《推定睡眠時間:0分》
今日は『海街diary』とゆー映画を観てきた。
どーゆーハナシかっていうと、鎌倉の古い家に綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆の三姉妹が暮らしてる。
両親はいない。父親はずっと昔に愛人作って家を出ちゃったし、母親も再婚して家を捨てた。
だから三人だけで暮らしてるんだけど、でもその共同生活は結構幸せだった。
そんな中、三人の下に父親の訃報が届く。
で葬儀に出て知ったのは、父親の愛人もすでに死んでて、死ぬ前にはまた別の女と暮らしてた。そして父親と愛人の間には娘がいて、今は義母と暮らしてる。
三姉妹はその娘・広瀬すずの境遇を心配して、一緒に暮らさないかって誘う。
そんなワケで、四姉妹の共同生活が始まるのだった。
うーん、それにしても、コレはホントよく出来た映画だなぁ。
女優さんの演技は素晴しくて、とく長澤まさみなんて完全に役になりきってる感じ。
この人、ダメ男に騙される系の女の人なんだけど、テンプレ的なダメ女じゃなくてちゃんと血が通ってる感じがして。感情の変化とか凄い自然。
綾瀬はるかとか夏帆も良いし、その三姉妹が若手女優の広瀬すずを見守って育てていくっていうメタフィクショナルな構図も面白いよなぁ。
脇を固める加瀬亮とかリリー・フランキー、大竹しのぶも良かったなぁ。
抑えた演技なんだけど感情の機微が感じられるし、ハナシもぐっと広がって。
常にたゆたうような撮影もとてもいいんだけど、四人で食卓を囲むシーンなんかはカッチリとフィックスで決める。
動きの変化はとても微妙で自然なんだけれども、その中で四人の食卓は絶対に揺るがないんだなってのを感じさせてくれる。
撮影監督は瀧本幹也さんて人で、これが長編二本目らしい。もっとベテランかと思ったから、ちょっとビックリした。
凄いなと思ったのは、エキストラの扱い。演出が隅々まで行き届いてる感じで、画面の奥のほう見てるだけでも面白い。なんかドラマがある。
顔も良かったナ。ホント、個性的な顔のエキストラばっかりで。
切れ味鋭い偏執的な編集のオカゲもあってか、1シーン1シーンは物凄く完成されてる。どこを切り取っても、それだけでCM一本作れちゃいそう。
原作は読んでないんだけれども、脚本も相当練られてるんじゃないかなぁ。
小さなエピソードを淡々と続けて、その中で本筋のエピソードを少しずつ描く。
大きな事件なんて一つもなくて、料理を作る、食事をする、仕事行ったり部活打ち込んだりっていうコトの反復にちょっとした変化が加わってって、ほとんど気付かないウチに四人が打ち解けて、広瀬すずが成長してく。
何気ないセリフがずっと後の展開に対応してたり、かと思えば大事かなぁと思ったエピソードがそのまま放棄されたりして、とても日常的でミニマルなハナシなのに、どう転ぶか分からない面白さ。
そういうの全部調和してて、なんとも居心地の良い映画空間みたいの作ってんの。
ホント、すげーよく出来た、幸せな映画だったなぁ。
でも、これちょっと出来すぎてるよな。
苦手だ、こーゆー映画。
それも物凄く苦手。
『海街diary』で描かれる鎌倉ってホントに美しい世界でさ、みんな優しくて平和な感じじゃん。それがなんか、イヤ。
たとえばこの映画って、ネットもPCもテレビも、新聞すら出てこない(ケータイは冒頭だけ出てくる)
外界への窓は徹底的に閉ざされていて、鎌倉から外の世界は描かれないし、出てきたとしてもソコには三姉妹が嫌う人たちが住んでる。
家と三姉妹を捨てた大竹しのぶもソコに住んでて、この人は三姉妹にとっては死んだも同然になってる。
後半、大竹しのぶが鎌倉の家に来るんだけど、一方三姉妹は決して大竹しのぶの家に近づこうとはしない。
三姉妹の間にそのような会話すら取り交わされるコトが無いワケで、彼女たちにとっては鎌倉が世界の全てって感じになってる。
鎌倉の外は悪い場所で、彼女たちは絶対に触れようとしない。
触れたらどうなるかって言うと、多分もう一緒に暮らせない。
外の世界の毒と誘惑は、姉妹をバラバラにしちゃうと思う。
単にそーゆーハナシってだけならまぁいいけど、でもイヤらしいのは、是枝裕和監督がそのコトに極めて自覚的だったとしか思えないトコ。
だから、いかに現代を舞台にした映画として不自然だとしてもネットもPCもテレビも新聞も出てこないんじゃない?
