『アクト・オブ・キリング』(2012)はマジ凄まじい映画だったけど、なにが凄まじいって虐殺の張本人に虐殺の再現映画を自由に撮ってもらうってハナシもさるコトながら、そのサマが悪意たんまりのコメディにしか見えないトコが凄まじかった。
んで、ドキュメンタリーなのにとても現実に見えないで、マァ感動的って言っていい衝撃のラストすら作り物に見えちゃう、その恐ろしさ。
単に描かれた内容を超えてなにか現実そのものを揺さぶるトコがあり、まったく『アクト・オブ・キリング』は衝撃的なケッ作だったナァ。
で、その続編っつーか姉妹編、『ルック・オブ・サイレンス』。これまた強烈なドキュメンタリー映画。
前作と同じくインドネシアで起きた9・30事件(詳しく知らんからウィキ貼っとく)の大虐殺を、今度は被害者側から描く。
主人公は小さな村に暮らす眼鏡技師のアディさんて人で、この人は件の事件の後に生まれた世代の人。
この人のアニキは虐殺の際にことさら残酷な殺され方をしたらしく、村ではその名前が虐殺の代名詞になってた。
でも父親はアニキや事件のコト語らないし、母親は結構話してたらしいが、しかし真相はよーわからん。
なんでアニキ殺されたのよ。どんなヤツに殺されたのよ。つか、あの虐殺ってなんだったのよ?
ってなワケで、アディさんはオッペンハイマー監督の手を借りて、無料の視力検査と称して虐殺の当事者にインタビューしてくのだった…。
なんともスリリングな筋書き。
でもタイトル通り静かな映画で、アディさんの家族の日常から始まったりする。
彼とその娘のじゃれ合い(妻はいない)
認知症で寝たきりの父親と、なんやかんや文句いいながらその介護をする母親。
その介護ってのが実に荒っぽく、ベビーパウダーかなんか父親に塗りたくるシーンとかあるが、体だけじゃなく顔面にも容赦なくベタベタ塗ってく。
このあたり、思わず笑う。
こーゆーのがハナシの合間合間に挿入されんですが、いやまったくソコだけ見てっとオソロシイ過去があったなんてにわかに信じられないナ。
実際、加害者も被害者も今でも同じ村で静かに仲良く平和に暮らしてんである。
でも加害者側が今でも政権の近くにいるワケで、その関係は対等じゃない。
マァ正義な人ならそーゆーの見て「過去を清算しろー!」って言えるかもしれませんが、いかにソレが欺瞞に満ちた平和だとしてもですね、でも平和に暮らしてんならソレでいーじゃないの、とゆー見方もあるワケでしょ。
つか被害者だろうが加害者だろうが、村の人ほとんどがそう考えてるらしいが、ソコにアディさんとカメラが入り込んで、上辺だけの平和をズタズタに切り裂いてく。
いやまったく、業が深いよ、この映画は。それが正しい行いかどうかは別にして。
(そんなもん後からしか判断できないし)
件の大虐殺はもう50年も前のコトなんで、加害者のほとんどはタイヘンな高齢。中には認知症になって子供たちに介護されてる人もいる。
アディさんとカメラはソコにも切り込む。で、言う。
「私の兄は、アナタのお父さんに殺されたんです」
加害者の子供っつーのも事件後の世代だったり、あるいは当時はまだ幼かったりして、事件をよー知らん。
映画には小学校の授業の様子も収められてる。
教師曰く、事件で殺されたのは悪い共産主義者で、加害者は国を救ったヒーロー、とのコト。
加害者もまたそーゆー風に自分の行為を正当化してるってのは『アクト・オブ・キリング』に描かれた通り。
で、そんな風に教わってきた子供たちが(つっても今じゃアラフォーとかだが)突然入ってきたアディさんにそんなコト言われる。
果たして加害者とその家族がなにを思うか、なにを話すか。
そのあたりとんでもなくスリリングだが、いやしかしアディさんもツライ、加害者もツライ、加害者家族もみんなツライという地獄な光景だなコレは。
映画の中にゃ罪の意識を感じてアディさんに同情を示す加害者家族も出てくる(それをどう捉えるかは観る人次第だろか)
しかし撮影後、身の危険を感じたアディさんは家族と共に村を去ったらしい。
