《推定睡眠時間:10分》
映画を観ながらこうも血湧き肉躍ったのは何ヶ月、いやもしかすると何年かぶりかもしれない…! 興奮した…! そしてちょっと泣いた…! 個人的には大好きだがパロディ味が強すぎるという声もまぁわからないでもないあの賛否両論の問題作『マンハント』を経てのジョン・ウー監督最新作に「あの」ジョン・ウーを期待する人はいないとまでは言わないがいたとしても世界に8人程度だと思うのだが、まさかである! まさかハリウッドで金持ちになってすっかり丸くなった今のジョン・ウーが撮る映画に、香港時代のジョン・ウー映画にあったあの激情、あの怒り、あの悲嘆、あの祈りそしてあの爆発的なアクションが蘇ったとは…にわかには信じられない! いやこれは俺の自称がにわかで矢沢的ににわかはさぁとかそういうことを言っているんじゃなくてとそんなことはどうでもいい!
これはスゴい映画だ! 頭がおかしいと言ってもいいだろう! まず台詞がない! 主人公のジョエル・キナマンは息子を殺された怒りでギャングをぶっ殺そうとして返り討ちに遭い喉を銃で撃たれて瀕死! そんなもん死ぬだろ脊髄ど真ん中逝ってるしという気もするがジョン・ウーの世界では無念を晴らすまで人は死なない! 『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』とかに出てきたジョン・ウーお馴染みの謎に白すぎる手術室での医師たちの天使の如き懸命なる努力によりキナマン下半身不随にすらならず元気に蘇生! しかし声は失われていた…そして愛する息子も…! そこからキナマンの壮絶なるギャング壊滅お礼参りが始まるとそんなわけでこの映画は(多少の背景音的なものを除けば)台詞がないのだ! 喋れないのはキナマンだけのはずだがそんなことは関係ない! ジョン・ウーの世界では銃声が声なのだ!!!!
もうね冒頭からスゴイよなにせ台詞がない映画ですからねストーリーはごくわずかな文字の使用を除けばすべて映像で語るしかない! おそらくサイレント時代の一般的な映画よりもずっと説明の少ないこの映画を観ていると映画とは何かと思わず考えてしまうよな! 「見りゃわかんだろ!」ジョン・ウーの幻聴怒声が脳内に響く! そうだ、最近の映画、わけてもアメリカ映画はあまりにも説明が多い…だがそれは本当に必要か? そんなもんは必要ねぇ! 必要なのはアクション! アクション! アクション! そしてエモーション! エモーション! エモーションだ! それだけあれば映画は伝わる! それが映画だろうが!!!!
ということで冒頭から『ファイナルファイト』か『ウォリアーズ』を思わせる(こういう映画観るといつもそれ言ってる!!!)治安の終わったシティを舞台に香港時代を思わせる狭い路地でのギチギチカーチェイス&銃撃戦がなんの説明もなく展開されそしてキナマンはなんの説明もなく血にまみれてスラムシティを激走! 余計な音楽も演出もなにもない! あるのはアクション! カメラ! 役者! 少しもオシャレ感などなく泥臭いパッションの炸裂する映像に圧倒されるがその後シーンが例の病院に移ってもキナマン妻が登場するシーンでカメラがまずその駆ける足を躍動的に捉え移動しながらティルトしてキナマン妻の全身像が現れるというそんな何気ないシーンまでカメラがアクションをしている!!!
映画とは動く絵のことであるとこれほど雄弁に語る映画がかつてあっただろうかと言えばまぁあっただろうという気はするにしても最近はホントなかったですよ! この純粋なアクションの面白さ! そしてそこから醸し出される言葉にならないエモーション! だが、それだけではない! 果てのない銃撃戦の中で壁に空いた穴からはエル・グレコの宗教画を思わせる光が差し込み、爆炎に包まれたギャングビルの吹き抜け階段はダンテの幻視した地獄となって、映画は現世を超えあの世へと突入していくのである…!!!
