MCU終わりの始まり映画『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』感想文

《推定睡眠時間:60分》

誰だこのショボイ映画を撮ったのはと思ったらアメリカの政治風土を高校生の学内政治から批評した『ルース・エドガー』で才気を示したジュリアス・オナーだったのでまぁ人間やっぱり適性ってものがある。フィルモグラフィーを見てもアクション映画は撮っていないようだったので社会風刺とか人間ドラマは得意でもアクションはあんま得意じゃなかったんだろう。いや別にアクションがそこまでヒドいということではないよ。でもこのあいだアクションの本場香港の『トワイライト・ウォリアーズ』を観ちゃったからさぁ…序盤はキャプテン・アメリカの肉弾戦がメインとなるがそこでの演出のキレの悪さがどうしても目についてしまう。これは演者の問題もないわけでなかろうが見せ方の問題が大きいんだろうな、香港アクションなんかに比べてどうしても重みがなく早さもなくショボイ。とくにキック。全然アメリカでいちばん強い人のキックに見えないじゃないか…ビリーズブートキャンプじゃねぇんだからあんた!

とか考えていたら眠ってしまい目を覚ますとなんか大団円的な空気が醸し出されていたのでうわークライマックスのアクション見逃しちゃったなーと思いきや頭がキャベツみたいな人が現れ(誰?)どうやらその人のせいでメイン登場人物がレッドハルクというハルクの2Pカラー版に変身、キャプテン・アメリカとレッドハルクの最終対決は見逃さずに済んだようだったので一安心であった…が。これがまた、ショボイ…どうショボイってアクションのアイデアの乏しさもあるがキャプテン・アメリカとレッドハルク街を壊さないようにキラキラ映画に出てきがちな桜並木道で決闘するのである。おい! お前なんのためにレッドハルクに変身したんだよ! 怪物なら怪物らしく人を屠り街を破壊すべきだろ! そんな誰もいないところで地味に戦ってどうするんだよ…サイズ感も微妙だし!

ということで俺にとっては結構ショボイ映画なのであった。この二つのアクションシーンの間にどんなことが起こったかはすっぽり寝ているのでよくわからないがまぁなんつーか今回はあんまりMCUっぽいテイストじゃないっていうか、なんかよくあるアメリカの中規模予算ポリティカル・サスペンス・アクションをMCUのキャラ借りてやっただけに見えた。要はスケール感に乏しいのだ。一応『エターナルズ』との繋がりもあり揺れ動く世界情勢の中で陰謀がどうのという話になっていたらしいがそれにしてはというか。やはり明確な強いヴィランが不在だったためだろうか、どうも気分が盛り上がらない。ネットで感想を見ていたらハリソン・フォードが出演していることもありMCU版の『今そこにある危機』だと評している人がいてなるほどそうかもと思った。『今そこにある危機』、そんなに面白くないもんな。

まぁしかし、MCUの本流作品はなんか久しぶりに観た気がするのだが、今このネタをまだやるんだみたいなのは感じるようになっちゃったなー。というのも俺はよく知らんがこの映画の中ではアベンジャーズが解散したことになっていて、かつキャプテン・アメリカは大統領や議会とは無関係に自分の意志で動く独立部隊のような存在らしい、で映画の最後でアベンジャーズ再結成しましょうよ! みたいな話になるんである。

これMCU全盛期なら別に気にならない設定だったかもしんないけどよく考えたらすごい問題あるよね。だって議会とか通さず自分の主観で悪いヤツを倒しに行くって国連での承認を取り付けずにイラクには超危険な大量破壊兵器があるってウソついてイラクに侵攻したブッシュ政権と同じようなもんじゃん。そういう部隊が国内にいるってこれ文民統制が取れてないってことでしょ。キャプテン・アメリカってアメリカで一番強いはずだからこれは軍事力であって、その軍事力が政府の指揮下にないということはいつクーデターが起きたっておかしくない異常事態じゃないですか。

