【U-NEXT】陪審側の罪人映画『陪審員2番』感想文

《推定ながら見時間:10分》

クリント・イーストウッドの監督最新作が映画館で上映されず配信直行!? と何ヶ月か前にはSNSで映画マニアたちが騒いで劇場公開を求めるネット署名まであったとかなかったとかだが、基本的に映画は配信よりも映画館で観た方が良いというのは大前提として、どうしてイーストウッドの新作の処遇なんかでそこまで紛糾するのかわからない。前作の『クライ・マッチョ』は絶賛する人もいるが俺からしたらまったくヒドい出来の映画だったし、『ミリオンダラー・ベイビー』『許されざる者』のような映画は一応傑作といっても良いのではないかぐらいは思うが、基本的には与えられたシナリオを素っ気なく映像化する職人が映画監督イーストウッドじゃあないのか。その当世風ではない素っ気なさがたまらないというのはなんとなくわからないでもないとしても、それは結果としてそうなっているという話であって、映画監督としての才能とか感性とか知性とはまた別の話だと思うのだが。

イーストウッドすごい(あと黒沢清すごい)とでも言っておけば映画通として見てもらえるらしい残念な本邦であるが、それはさておきイーストウッドの最新作『陪審員2番』は別に配信ストレートになったからといって騒ぐようなレベルの作品では全然ないとは思うが、近年のイーストウッド監督作ではベストとの声(比較対象が『クライ・マッチョ』とか『運び屋』ならそりゃそうだろう)も頷ける結構面白い映画だった。イーストウッド映画らしくストーリーは単純明快である。そこらへんの若い男が殺人事件の陪審員に選ばれたが審理の中で「もしかしてこの人が殺したんじゃないかも…」という疑念が芽生えてくる。そしていざ投票となったときに他の陪審員は全員有罪派だったのだが、まぁ、もうすこしだけ考えてみましょう…とこう言って議論になっていくわけである。

読めばわかるでしょうがこのプロットの下敷きになっているのは明らかに陪審員ものの傑作『十二人の怒れる男』。シドニー・ルメットの映画版がもっとも有名な『十二人の怒れる男』はメディアを変え時代を変え国をも変えて(ロシア版の『12人の怒れる男』と日本版パロディの『12人の優しい日本人』など)幾度となく映像化されているので、『陪審員2番』はさしずめその最新バージョンか、と思ったが映画が進んで行くにつれてストーリーの力点は主人公の陪審員2番の葛藤および担当検事の確信の揺らぎへと移っていき、それとともに陪審員裁判がいかに陪審員個人の感情や偏見に流されやすいかということが描かれていくので、むしろ『十二人の怒れる男』の裏返しと言えるかもしれない。その意味で恣意的な陪審員選びを題材にした(アメリカでは無作為抽出ではなく検察と弁護士がそれぞれ陪審員を選ぶらしい)『ニューオーリンズ・トライアル』の方がテーマとしては近いだろうか。俺この映画観てないんですが。

さてそれはいいのだが、これはちょっとリアリティがだいぶ無い感じの映画である。別に映画はリアリティの有無で良し悪しが決まったりなんかしないことは超わかっているが、昨今の法廷もの映画としてはいろいろな面でずいぶんざっくりしているように見えたので、えいまどきこんな1990年代のアメリカ映画みたいなことやるのと今風であればいいというものでもないことは超超わかっているが、ともあれ思ったのだ。どこにリアリティがないってまず第一級殺人で起訴されてるわりには証拠があまりにもなさ過ぎ。なんか被害者と被告(カップル)が被害者が死ぬ前にケンカしてんのが目撃されたぐらいの事実しか裁判で出てこないんである。有罪無罪以前にこの程度の証拠しかなかったら起訴まで持ってくの普通無理じゃないだろうか。それともアメリカの警察と検察は無能だからこんなことが実際にあり得たりするということなのだろうか?

その後陪審員たちの合議の段となりそこで「自分は医大生なんですが遺体のこの損傷からすると…もしかすると鈍器で殴られたのではないかもしれません!」と新しい見地が出てくるのもすごいが(検死官はバカなのであろうか)、陪審員たちがプライベート情報を積極的にガンガン出して自己アピールしながら「俺にはこんな過去があってな…その経験から言えばこいつは有罪だよ!」とかやってうんうんと他の陪審員に同意されたりするのでなにこれ? ここに陪審員制度の意味と意義を理解している人間は一人も存在しないのだろうか? 作ってる側も含めて。

もちろん陪審員制度批判であるとか現代アメリカ社会風刺の意図があってそのためにあえて戯画化している面もあろうけれども、その戯画の度合いがシリアスな映画なのに高すぎて、これはちょっと真面目に受け止める気になれない。日本のテレビドラマなんかによく似ているんじゃないだろうか。日本のテレビドラマではリアリティよりもわかりやすさが優先されるため戯画的になりやすく、そんな警察あるわけないだろとかそんな医者がいるわけないだろとかそういうツッコミ待ち状況がむしろ基本であり視聴者的には見所となるが、日本のテレビドラマよりも断然お金がかかっているだけあって画作りにはゴージャス感が漂うものの、『陪審員2番』と日本のテレビドラマが本質的に異なるようには、俺にはあまり思えない。

日本のテレビドラマが駄菓子的におもしろいように『陪審員2番』も十分楽しめる映画ではあったけれども、まぁでも特筆すべきところはないし、これは過度に褒めるような映画ではないんじゃないすか。それはイーストウッドが映画作家というよりも映画職人であることを思えば別におかしなことではないので、おかしいのはイーストウッドを無駄に神格化している日本のよくわからん映画マニア界隈の方なんだろう。

『サブウェイ・パニック』みたいなラストはまぁまぁよかった。

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