ジョン・ウーはカトリック信者だからおそらくその宗教的世界観がここには反映されているのだろう! 俺はかつてジョン・ウーの『狼/男たちの挽歌・最終章』のラストに用意された大銃撃戦の前から後ろから更には上からとありとあらゆる方向から銃弾の雨あられが降り注ぐ光景にめちゃくちゃ衝撃を受けたものだが、この映画もまたいつしか360°の鳴り止まぬ銃声と暴走車のエンジン爆音に包まれたアクションインフェルノと化していく! それはまるでシスティーナ礼拝堂の、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれたあの天井画の銃撃戦版! 台詞の代わりに銃が高らかに歌うポリフォニック・アクション・ノワール・オペラというだけでも異常なのに死体が100体ぐらい積み上がる血まみれ大銃撃戦を聖書の世界にしてしまうのだから敬虔なのか冒涜なのかわからないがとにかくスゴイ映画である! スゴい映画だから今回スゴイ映画と書くの3度目!!!
惜しむらくは無言の絆で結ばれた復讐者キナマンと刑事キッド・カディのバディ感が薄くジョン・ウーの香港時代にあった人情があまり見えない点だが、しかしそれもこの世の地獄を見せるためのあえての判断だったのかもしれない。香港時代のパッションを香港時代を超える勢いで爆発させつつも、ここには香港時代のアツさが奇妙なほどない。たしかにアクションはものすごいので結局盛り上がらざるをえないのだが、飛び交う銃声の音は香港時代よりも明らかに乾いて、その世界は空虚で殺伐としている。この映画が公開されたのは2023年というから2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響はきっとあったんじゃないだろうか。ジョン・ウーはかつて『狼』のインタビューでこう語った。これは戦争なんだ。私は銃撃戦で戦争を描いているのだ、と。
血で血を洗う戦争よりも優しさと平和を、そしてそのための祈りを。そのようなメッセージが込められた映画と思えば、これだけ人を面白くぶっ殺しといて最後に残るのが虚しさと切なさなのも頷ける。とはいえそこはジョン・ウーだ。負けたまんまじゃ終われねぇ…たとえ死んでも戦ってやろうじゃねぇの! の闘魂スピリットは隠しようがない。無数の弾痕でズタボロになった思わず震えるハードボイルドな車を降りて、ギャングビルに単身カチコミをかけんとするキナマンが決意の革ジャンを羽織ったとき、その姿には『男たちの挽歌Ⅱ』のチョウ・ユンファがダブって見えた…そうだな、わかったぜ、俺だってやってやんよ!(何を?)
ジョン・ウーの新境地にして新たなる代表作の、スゴい映画である。これで4度目である。
お前1人で息子産んだんか?ってくらい妻のことを置き去りで、
度々鎮痛な妻のショットも入れるから、本当に大切にすべきは今を生きる隣人ってメッセージにするのかと思ったらそんなこともなく…
いっそ妻の存在がなければ映画に集中できたのになぁ、ってなってしまいました
ジョン・ウー的エモーショナルに女性は不要なのかもしれませんが…
ハリウッドに渡ってからはそうでもないですけど、香港時代のジョン・ウーの映画ってわりと悲愴感が強いものが多くて、暴力ではなんも解決しないのはわかってるけどそれでも暴力に頼らざるを得なかった人たちの悲劇みたいな、そういうのが根底にあって。文中で触れた『狼』も、ものすごい銃撃戦の後に結局みんな不幸になりましたとさみたいな虚無的な終わり方をしてたんですよ。
だからこれも、本当は息子の死を受け入れて新しい人生を送るべきだったのかもしれないけど、精神が壊れてしまってそれができなかった人の話って感じかなぁと思います。妻はそれとは逆にちゃんと息子の死を受け入れて新しい人生を生きる覚悟を決めた人として出てくるんじゃないでしょうか。