは続編の『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』で、なぜか一作目にあたるこちら『〈映画の見方〉がわかる本 2001年宇宙の旅から未知との遭遇まで』の方は文庫化されていないようだった。映画でたとえると『襲撃者の夜』は日本でビデオスルーだったけど続編の『ザ・ウーマン』は日本でも劇場公開されたみたいなことだろうか。誰の得にもならないわかりにくいたとえはやめろ!

ということで『〈映画の見方〉がわかる本』である。当代きっての人気映画評論家・町山智浩が2002年当時映画秘宝で連載していた評論コーナー「イエスタデイ・ワンスモア」(改題前のコーナー名は「えばぐり」)を書籍化したもので、おそらく町山智浩単著の映画評論本としては最初の一冊になるんじゃないだろうか。その意味で町山智浩が雑誌編集者から映画評論家へと転身する第一歩となった記念碑的著作であり、その後町山智浩はアメリカ事情通として『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』などを出版、憲法9条護持を訴える『9条どうでしょう』に内田樹などと共に寄稿するなど、リベラル知識人としても活動することになるのだから、今の町山智浩は『〈映画の見方〉がわかる本』が作ったと言っても過言ではない。ちなみにこのタイトルがかつて町山智浩の在籍してた宝島社から出てたムック本『映画の見方が変わる本』のパロディだってみんな気付いてました? どうでもいいか。

『2001年宇宙の旅から未知との遭遇まで』の副題が表すように内容としては英語圏でニュー・ハリウッドなどと言われたりもする1967年から1970年代終わり頃までの作家主義的なアメリカ娯楽映画を主に扱い、その作品一つ一つの成立背景を紐解いていくというもの。登場するのは有名な映画ばかりだが、その成立背景までを詳しく知る人は結構な映画好きでもきっと少ないんじゃないだろうか。だから「アッ! それであの映画はこんな内容こんな展開になっているのか!」と膝を打つ面白さがあり、それらが複数繋がってひとつの大きな物語ができあがるに至り、1本の大作映画を観たような感動を覚えたりもする、なかなかよくできた本である。

俺がこの本を最初に読んだのは中学3年か高校に入ってからじゃないかと思う。子供の頃から映画はよく観ていたがとくに好きという意識はなく、小学生~中学生の頃はどちらかといえばテレビゲームの方にハマっていた。それが変わったのはおそらく中学になってからやったセガサターンの『街』というゲームからであった。これはサウンドノベルと当時は呼ばれた実写もののノベルゲームで、週刊ファミ通の読者投票ベストゲームランキングに十数年ほども君臨していたほど根強い人気を誇るカルトゲームだが、このゲームをクリアした時に俺は初めてゲームの物語に対して感動し涙を流したのであった。それまでも音楽とか映像といったゲームの演出面に強く惹かれてゲームをやっていたところがあるのだが、『街』によってそれが物語と結びつき、そしてそうした志向の強い映画の方へと関心が向いていったわけだ。その先にあったのが映画秘宝と『〈映画の見方〉がわかる本』だった、とまぁ通りよくまとめればだいたいそんな感じになる。

だから俺の場合、『〈映画の見方〉がわかる本』と町山智浩は映画の基礎知識を教えてくれる教師のような存在だったりした。なにせこの本の出版された2002年頃というのはテレビから映画解説者がどんどん消えていき映画番組自体もレンタルDVDなどに押されて続々と消えていった時代である。昔の金曜ロードショーには映画の前と後に出てくる解説者として水野晴郎がいたし日曜洋画劇場には淀川長治がいたが、それもほんの子供の頃の記憶だから、俺が映画を趣味にし始めた2002年頃にはどちらもいなくなっていたはず。観られる映画は昔より増えたが、その映画についてあーだこーだと教えてくれる人は、少なくともテレビからは減った。そこに町山智浩が新時代の映画解説者として現れたわけである。本人もそのへんは意識しているのか、最近では往年の名作をTOHOシネマズで上映するリバイバル企画「午前十時の映画祭」で解説役をやったりしてるらしい。

さて『〈映画の見方〉がわかる本』に話を戻すと…なるほど、面白い。今読んでもこれは面白い本だと思う。けれどもちょっと面白すぎた。改めてちょろっとだけ読んでわかったのは、そのちょろっと部分だけでもいくつもの事実誤認や歪曲があったということで、その中には『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』の俗に日本で「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる作品が1967年~1969年にかけて世に出る以前のハリウッド映画には黒人が登場しなかった、という映画評論家としての資質を疑わざるを得ない重大な事実誤認も含まれている(「ニューシネマ」以前の1960年代前半というのはシドニー・ポワチエが黒人俳優として初めてアカデミー主演男優賞を受賞するなどの快挙を成し遂げた時代であった)

なぜそんな間違いが生じたのかと考えるに(映画秘宝の校正が機能していなかったというのもあるだろうが)おそらく話を面白くしたかったんじゃないかと思う。実はそのちょろっと部分は秘宝連載時のものも手元にあったので読み比べてみたのだが、『〈映画の見方〉がわかる本』では連載版に比べてドラマティックな形容詞が増えていたのが印象的で、町山智浩が文章の劇的な効果の増強を単行本化に際しての加筆で念頭に置いていたらしいことが察せられる。「アメリカン・ニューシネマ」以前のハリウッド映画に黒人が出てこなかったという「物語」はたしかに面白く、そして衝撃的である。黒人さえ出さない保守的なハリウッド映画を「アメリカン・ニューシネマ」が打ち破った! これは実にワクワクさせられる「物語」じゃないだろうか。

けれども事実は違うんである。そして『〈映画の見方〉がわかる本』は、事実よりも読者の耳目を引く扇情的な「物語」を選んだ本なのだ。だからこの本は「物語」として今でも面白く読めるが、それ以上のものにはならない。今の俺ならこの本を映画の教科書として読むことはないし、そういうものとして人に勧めることもないと思う。まぁ梶原一騎の漫画みたいなもんだよね。けれどもそれが「物語」としてではなく事実として読まれた時代がかつてあったわけで、そして続編『ブレードランナーの未来世紀』がごく最近になって文庫化・電書化されたことを考えると、今でもこの「物語」が事実として読まれ続けているのかもしれないわけである。

と思えば、うーん、それはどうなのかなぁと、まぁまぁ思い入れのある本だけに俺は複雑な心境になるんである。そういう心境でこの本のデタラメ記述をピックアップしたnote記事を書いたので、まぁ基本すでに本を読んでる人向けですけど、興味あればどうぞと宣伝して感想を終えよう。

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