なにか、この映画が建設的な未来に繋がりゃイイなぁと野次馬ながら思いますよ。
でなかったら誰も何も得しない、ただ苦痛ばっかり残るホントに地獄な映画になっちゃうよ。
前作の『アクト・オブ・キリング』はインドネシア国内でも公開され、メディアや一般の間でタブー視されていた虐殺の事実を明るみに出す契機になったとか。
ところで、この映画と同じコトやってんのがあの『ゆきゆきて、神軍』(1987)なのだった。
コチラは終戦直後にニューギニアのウェワク残留隊で起きた隊員射殺事件の真相を求めて、ソコに所属していて事件時は捕虜となってたアナーキスト奥崎謙三がかつての上官や隊員たちの下を訪ねて回る。
真相はともかく、みんな家族とともに平和にのんびりと暮らしてたりするワケで、そこに奥崎さんが亀裂を入れてくあたりタイヘン痛々しい。あぁ地獄。
上官に対して恫喝暴力なんでもござれな奥崎さんの姿は凄まじいが、それにしてもラストの行動はあまりに衝撃的というか、映画を超えちゃってる。
そもそも奥崎さんは大分イッてる人なワケですが、カメラの前で「演技」してるウチにどんどんとその行動がヒートアップしてったっつー撮影背景があり、そう考えっとタイヘンに業の深い映画である。
『ルック・オブ・サイレンス』はオッペンハイマー監督がアディさんに自分の撮ったドキュメンタリー映像を見せるとっから始まる。
そん中で虐殺者が嬉々として自らの行為(アディさんのアニキをどう殺したか、とか)を語るのを見て、アディさんは虐殺者にハナシを聞こうと思い立つ(と、いう風に映画は構成されてる)
撮るコトで被写体の人生を180度変えちゃったってあたり、この映画もやっぱり同じ意味で業が深いのだった。
『ゆきゆきて、神軍』には当初ニューギニア編があり、実際撮影もされたが、インドネシア当局に没収された。
これもなんかの因果だろか。
『ゆきゆきて、神軍』と似てるナァってのは『アクト・オブ・キリング』観たときにも思ったが、そんときはドキュメンタリーとフィクションの境界の崩壊具合が似てると思ったのだった。
『アクト・オブ・キリング』は虐殺者に虐殺の再現映画を撮ってもらう映画なんで、その再現映画が劇中に何度も挿入される。
それがまた自然なんで、どこまでが再現映画の世界でどこまでが現在のドキュメンタリーなのか分かんなくなっちゃうが、そもそもそのドキュメンタリーパートがとても劇映画的に撮られて編集されてる。
ドキュメンタリーなのに全然ドキュメンタリーに見えないで、なにかリアルを揺さぶられるようなトコがあったのだった。
『ルック・オブ・サイレンス』もそーゆー風に撮られてて、これまた全然ドキュメンタリーに見えない。
詳しく知らんが、アディさんが加害者にインタビューしてくトコとか多分3か4カメぐらいで撮ってる。
アディさんの顔、加害者の顔、フルショットってな具合に編集されてパッパと切り替わるが、その画ってのも基本フィックスで、カメラは動いたりしない。
サウンドもよくデザインされてて、なんだかドキュメンタリータッチの劇映画に見えてくる(河瀬直美とか)
入れ子構造になってた『アクト・オブ・キリング』はそーゆー劇映画的な撮り方に虐殺者のリアルがあるような気がしたけど(主人公の虐殺者アンワルさんは元々映画の世界に憧れてる人だった)、もっとストレートなハナシの『ルック・オブ・サイレンス』は映像素材によく手が加えられてる分だけ、なんかイヤな感じある。
死ぬほどスリリングだし、笑えるトコも泣けるトコも美しく詩的なトコもあって、いやもう『ルック・オブ・サイレンス』は超面白い。
映像も編集もサウンドもスバラシイと思うけど…でもなんかヤなんだよ。
プロパガンダ的に感じられるからかもしんない。
面白すぎるからかもしんない。
あるいは関係者全員(とくにアディさん)の平穏な日常をブチ壊して、ソレを監督が善意と使命感で正当化しようとしてるように見えなくもないからかもしんないナァ。
オッペンハイマーっていう監督になにか悪意があるとは全く思わないんだけど、すげー勇気ある人だと思うんだけど、結局『アクト・オブ・キリング』とこの映画で描かれるのは加害者の悪意の無さなんであって、それこそ怖い。
