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統合失調症を題材にしたドキュメンタリー映画でこのタイトルなのだが統合失調症は現在では早期の薬物治療による寛解率が高いことが知られておりタイトルの回答としては一に病院、二に病院、三にも四にも五にも病院という一択になる。とにかくそれっぽい徴候が見つかったらすたこらさっさと精神科を受診すべし。もっともこれは統合失調症に限らず認知症やうつ病など精神の病一般に言えることでもあるでしょうが。
とはいえ精神の病に関するこうした見解が比較的人口に膾炙したのはその長い歴史からすれば比較的最近のこと、この映画の中で監督本人が語るところによれば監督の姉が最初に統合失調症由来と思われる発作を起こしたのは1989年ぐらいだったというから、まだまだ精神科受診が今ほどカジュアルではなく、ましてや当時は精神分裂病の名称だった統合失調症などイコールで閉鎖病棟の中でうわごとを叫んでいる怖い人というイメージが一般的だったであろうから、早いとこ病院行って元気になろか、という発想が家族の側から出なかったとしてもそう責められるものでもないだろう。
結果どうなったかといえば、監督の姉は両親の意志で通院も入院もすることなくトータル25年間ぐらい家の中で孤立無援の闘病生活を送ることになってしまったようだ。どんどんぶっ壊れていく姉とそれを見て見ぬフリする両親に耐えかねて監督は上京し映画学校に入学、やがて帰省のたびに実習も兼ねて家族にカメラを向けるようになり、2001年から2022年ぐらいまでの間に撮りためた家族の映像をまとめたのがこの『どうすればよかったか?』というドキュメンタリー映画。ここで気付いた人もいるでしょうが監督の姉の統合失調症発症が確認されたのが1989年ごろ、監督がカメラを回していたのが2001年から2022年ぐらいまで、姉が家の中で見えない敵と戦っていたのが25年ぐらいということは、どこかで姉は転機を迎える。具体的には薬物治療を受けるようになるんである。
そんなことを書いたらネタバレになるじゃんかというお怒りの声もどこか彼方から聞こえてくるような気もするが、人の人生はコンテンツじゃないんだしまぁもう済んだ話だから別に書いちゃってもいいだろう。そこに至るまで長い時間がかかったが監督の姉は薬物治療を受けるようになる。そしてその効果は絶大であった。念のため記しておくがこれはドキュメンタリーといってもあくまでも映画であり、人の手によって編集の施されたものである。だからこの映画に映っているものだけを見て薬物療法の効果を判断すべきではあんまなく、そういう場面もしっかり描かれているように、薬物治療を行っても即寛解とかあっさり根治とかにはならない、とは肝に銘じておく必要がある。
しかし、それでもこれはやはりスゴイ、薬物治療を受けるまでは感情鈍麻と見られる症状により会話を行うことすら不可能だった監督の姉が、ある程度普通の会話ができるようになっただけでなく、自分で料理や皿洗いを行い、監督のカメラに向けて笑顔でピースを向けたりするようにさえなるんである。25年という長期間放置されていたにも関わらずここまでの回復を見せるとは! やはり統合失調症の治療はなにはなくともまず病院、そしていの一番にやることは薬物治療一択である。そうした理解を促進するためにいっそこの映画を義務教育教材にしたらいいんじゃないかと思うほどであった。
さてそこから映画は統合失調症というよりも監督の両親に焦点を当てるようになる。なぜこうなるまで姉を放置したのか。病院に行かせず玄関に南京錠をかけて姉を家に閉じ込めた、という感じのショッキングなあらすじを見ればなんという鬼畜両親かと思う人も少なからずいるであろうが、画面の中の両親は鬼畜からは程遠い人たちであった。お互いに医学研究者でパパママと呼び合い、怒鳴ったり機嫌を悪くしたりとか全然しない、酒もタバコも少なくとも画面の中ではやらずギャンブルとかとも無縁そう、物腰は柔らかくむしろ監督と姉の子供二人を溺愛している感じである。そのうえ両方とも研究者だから金がまぁまぁあり生活には余裕がある。なんだこれは幸せ家族そのものではないか!
でもそれが姉の病気放置という残念な結果を生んでしまったのかなと俺は思った。冒頭の状況説明を除けば映画は監督が家族と過ごした20余年の点描にほとんど徹しており、そのため『どうすればよかったか?』ならぬ「どうしてこうなったか?」の答えは出さないのだが、監督の姉がどんな発作や奇行(突如としてなんとか博士に会うため単身ニューヨークに渡って保護されたとか)を起こしても決して怒ったり説き伏せたりしようとせず、暗い表情で姉ちゃんの好きなようにすればいいよという態度を取るこの両親を見ていると、かつてあった「幸せ家族」が壊れてしまったことを受け入れられなかったんじゃないかと思う。
病院に連れて行けば閉鎖病棟に入院させられてしまうかもしれない、そしたらもう会えなくなってしまうかもしれないという思いも、世間体がどうのというエゴもゼロではなかったにしても、やはりあったんじゃないだろうか。だから病気を放置して、そのうち治って元の幸せ家族に戻れるという妄想にすがったんじゃないだろうか。幸せ家族を失いたくないという優しさと弱さが残酷な結果を招いたのだとすれば、これはなかなか切ない話だなぁと思う。
それはそうと発病前の監督の姉は医学部の試験で何浪かしていて、その過程で占星術にハマったりなんかしていたらしい。映画には姉が作った部屋にあるもんいろいろ繋ぎ合わせたオブジェも登場するがそこには『ダーティ・キッズ ぶきみくん』という1980年代の怪しいアメリカ映画(でも実は脱力コメディ)のVHSジャケットが混ざっていて微笑ましくなってしまった。占星術も怪しいビデオも1980~90年代には珍しくないサブカル趣味。そこからは映画では拾い上げられなかった1980~90年代の若いサブカルオタクの姿が垣間見えるようで、そういうところをもっと映してあげたらよかったのに、とかちょっと思ってしまった。監督の姉も、やっぱり村崎百郎とか読んでたのだろうか?