《推定睡眠時間:30分》
さっきBlueskyにこの映画がどう怖いかみたいなことを例え話で書いてそれが俺なかなか良いこと言うじゃないと自画自賛してしまう(恥)ものだったのでちょっとセルフ引用したいんですけど、駅で電車とか待ってて、とくに死にたいとか思ってるわけじゃないけど、不意に「いま自分が線路に飛び込んで電車が来たら死ぬなぁ」って考えちゃって、それで線路に飛び込んで電車に轢かれて死ぬ自分の映像が脳内に再生されて、いやそんなことしたら死ぬじゃん死にたくないよって思うからその映像を振り払おうとするんですけど、そうすればするほどその映像が繰り返し繰り返し頭に浮かんじゃって、頭がそれでいっぱいになって、死にたくないという自分の意志とは反対に、フっと体が勝手に線路に飛び込んじゃうんじゃないかって想像して怖くなることって、たまにないですか?
まぁ、ないと言われたらそれでもう話は終わり、その人はたぶんこの映画が怖くないから怖いものは期待しない方がいいですけど、あるっていう人は、この映画けっこうイヤな汗が出る怖さがあると思う。やりたくないことをやりたくないのに自分から進んでやってしまうという不条理の恐怖。ある日とつぜん自分で自分が制御できなくなってしまう恐怖。エドガー・アラン・ポーが『告げ口心臓』などのホラー作品で繰り返し描いてきた「天邪鬼」の心理の恐怖を描いたサイコサスペンスが『ロングレッグス』だったかなと、俺としてはそのように思うわけです。
といっても30分の睡眠となると中盤がごっそり抜けているので実は細かい部分はよくわかっていない。主人公はFBI捜査官。現場で第六感が働いたことからちょっと無気味な超能力検査のようなものを受けさせられ、その結果この人ならばと捜査難航の連続一家心中事件の捜査を任されることになる。連続一家心中、とは奇妙な書き方だが、どういうことかといえば、この心中の現場にはいずれもロングレッグスと署名されたゾディアックのような暗号文が残されていたんである。しかしそれ以外に第三者が関わった証拠らしきものはないのでそもそも本当に連続した事件なのかどうかもわからない。連続心中はいずれも家族が狂ってしまった(のでイヤだけど殺さないといけない)と訴える父親によって引き起こされているので、仮にロングレッグスがなんらかの形で事件に関与していたとしても、立件するのは困難に思える。
この難事件を主人公は例の第六感を駆使して不思議と解いていってしまうのだが…というのがおそらく映画の大筋であるはずだが、とにかく寝たり起きたりの繰り返し、意識の朦朧とする中で観た後に残ったのは「こんなシーンを見たような…」というおぼつかない映像記憶の断片である。さぁ困った、どこまでが夢かもしくは思い込みでどこまでが実際の映画にあったシーンの記憶かわからない。面白かったしそれを確かめるためにもう一度観てみようかなとも思ったが、とりあえず今日はやめといた。なぜならこの映画、主観と客観の区別をあえて曖昧にしているところがあるようで、そのため妄想とか幻覚と現実の出来事がちょっと混ざっているようなのだが、そんな映画ならばこちらもあえて細部を曖昧にしておいた方が怖くてイイ。
怖さにもいろいろあるがよくわからないものに対して感じる怖さというのは大きなものだろう。俺はこの映画が睡眠鑑賞によって展開によくわからないところがあったから怖かったし、怖かったから面白かったのだ。だってあーた寝て起きたらいきなり画面に白塗りのニコラス・ケイジが映ってて映画版『SIREN』の森本レオみたいにニタニタ笑ってんですよ!? ななななんじゃあ俺が寝てる間に何が!? ってなるじゃない。そういう体験は大事にしたいよね。
しかし逆にわかっているから、あるいはこうかもしれないと想像してしまうから怖いということもある。ここらへんはネタバレになるので慎重に書かざるを得ないのだが、俺がこの映画を観て(あの超能力検査みたいに)連想したのはユダヤ教のゴーレム伝承だった。ゴーレムは土とかで作った人形だが、ユダヤ教のラビがその体にカバラの聖なる文字を刻むと魂が宿って動き出し、文字の一部を取り去るとまた土に戻る。つまりゴーレムとは言葉もしくは文字によってプログラミングされるロボットみたいなもんなわけである。ロングレッグスはどのようにして連続一家心中を引き起こしたのだろうか。その詳細は劇中で語られていなかったのでオカルトパワー? みたいに解釈する人もいるようなのだが、いくつかの要素を重ね合わせればオカルトパワーというよりも、いやまぁそれも一つのオカルトではあるだろうが、暗号文と見えた例の文字によって人間を『虐殺器官』に出てくる虐殺文法みたいにプログラミングしていたのではないかと思う。
いま押井守の『イノセンス』が4Kリバイバル上映されているらしいが、そう考えれば『ロングレッグス』はちょっと『イノセンス』みたいなところのある映画かもしれない。『イノセンス』にもゴーレム伝承が引用されていたし、脳がハッキングされ思考が改竄されることで現実が認識できなくなり、自分の意志とは無関係に誰かの命令で操り人形のように殺人を行ってしまうかもしれないという恐怖が描かれていた。映画のラスト、一人の人物が弾倉の空になった拳銃の引き金を壊れた機械のようにカチッカチッと引き続けるところが俺は怖かった。その銃口の先はカメラに映らない。いったいそこには何があるのだろうか? いったい誰が死んで誰が生きているのだろうか? それを想像すると、電車を待ちながら自分の自殺を自分の意志とは反対に考え続けてしまっているときの、あの恐怖が意識の底から浮かび上がるんである。
とでも書けばずいぶん知性派の映画と感じられるかもしれないが基本的には怖いところはジャンプスケア、不穏な劇判、あと白塗りのニコラス・ケイジなので、ネタ的には黒沢清の『CURE』に近いが描写はもうちょっと俗っぽい。ただしそのジャンプスケアというのもサブリミナルの一種のように感じられないでもない。フラッシュの形で様々なイメージが挿入されるだけでなく、シンメトリックな画面の中にはいやに記号的に四角とか菱形とかの窓やら照明やらが配置され、映像自体が段々とロングレッグスの暗号文のように見えてくるという仕掛けがこの映画には施されている(ぽい)のだ。
うーんやはり恐ろしい映画。T-REXの歌詞を引用しただけの無意味なエピグラフはチャールズ・マンソンがビートルズの『ヘルター・スケルター』の歌詞にハルマゲドン予言を読み取って教団の武装化を始めたエピソードを連想させて気味が悪いし、たまに出てくる断片化された死体写真もイイ感じにエレガントな悪趣味で、日本版予告編に出てきた「ここ10年でもっとも怖い映画」という惹句は誇張としても、「『セブン』以降でもっとも怖いシリアルキラー映画」という惹句はまぁまぁウソではないんじゃないだろうか。そりゃまぁ、寝ないで観たら怖くなくてガッカリする可能性もありますが…。