一応言っとくけど、映画は加害者と加害者家族を断罪してるワケじゃないよ。
静かな映画で、監督が言うには「死者の声を聞いて欲しい」とのコト。
断罪じゃなくて、鎮魂の映画ってワケ。
なんだけど、カメラを向けるコト(見るコト)はそれ自体が力だし、暴力だよなぁ。
加害者の沈黙がアディさんを打ちのめすみたいに、カメラ(と監督)の沈黙は加害者と加害者家族を断罪する、みたいな。
悪意の無い加害者が怖いんじゃなくて、悪意の無いコトそれ自体が加害行為になるから怖いっていうか。
そう考えっとこの映画ってのは『アクト・オブ・キリング』よりもっと人間の深いトコまで行った映画かもしんないなぁ。
深いし、不快?ダジャレるような映画かよ…。
しかし、野次馬的偽善的な言い方になりますが、この映画とてもイイことしてんじゃないすかね。
アディさんも加害者と加害者家族の人も撮影同意してるワケだし、監督のやり方に引っかかるトコはあんだけども、マァ傷を隠してだましだましで生きんのもそれはそれで辛かろうって感じもあり。
過去を直視すんのはタイヘン痛いワケですが、虫歯抜くみたいにその後は今までより楽になれんじゃないの。
ってか、なって欲しいんですが。
そうでないと観てるコッチまで罪の意識に苛まれてしまう。
マァなんにせよ、撮る人も撮られた人も観る人もみんな無傷じゃいられない、トンデモナイ映画でしたよ。
コレはホントにイイ映画。
メチャクチャ面白いんで、みんな観てね!
【ママー!これ買ってー!】
アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典DVD) 日本語字幕付き [Blu-ray]
こちらもメチャクチャ面白い。
善悪どころかリアルが揺らぐ強烈な体験ができる映画。
その強烈さは4Dのアクション映画どころでないと思われる。
で、大爆笑。
セルDVDは全長版で、三時間ぐらいある。
レンタル版(劇場公開版)は二時間二十分くらい。
↓その他のヤツ
ゆきゆきて、神軍 [DVD]
9・30 世界を震撼させた日――インドネシア政変の真相と波紋 (岩波現代全書)
ゆきゆきては、加害者が加害者を責める映画で、サイレンスとは、対極にある映画だろう。 同じように感じるなら貴方が、真の被害者を想像できない、サイレンスの加害者に近い性質の人間だからであって、とうぜん… まあ安倍 あれが首相になる。 そういう 国民 インドネシアって日本と同じ何だね
私はあの虐殺被害者家族の人の心情はまったく想像できませんが加害者側の心情なら容易に想像できますので、仰ることはまったくその通りかと思いますし、それを恥じる気も反省する気も毛頭ありません。
理由は単純でして、いつでも自分が加害者になり得るクソみたいな人間だと意識しないことには自らの加害性をコントロールすることはできないからです。薬物やアルコール依存症の治療と一緒ですね。
置き手紙のようなものでしょうからおそらくはこの返信をあなたが読むことはないかと思いますが、自らの加害性を自覚させてくれる方に私としては感謝の念しかありませんので、わざわざコメントしていただいてありがとうございました。
まるで 自由からの逃走 エーリッヒ フロム?ですね
民主主義の基本は自立と普遍的倫理観ですよ 自立が国民主権を意識し、個人の尊重を育むんですがね。
ドイツがナチスを政権に残していれば、欧州は混乱してたでしょうね。
ファシズムを否定する民主主義の概念(自立と普遍的倫理観)の根本が本質的に欠けている文化や社会では、ホロコースト起こすファシズムは是正されないでしょう。 討論しても仕方ないので返信は結構です。コメントへの返事ありがとう 説明は割愛してるので、納得できないでしょうが、まあ 日本はまたファシズムを起こすだろうなと言う事です。 まあホロコーストわ無かった事になってる人が多いので、会話にさえなり得ませんが。 お目汚し失礼しました。