それが劇中であまり問題視されないばかりか逆にキャプテン・アメリカを指揮下に置こうとする大統領の方が悪者っぽい扱いになってて、いやそのアメリカは世界の警察だ的な価値観は今もうキツいわーってなるし、その上でやっぱアベンジャーズ再結成しましょうって結論に落ち着くのはわりと意味わかんない。これどういうこと? アメリカは軍備増強して世界の頂点に武力で君臨すべきだみたいなこと? それこそまさしくメイクアメリカグレートアゲインではないかと思うのですが。

いや俺はね、ここ最近考えるようになったんです。2001年にイラク戦争を始めてその数年後にイラク侵攻の根拠としてアメリカ政府が提示した大量破壊兵器の存在が虚偽だったことが判明して、そのとき、まぁだいたいオバマ大統領就任前の2005年くらいかと思うんですけど、アメリカってめちゃくちゃ批判されてたよな。アメリカのそういう武力でなんでも押し通そうとする一国主義とか独善性とか戦争国家的な姿勢みたいの。

でもそれが2008年にオバマが大統領選で勝利したらなんか忘れられてった感じになった気がする。大統領が変わってもイラク戦争は続いていたし(のちにオバマ政権下で終結宣言がなされるが)アフガンに対する無人機の空爆で民間人が犠牲になってイスラム諸国激おこみたいなニュースはたまにあったけど、ブッシュ時代ほどプッシュされることはなくて、それよりもオバマフィーバーの中でアメリカはやっぱり世界一の先進国だなぁみたいな親米的な報道が多くなったように、これは根拠薄弱なあくまでも俺の体感の話ですけど、思う。

それでMCUの歴史を考えてみると『アイアンマン』が2008年の映画だから、MCUってオバマ政権と足並みを揃えて成長してったコンテンツってことになる。でMCUはアクションが面白いとかってだけじゃなくて思想的にも深くて素晴らしいみたいなことを映画評論家とか知識人とかがすごい褒めてたよな、あの頃、2010年代って。それから2010年代はスマートフォンが普及してSNSが登場した時代でもあるから、それもまたアメリカは進歩の国という幻想に拍車をかけたんじゃないだろか。たぶんその三つのソフトパワー、オバマっていうスマートな大統領とMCUの世界的な大成功とスマートフォン&SNSの衝撃で、みんなイラク戦争のこともアフガン(イラク戦争の前段階としてアフガン侵攻があり、その後米軍が駐留した)のことも忘れちゃって、アメリカは結果として世界一進んだ正義の国的なイメージを回復したんだと思う。

だからこの『ブレイブ・ニュー・ワールド』観てさ、アベンジャーズ再結成だとか文民統制を逃れた独立勢力としてのキャプテン・アメリカだとか、あぁ、そうか、2010年代はいろんな新しいものの熱に浮かされて忘れてただけで、アメリカはあの頃から今まで変わらず本質的にはずっと戦争国家だったんだって、そう思ってそれで白けちゃったんだよ。SNSがどうやら依存や極端な思考などなどを生む問題ありのシステムだってこともようやく最近なんとなく一般に広がってきたと思う。だから2010年代のアメリカとアメリカ文化圏を覆っていたアメリカへの実は中身のなかった期待のようなものは、俺に限らず徐々に剥がれ落ちていってるんじゃないかな。

なんかそう考えるとさ、『ブレイブ・ニュー・ワールド』の平凡さって、2010年代を経てのアメリカの今の立ち位置を象徴するものなのかもしれないよ。MCUは今もアメリカが世界一優秀で正しい国だというような幻想にしがみついてる。その幻想で大成功を収めたMCUがこれから路線変更をすることもないだろうから、MCUは今後静かに衰退していくんだろう。MCU終わりの始まりを告げる一作を思えば、その哀愁は、独特の味わいと言えなくもないけれども。

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