四姉妹の暮らす鎌倉はどこまでも美しくて理想的にさえ思えるけど、そのユートピアは排除の論理によって成り立ってるってワケで。
実際、この映画には部外者っていうのが出てこない。
たとえば身体障害者、たとえば精神病患者、たとえば犯罪者やLGBTや外国人みたいな、少しでも鎌倉の調和を乱しそうな人たちは徹底的に排除されてる。
姉妹の会話の中には精神病の人がちょっとだけ出てくるけれども、そこで語られる精神病の人は姉妹の幸せな生活を邪魔する人として捉えられてるんだよ。
この感じなにかっていうと、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)の、あの感じ。
人工的なユートピアで、それは明らかに事実じゃないんだけど、映画の呼び起こす強烈な郷愁が事実を掻き消す。
その点でいえば『海街diary』の方がタチが悪い。
あんな美しいだけの鎌倉なんて存在しないのに、ドキュメンタリー出身の是枝さんはリアリズムで撮るから、それが『always 三丁目の夕日』であるとか、あるいはウェス・アンダーソンの幸せな箱庭世界と同種のモノであると感じさせない。
ある種、やってるコトの方向性は『意志の勝利』とかに近いんじゃないの。
プロパガンダ的な。
姉妹にとって都合の悪い人の排除された、姉妹にとって優しい人や友達になれる人だけで構成された鎌倉。
その外部は存在しないし、異質な人は存在しないし、性とか死みたいな、幸せな同質性に満たされた日常を乱す全ては言葉の上で、否定的な意味でしかありえない。
ここには他者が一人もいない。
卓抜した技術と才能と情熱でもって、是枝さんはどこまでも冷徹に、その痕跡すら残さずに他者を抹殺する。
だから、凄くよく出来た面白い、幸せな映画だけど、凄くイヤな映画だったなぁ。
あーあ、明日はなんの映画観よっかな。
(終わり)
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そんな郷愁に満ちた美しいだけの世界なんて現実じゃないんだ!
と言ってくれるのが『オトナ帝国の逆襲』なので、解毒のために観たい。
しかし監督の原恵一さん自体はその後、優しい人たちばかりの優しい映画を撮るようになり、この映画の頃みたいな力は無くなったと思う。
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批評の流れが確信犯的で気持ちワル
宇多丸をえらく薄味にした感じのブログですね。外部を感じない、結論ありきの文章でなんとも居心地悪くなりました。
ライムスター宇多丸さんのタマフル批評、特に「食堂かたつむり」「ルーキーズ」「ドロップ」、の批評に非常に似ていますね。他者が現れないという論点では、「食堂~」に近いか。
映画の受け取り方は、それぞれなので、内容に言及はしませんが、残念ながら、うわべしか見ていないなぁ、と感じてしまいました。
胡散臭いユーザーレビューサイトより、よっぽど参考になるけどな
コメント欄見た感じ他作品とはファンの層がダイブ違うような
・・・
ファンの質が悪い=ロクな作品ではない
というのが自分の経験則
このページだけアクセス数が桁外れに多かったのでいくつかコメントがついたというだけのことで、別段この映画のファンの質が悪いということでもないかなぁと思いますよ。そら、自分の好きな映画を嫌味ったらしく貶されたら大抵の人は良い思いしないでしょうし。
俺は『海街』は良い映画だと思いますよ。嫌いですけど。
例えば次女が元カレと別れる様子が描かれていたり、そんな「4人が他の受け入れがたいものを徹底的に排除した世界」ではなかったと思います。あの4人はちゃんと生きてる感じがしました。
確かに「徹底的に排除」はちょっとヒドイ言いようですね…。
観た直後に書いたので、たぶんよっぽどムカついてたんだと思います。
なんというか、四姉妹はみんなすごく良い演技をしていて活き活きとして魅力的なんですけれども、姉妹にとっての悪い人(元カレとか父親の後妻とか)はかなり記号的に描かれている気がして、個人的にそのあたりがイヤだったんですよ。
ちょっと気になったので・・・、一言。
「たとえば身体障害者、たとえば精神病患者、たとえば犯罪者やLGBTや外国人みたいな、少しでも鎌倉の調和を乱しそうな人たちは徹底的に排除されてる。」
私は、精神障碍者や身体障害者の方と関わる仕事をしているものなんですが、そういった人々って「調和」を崩す存在なのですか?
