《推定睡眠時間:45分》
この映画の監督スティーヴ・マックィーンを俺が初めて認知したのはもう20年くらい前になると思うが森美術館でターナー賞展っていうのをやっててターナー賞っていうのはイギリスの栄誉ある現代美術の賞らしいんですがその受賞作をダミアン・ハーストのあのホリマリン漬け牛なんかも含めて諸々並べたかなり豪華な展覧会がこれで、マックィーンの作品はその中にあった。それがどういうものかというとバスター・キートンの有名な家の壁が倒れてくるスタントってあるじゃないですか、『キートンの蒸気船』っていう映画に出てくる。あれを自分出演で再現したパロディ映像みたいなやつ。そのビデオアートのどこらへんがターナー賞なるイギリス現代美術の最高峰で評価されたのかはまったくわからなかったわけですが、アメリカ映画界の超有名スターと同姓同名の芸名というのもあり、なんだか人を食った人だな~と思ったりはした。
その後マックィーンは周知の通り映画監督としての活動を本格化させ『それでも夜は明ける』でアカデミーなんとか賞を受賞するなどスター監督の仲間入り。しかし俺にとってのマックィーンはやはりあのターナー賞展で観たキートンのパロディをやってた現代美術の人である。ということで上映時間じつに4時間超、その内容は現代のオランダはアムステルダムの観光映像のようなものにナチス・ドイツ占領下で起きた虐殺や抵抗の記録の朗読を載せるだけというある意味『世界の車窓から』のダークツーリズム版みたいなやつというこのドキュメンタリー映画も、う~ん現代美術っぽいな~と案外すんなり受け入れられたのであった。
もちろん受け入れられたからといってまったく面白くはない。なにせいくつかのシーンを除いてはとくに映像的な拘りもなく即興的に撮られた気配の観光的映像にここに住んでた誰々さんは何月何日にSSによって連行され云々みたいな戦時下の事件記録の朗読が載るだけでストーリーもなんもない。へぇ~こんな細かい記録でも結構残ってるもんなんだな~と感心させられたりはしたが(そこらへんホロコースト生還者とその支援団体の執念の調査のおかげなのだろう)、基本的には美術館に一角でずっと流れてるけど最初から最後までなんて到底観られないので大抵の人は5分ぐらい観て次に行くたぐいのビデオアートって感じだろう。具体的に誰とは言えないが同じような発想の虐殺記録ビデオアートは前にもどこかで観たような気がする。カンボジアのアーティストとかだっただろうか?
観光的映像に朗読を載せるだけという手法はフィクションでは映画音楽家ヨハン・ヨハンソン最初にして最後となった監督作『最初にして最後の人類』がある。朗読を載せずに観光的映像だけでホロコーストの記憶を語ろうとするものであればウクライナのセルゲイ・ロズニツァによる『アウステルリッツ』。そして長尺のホロコースト系ドキュメンタリー映画といったら生還者の証言のみで構成された『SHOAH ショア』9時間26分が決定版。そのへんの映画の合いの子のような『占領都市』なので斬新ということもない。撮影期間がコロナ禍初期から数年間と長いのは一応この作品の独自性ではありましょうが。
ということで面白くもないし斬新でもない『占領都市』だが、まぁ映像慰霊碑みたいなもんじゃろうからねこういうのは、あって悪いもんでもなかろう。現代アムステルダムの観光的映像からはかつてその場所で起きた凄惨な出来事などまるで想像できないこともあれば、微妙に重なって見えるようなこともある。俺の場合は睡眠鑑賞なので夢と現の間で何度か朗読者が現実には言っていない台詞を言っていた(ように脳が感じた)ところもあり、現在という時間や現実からふわふわと幽体離脱してどこでもなくいつでもない場を脳みそがさまよう、そのような経験のできた映画であった。
ジョー・ダンテも言っていたが3時間も4時間も続けて映画を観ていると脳が酩酊してきてわけわからんくなる。ホロコーストの記録の伝達という意味では明らかにこんな形の映画ではなく本にして読ませた方がいいと思うが(ていうか本が元になってるらしい)観客の意識を現在から切り離してナチス・ドイツ占領下の時代に連れ込むためには、251分とかいうアホみたいなランタイムが必要だったのかもしれない。いつでも観たい映画ではあんまりないが、なかなか得がたい映像体験ではあったので、なんだかんだ観終わって充実感はあったのであった。
※それにしてもホロコーストというのはその結果よりも不合理なまでに積極的に行われたことが他の虐殺と区別されるところかもしれない。そんな気付きも得られる映画じゃないだろうか。