夢の国の彼方映画『マッドマウス ミッキーとミニー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

『プー あくまのくまさん』を皮切りに粗製濫造が始まったパブリックドメイン・ホラー業界の最終兵器がついに登場してしまった。記憶間違いかもしれないが『プー』の監督でさえ「あのキャラには手が出せません。リスクが高すぎます」とインタビューで語っていたミッキーマウスである。ミッキーマウスがスクリーンに初めて登場した記念すべき第1作目『蒸気船ウィリー』も公開から100年が経ち米国法によりパブリックドメイン化。

とはいえそれでミッキーがフリー素材利用できるようになったわけではなく、ディズニー社の法務部が財力と総力を結集して『蒸気船ウィリー』に登場するミッキーマウスはたしかに著作権フリーだが今ディズニー社が使ってるミッキーマウスは『蒸気船ウィリー』に出てきたミッキーとは名前は同じだがデザインがちょっと違うので相変わらずディズニー社に権利が帰属しますという一休さんのとんちのような言い分を完全なる政治的腕力で裁判所に認めさせたのであった。これを日本に置き換えれば昔のドラえもんは藤子F先生の創作物だが今のアニメとかに出てくるドラえもんは連載初期のドラえもんとはデザインがちょっと違うのでF先生の創作物ではありませんという主張をするようなものだから、そんな無理筋も天下のディズニー社が押し通そうと思えば通ってしまうアメリカという国のおそろしさをまざまざと感じさせる話である。

さてその地雷原の如しデンジャーゾーンを無謀にも通って無事完成までこぎ着けついには劇場公開に至った勇気ある『マッドマウス ミッキーとミニー』だが、映画館で観て思わず脱帽。か…カスじゃないか! おそらく日本で86人ぐらいが観た『『デスNS/インフルエンサー監禁事件』(原題はDIEとINFLUENCERをかけて『DEINFLUENCER』)の監督・脚本コンビが面白い映画など作れるわけがないのだが、面白いとか面白くないとか以前に殺人ミッキーが人を殺すだけのはずなのにストーリーがよくわからないのだからカスのレベルが一段違う。これはおそらく元から一本の映画として作られたわけではなくとりあえずいろんなシチュエーションでミッキーマウスならぬミッキーマスクの殺人鬼に殺してもらった複数の短編映画を超即席で無理やり一本にまとめているためだろう。企画ものは鮮度が命。同じ餌を漁る野良犬同業者たちに先を越される前に完成度とかストーリーの整合性なんかどうでもいいからなんとしてでも撮っておかねばならない。どうせ観客はミッキーが人を殺すのが観たいだけなんだから! まるでジェイク・ギレンホールが鬼畜パパラッチを演じた『ナイトクローラー』のようで泣ける。

件の『蒸気船ウィリー』の映像もパブリックドメインをいいことにまるで意味なく劇中で数度にわたって使用(一応『蒸気船ウィリー』を映写機で観ていたら映写機が壊れて殺人ミッキーがスクリーンから出てきたという設定のようだが意味不明)、『蒸気船ウィリー』のミッキーは自由に使えるが現行デザインのミッキーはディズニー社が権利を持っているから使えないというセリフでの説明まで言い訳がましく用意され、ただでさえよくわからないストーリーの間を繋ぐ会話は全部無駄なので一つも面白くない上に、ゴア描写も最終盤に出てくるほんの一箇所を除いて稚拙そのもので見どころなし。あと『スター・ウォーズ』パロディの冒頭テロップで「この映画はディズニーとは一切関係ありません。繰り返しますがディズニー社とは一切関係がないまったくの別物です。我々はディズニー社にアプローチをかけてみましたが無視されました。ですからこの映画は…」と長々説明するオープニングはスベってる。

感動した。映画館で観られてよかった~と思う。こんなカス映画が映画館でかかることはなかなか無いし(まったくないわけではない)、某ディズニー社の逆鱗に触れたら何十億円規模の損害賠償を請求されて確実に負けるという甚大なリスクを背負って作り上げたのがこれという事実には、凡百の傑作映画には決してない人生の真理のようなものがある。しかもみんな『プー』シリーズとかでパブリックドメイン・ホラーにはさっさと飽きたのでお客は大して入っていない! それもまた人生の真理である…。

人生とは決して思い通りにはならないもの。にもかかわらず人間は愚かにも未来に夢を見てしまう。こんな自分だってもしかしたら一躍世界の人気者になれるかもしれない…もしかしたら千兆億円の宝くじが当たるかもしれない…もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら! そんな都合のいいことがあるわけなくそうしたもしかしたらの99.9%は残念ながら叶わないものである。『マッドマウス』の監督・脚本コンビ、ジェイミー・ベイリー&サイモン・フィリップスもきっとこの映画を成功させて夢のハリウッド人種の仲間入りを目論んだんだろう。しかし残念ながらそれも他の99.9%のもしかしたら願望と同じように叶わなかった。しかもそのためのパブリックドメインのキャラを使うというアイデアも人のパクリである。オリジナルなアイデアで世界に挑んで敗北するならまだ尊敬の余地もあるが人真似のアイデアで敗北するとか尊敬できる点がまったくない。

だがあえて言えば、だからこそ『マッドマウス』は感動的なのだ。この無様、この無能、この無策、この無謀、この無駄。あまりにもわれわれ貧乏人の人生そのものじゃないか…! これこそ人生に敗れたすべての人間が映画館で観るべき、われわれのための映画なのだと断言したい。

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