ノワール・ミュージカル映画『エミリア・ペレス』感想文

《推定睡眠時間:25分》

この映画を知ったのはたぶん上映館のシネコンにポスターとかが貼ってあるのを見てのことだと思うがそのときの印象は日本版のポスターがピンクを基調としたポップなものだったのでふぅんなんかよく知らんけど明るい感じの映画なのか、なんかよく知らんけどアカデミー賞ノミネートなのか、なんかよく知らんけど主演の人がトランスジェンダー(男→女)なのか、とそんな感じだったから、二日前に今週の公開作をチェックしているときに再びこの映画の情報に遭遇しジャンルがミュージカルであること、そして監督がジャック・オーディアールであることを知ってギョギョギョッ! であった。

ジャック・オーディアールといえばフレンチ・ノワールの名脚本家ミシェル・オーディアールの息子にして三大映画祭に監督作が毎回出品される現代フランス映画界の名匠、『リード・マイ・リップス』では難聴者、『預言者』ではアラブ系移民、『君と歩く世界』では両足欠損者、『ディーパンの闘い』ではスリランカ難民と、フランス社会の周縁で苦しい日々を送っているマイノリティが時には犯罪に手を染めてでもその境遇から這い上がろうとする姿をノワールのタッチで描き続けてきた監督であるが、そのオーディアールがこんなピンクな感じの映画を撮ったの? しかもミュージカルで? 

とまぁいろいろ謎であったが観たら納得、別にピンクの映画ではなく、これもまたオーディアールの十八番である「生き直し」をテーマにしたノワールだったのだ。たしかにミュージカル仕立てではあるしそのためにとくに序盤はロケ主体で映画を撮ってきたオーディアールらしからぬセットでのポップなモブシーンが出てきたりとそのへんは前作『パリ13区』でセリーヌ・シアマ&レア・ミシウスという新鋭女性映画人とコラボした影響が感じられるが(レア・ミシウスは今作でも脚本協力でクレジットあり)、それは弱肉強食の都メキシコでグレー案件を白にして日銭を稼ぐ自分に嫌気が差している狂言回し役の弁護士(ゾーイ・サルダナ)と彼女を手駒に麻薬王の顔と過去を捨てて罪の無い一人の女性として生まれ変わりたい主人公(カルラ・ソフィア・ガスコン)のここではないどこか、今の自分ではない自分を夢見る心情の表現であって、物語が進みシビアな現実が夢を覆うにつれてその影は薄くなっていく。

ピンク基調のポスターというのもおそらくポップな印象を与えてふだんあまり映画を観ないライト層の若い女性客などを取り込もうとする日本の配給会社の作戦だったんであろう、別に映画本編はそんなカラリングじゃないしむしろメキシコの夜の深い闇が印象的だった。海外版のポスターはそのへんをしっかりと汲んで日本版とは逆に真っ黒の背景に主要登場人物三人の顔やピンクの文字が浮かんでいるというデザインらしい。つまり、これはノワール・ミュージカルという未踏の領域に踏み込んだ野心的な作品ではあるのだが、映画の根底にあるものはこれまでのオーディアール作品と変わらなかったんである。

というわけでこれまでのオーディアール映画と同様『エミリア・ペレス』も面白かった。社会の周縁で生きる男女の共闘はオーディアール映画の黄金パターンだが、今回はそれを性同一性障害の男麻薬王とその世話役を務める悪徳(を余儀なくされている)女弁護士のカップリングでやる。オーディアール映画の男女共闘はそこに恋愛感情が生じることもあるが基本的には別の人生を歩む相成れない二人が絶望から這い上がるために一時的に手を組んでいるという形を取るから良い。その連帯はほんの一時のもので首尾良く生まれ直せばもう二人の人生は交わらない。この刹那的な関係がフレンチ・ノワールの粋という感じでカッコいいのだ。

もっとも『リード・マイ・リップス』や『君と歩く世界』では男女共闘の結果ふたりが生まれ直すことができたのだが、『エミリア・ペレス』で共闘するのは悪徳弁護士と麻薬王である。悪徳弁護士はまだしも麻薬王の方はいくら最高度の性別適合手術を受けて身分を捏造したところでそう簡単に過去の闇は拭いきれない。妻子も捨てての新しい人生でどれほど善人であろうとしても無垢であろうとしても、暴力と恐怖で群雄割拠のメキシコをシメてきた麻薬王はいずれ己が作り出した暴力と恐怖に呑まれる運命にある。哀しき因果応報。どこまでも追いかけてくる暗い過去というのは『過去を逃れて』なんてタイトルもあるようにノワール・ジャンルの一つの特徴、その意味でも『エミリア・ペレス』は誠にノワールなノワールと言えるように思う。

133分というまぁまぁの尺でもミュージカル・シーンに時間を使ってるためか終盤の展開がやや駆け足気味に感じられたのがあえて言えば難点かもしれないが、フラッシュモブのような路上のミュージカル・シーンやメキシコの聖母マリア信仰のモチーフ、それになにより麻薬王の『女神降臨』を超える劇的ビフォーアフターっぷりで映画の夢を見せつつ、夢はあくまでも夢に過ぎないと観客に現実を叩きつける渋味はやはり匠の仕事。ドライなのだが冷たいわけではなく、登場人物それぞれが自分の欲望や願望に正直だからだろうと思うのだが、過酷な展開でありつつも不思議と爽やかな余韻すら残す、名匠オーディアール熟練にして新境地開拓の秀作ノワールが『エミリア・ペレス』なのでした。

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments