《推定睡眠時間:10分》
アーサー・ペンがハリウッド転換期の記念碑的作品『俺たちに明日はない』を撮る二年前1965年に『俺明日』と同じウォーレン・ベイティ主演で撮り上げたプレ『俺明日』というべき作品は『ミッキー・ワン』(Mickey One)というタイトルでこれは観たいと思っているのだが日本国内では一度劇場公開されたきりでDVDはおろかVHSリリースすらされていないし、もちろん配信だってないからこの映画が『ミッキー17』になんらかの影響を与えたのかそうでないのかわからない。まぁアーサー・ペンの重要作だけあって本国アメリカではアマゾンプライムビデオにもあるしDVDもBlu-rayもしっかり出ているから観ようと思えば観られる映画ではあるからいいか…とかそんなことどうでもいいことを観ながら考えてしまう『ミッキー17』である。たぶんポン・ジュノの長編映画は全部観てるけどこれはその中でも一番つまらなかったと思う。
時は宇宙植民時代、異星入植には長い年月と労力がかかるわけだが、それをカバーするために考案されたのがクローンに無限に働かせればいいじゃんシステムであった。異星に向かう船内では資源にも限りがあるが都合の良いことにこのシステム、クローンが死んだらその死体を分解こねこね炉に残飯とか糞便とかと一緒に入れれば新しいクローンが作れる。だからエクスペンダブル(使い捨て)と呼ばれるこのクローンは何度死んでも生き返らされて異星植民に必要なあれこれの危険任務に使われることになる。そんな絶対やりたくない仕事に考えの浅い主人公ミッキーはギャングから逃げるために志願してしまったので…というのはでも最初の30分ぐらいだけで後はクローン設定とかあんまり関係なく植民団内部のゴタゴタとか異星生物との諍いとかの話になるのであった。
どうつまらないかと言えばまずやはり無限クローン地獄がわりと最初の方だけっていう。それが! それが観たくて映画館に足を運んだのだが! 原作小説『ミッキー7』を十も増やして『ミッキー17』としているのにそれがメインになっていない時点でダメっていうか作品の方向性を見失ってるだろ。無限クローン地獄というのは何も新しいアイデアではなくロバート・シェクリイの1959年の短編『たとえ赤い人殺しが』がこの映画とよく似て何度戦死しても蘇生させられ前線に送り込まれる兵士の悲哀と絶望を描いたブラックユーモアSFで大好きなのだが、これも短編だしそれだけじゃ二時間の映画保たないよなと植民団のゴタゴタとか異星生物がうんたらという別の要素をストーリーに盛り込むのはまぁわかる。わかるがそれを入れるにしても無限クローン地獄設定をちゃんと活かした展開にしてくれないとなんのための設定なのかわからない。たとえばこのクローンシステムで複製されるのは主人公一人だけだが、植民団の内紛の結果たくさん死者が出てみんなクローンになっちゃったとかそういうのやればいいじゃない。しかし、そういう展開にはまったくならない映画なんである。
この時点で興を削がれているのに中盤以降は画的な面白味もなくなんか狭い船内でひたすらつまらない説明台詞の応酬とやる気の無い顔面クロースアップの連続。植民団の船の外には異星生物の群れが集結してすわ戦争かと思わせたいのかもしれないがひたすら凡庸なショットが続くだけでなくなにかしらのアクションも全然起こらないので緊張感もまるでない。かろうじてアメリカ社会風刺っぽいところは楽しめないでもないが、それも手垢の付いたベタな風刺なので大して面白いわけでもなく、しかも同じ風刺ネタを何度も引っ張るのでさすがに飽きる。面食らったのは船内で革命の機運が高まっているという台詞があったので殺し合いでも始まるのかなと思ったらその具体的なシーンはなく台詞で「革命が成功した!」みたいに言われてその件はそれで終わってしまったところであった。いくらなんでもそれはなくない…?
果たして本当にこれがあの『吠える犬は噛まない』や『殺人の追憶』や『母なる証明』といった傑作をかつて連発した天才ポン・ジュノの映画なのだろうか。近年だって『パラサイト 半地下の家族』はシナリオ・演出ともに完璧にデザインされた隙の無い風刺サスペンスだったし、ハリウッド資本で撮ったという点でも世界観の点でもこの映画とは共通している『スノーピアサー』にしても、韓国時代ほどの迫力はなかったものの上手く組み立てられた技巧派の映画ではあった。俺の中で『ミッキー17』のあらゆる面でのガバガバさはどうしてもこれらジュノの過去作と繋がらないのだ…が。
そういえばこの映画、当初は2024年3月にアメリカ公開が予定されていたのだが、SAG-AFTRA(アメリカの俳優とか組合)による大規模なハリウッド・ストライキの影響で完成が遅れて公開が1年も延期になってしまったのだった(→Bong Joon-ho’s ‘Mickey 17’ departs for 2025 release date-IMDb)。加えて2024年1月に公開予定だったということは撮影期間がコロナ禍と重なっている。想像になってしまうので実際のところはどうかわからないが、ということはもしかしたら当初のシナリオ通りには作ることができなかったんじゃないだろうか。本当はもっと大規模なシーンも予定されてたけどプリプロ(撮影準備期間)やってるうちにコロナ禍が来ちゃったからコロナ対策をしながら撮れるような屋内の小さいシーンとかに変更されて、船内クーデターとかも本当はちゃんと撮る予定だったけどストで撮れなかったから穴埋めのために風刺ギャグのシーン増やして…みたいな。
そう考えれば諸々腑には落ちるのだが、落ちたところで別に面白さが増すわけでもない。猿も木から落ちるというしジュノも映画作りに失敗することはある。天才映画監督の貴重な失敗例と思えば観る価値はあると思うが邪道過ぎる鑑賞動機かもしれない。教訓。今の迷走しまくるハリウッドで面白い映画なんか作るのは無理だから才能ある映画監督はハリウッドで仕事をしない方がいい。三池崇史がハリウッドのオファーを断ったと聞いた時には「なぜ!!」と強く思ったが、今にしてみれば三池の判断は正しかったのだ…。