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寒くてあんまり動きたくないから本棚から取ってきて確認するという程度の作業ができないがこの映画の中に出てくるミゲル・セラーノというナチシンパのオカルティストは落合信彦のベストセラー陰謀論書『20世紀最後の真実』に登場していたはずで、この『20世紀最後の真実』は前半が戦後もヒトラー崇拝を続けていたチリのドイツ系移民カルト宗教コミューンであるコロニア・ディグニダ探訪紀、後半が著名ネオナチのエルンスト・ツンデルによるトンチキ本『UFO’s:Nazi Secret Weapon?』の剽窃という構成になっているので、映画を観ながら上映後の落合信彦トークショーを夢想してしまった。
だってこの映画の監督二人組レオン&コシーニャの話題を呼んだ前作『オオカミの家』はコロニア・ディグニダを題材にした映画なんである。玄関で追い返されたとはいえ在りし日のコロニア・ディグニダを訪れミゲル・セラーノにも会っている落合信彦ほどレオン&コシーニャ作品を語ってほしい人間は日本にいない。てかレオン&コシーニャと落合信彦の鼎談イベントやってほしい。いったい会場はどんな空気になるのか、そして落合信彦の息子の落合陽一はどんな顔をするのか。興味の尽きないところである。
とそんな具合に実は日本とはかなり因縁のある『ハイパーボリア人』である。ハイパーざっくりあらすじをまとめてみれば、主人公の女優兼臨床心理学者アントーニア・ギーセンはある日エクセルで特定コマンドを入力すると仮想ゲーム世界に入れると主張する患者と出会い、彼の聴く幻聴がミゲル・セラーノの遺したテキストから取られたものであることに気付く。ギーセンはこの話をレオン&コシーニャと共に映画化するのだが、そのフィルムは何者かによって盗まれてしまったので、失われた映画の内容を映画化の経緯も含めて独り芝居で再現しようとする。ところが芝居をしているうちに台本にないシーンが入り込み、スタジオの外部から行動を指示する何者か声が聞こえたりしてくる。何が芝居で何が現実で何が自分の意志なのかわからなくなりながら、ギーセンはやがてセラーノの妄想が実体化したかのような仮想ゲーム世界に足を踏み入れていく…とそんな感じだろうか。
一言で言うならば落合信彦meetsフィリップ・K・ディックなのだが、日本との因縁は落合信彦だけではない。『20世紀最後の真実』の悪影響で1980年代にはナチ系オカルト本が日本では雨後の竹の子のように現れたが、その極北とも言える川尻徹(そんな人が実在するのかも怪しい)の『滅亡のシナリオ』にはセラーノに端を発する戦後ナチシンパのオカルト諸説が大量に流れ込み、ヒトラー生存説や残存ナチス(ラストバタリオンともいう)UFO作って世界を監視してる説、そして1999年ノストラダムスに予言による世界滅亡後(この本ではヒトラーもノストラダムスの予言に従って第二次世界大戦を起こしたということにされている)に南極地下に潜伏していたヒトラーとラストバタリオンがUFOに乗って地上に現れヒトラー千年王国を築く説などが支離滅裂に展開されている。この『滅亡のシナリオ』がオウム真理教の麻原彰晃の終末思想を形成し、オウムの破滅的な破壊行動の理論的支柱となった可能性を、元オウム幹部の上祐史浩はひかりの輪で行ったオウム総括において支持しているのだ(ナチス・ヒトラーとオウム・麻原の関連性について)
映画の最初でギーセンが会う患者は風貌が長髪ヒゲもじゃ目は閉じ気味の半開きだったものだからあはは麻原彰晃みたいーとか思ったがこうなるとホントに麻原彰晃をモチーフにした説もちょっと出てきてしまう。まそれは勘ぐりすぎだとしても、この『滅亡のシナリオ』を下敷きにしてセラーノが後年傾倒していたユング心理学などを全面的に取り入れたのが今も続くアトラスの大ヒットゲームシリーズ『ペルソナ』のシリーズ2作目『ペルソナ2 罪』というわけで、ミゲル・セラーノとそのオカルト思想を題材にしたこの『ハイパーボリア人』はやたらと日本の、というか日本のサブカル・アングラ界隈と繋がりが深いんである(ちなみにハイパーボリア人とは太古の昔に宇宙から飛来し現在は南極地下で眠る人類の祖先とされる存在だが、『ペルソナ2 罪』でも人類の祖先たる宇宙人ボロンティックが地下に眠っているという展開になっており、セラーノの影響が感じられる)
たぶん多くの人はこの映画を一目見ても意味がわからず何じゃこりゃだと思うのだが、このへんの補助線を引いて観れば案外親しみを覚える(?)ぐらいな感じになるんじゃないだろかという『ハイパーボリア人』である。妄想、幻覚、洗脳、無意識、陰謀論、宇宙人、UFO、ユング心理学、仮想現実、8bitゲーム、都市伝説、地底世界、虚実皮膜…などと構成要素を抜き出して書いてみれば荒唐無稽にして難解この上ないカルト作に思えるし実際カルト作だが、その底に流れるのは「自分らも知らず知らずにナチス思想に伝染してないかな~」というチリの人の不安であり(チリは戦後ナチ残党の主要な受け入れ国だったという歴史がある)、ナチス思想が色々経由した結果地下鉄サリン事件になってしまったという負の歴史を持つ日本の人も、そのへんまぁちゃんと考えさえすれば共感できるんじゃないかと思う。
あちなみに映像的には、動く絵画みたいな感じだった『オオカミの家』と違ってわかりやすく美しいところカッコいいところは少なく、インスタレーション的・前衛演劇的な色が濃いめ。なので見た目のキャッチーさでは『オオカミの家』に劣りますが、その代わりにこっちはミゲル・セラーノっちゅう元ネタが強いすからね。その強いネタを仮想現実とか都市伝説とか8bitゲームとかフィリップ・K・ディック的な現実の崩壊でユーモアたっぷりに料理してるわけですからサブカル趣味のある人ならこっちの方が面白いんじゃないでしょーか。てか俺はこっちのが好き。
※併映の短編『名前のノート』は詳しく知らないがどうやら1973年のクーデターによるピノチェト政権誕生に抗議してたぶん軍に処刑された人々を追悼して、その名前をノートのストップモーションアニメと共に読み上げるもの(公式には失踪という扱いになっているようなので正確には追悼ではないのだが)。これもまた『オオカミの家』『ハイパーボリア人』と同じくチリ近現代史の闇を取り上げた、レオン&コシーニャの関心をよく示す作品。ちなみにふざけたシーンの多い『ハイパーボリア人』と違ってこちらは大真面目です。
※※『ペルソナ2 罪』のストーリー解釈については以前【そこそこ徹底ゲーム考察】『ペルソナ2 罪/罰』(その1)に書いたので、『ハイパーボリア人』を観てもなんかよくわからんかったという人はどうぞ。ある意味『ハイパーボリア人』をわかりやすくしたのが『ペルソナ2 罪』なので(順序逆ですが)