私が関わっている方は、そんな人はいないですけど・・・。彼らも鎌倉で調和を崩さずに生活していますけど。
また三女の彼氏も広域な意味では「障害者」ですよね。
最後に、犯罪者と同列に、障碍者の方やセクシャルマイノリティの方、外国人の方を置いているのでしょうか?
障碍者の方やセクシャルマイノリティの方、外国人の方は犯罪者になるとお考えなのですか?
長文失礼しました。
ご指摘ありがとうございます。それと、不快な思いをさせてごめんなさい。
>そういった人々って「調和」を崩す存在なのですか?
また誤解を招きかねない表現ですけれども、俺は、そういう面はあると思います。「障がいを持つ人は迷惑だ!」という意味じゃなくて、なんらかのコミュニティの、そのごく限られた共通項から外れる人間は誰だってコミュニティの調和を乱すと判断されるんじゃないでしょうか。金持ちのコミュニティの中に貧乏人が入ってきたりとか、大久保の韓国人コミュニティに日本人が入ってきたりとかしたら、そらやっぱ最初から打ち解けてなんてことは無いですよ。
それでも長い時間をかけてお互い丁寧に接すれば歩み寄れる可能性はあるけれども、でもその間には多くの葛藤や衝突だってあるでしょう。この映画に関して言えば、そういうコミュニティと人間関係の形成における障害はほとんど描かれておらず、それで嫌だったというところはあります。
>障碍者の方やセクシャルマイノリティの方、外国人の方は犯罪者になるとお考えなのですか?
そうなる人もいるでしょうし、そうならない人もいるんじゃないでしょうか。
○○だから××をする、とか○○だから××をしない、みたいなことを言うつもりはありません。
それと、犯罪の種類にもよりますが、犯罪者というだけで疎外されるようなことはあってはならないと思います。
すいません、もう充分長文になってしまったのですが、書いてるうちにどんどん長くなってしまいました。
以下の駄文はなんであんな不快なこと書いたのかという言いワケですが、こんなヤツの言うコト聞く必要ないと思ったら読んでいただかなくても構いません。
いやホントに長いので…。
「たとえば身体障害者~」と書いた意図としましては、映画のストーリーというよりも撮影や人物造形を含めた作劇において、同質性で満たされた均質な空間を作り出そうとする強い意志を感じ(個人的にです)、それにとても居心地の悪いものを感じたため「じゃあ姉妹と違う価値観を持った人や綺麗事ばかりじゃない社会は無視していいのか?」と言いたいがためにに持ち出したのですが、無意識的に差別意識が表れてしまったんだと思います。
認めたくはないけれども、そういう意識がどこかにあるんでしょう。
少し個人的な話にはなってしまいますが、小学校のときに特殊学級の男の子とよく遊んでいました。ご近所さんでしたので、その母親が彼を連れてウチによく来ていたのです。それで、その男の子が母親と一緒に帰った後、ウチの母親が言うワケです。「明日プールの授業あるでしょ? 特殊学級の子たちの後よね? 大丈夫? おしっことかでプール汚れてない?」という風に。
彼女にたぶん悪意は無いんでしょう。けれどもそんなことは腐るほどあって、コンビニの夜勤で働いていたときには常連の知的障がい者のオッサンにだけ露骨にぞんざいでヒドイ対応をする同僚はいましたし、また違うところでは全盲のお客さんに影で悪罵を垂れるヤツもいました。迷惑かけんじゃねぇよってな具合で。少し話からズレますが、意志が弱くて軽度の知的障がいのある若い女性コンビニ店員を、そこの店長がふざけて淫らなことをさせ、スマホに撮って同僚に回してネタにしてた、なんて話をそこの店員の友人から聞いたことがあります。立派な犯罪。
俺がロクなとこで働けてないだけかもしれないし、俺の地元がクソみたいなトコってだけかもしれません。でもこんなの俺の周りじゃ日常茶飯事で、そのときに彼ら彼女らのような差別主義者(俺も?)の中で、確実にマイノリティに属する人々はコミュニティの調和を乱す存在であり、むしろ彼らをあざ笑って邪険にすることで、なにやら背徳的な、秘密めいた楽しみを共有してコミュニティの絆を強化する、ということが普通に起こってますよ、こういうところでは。
それで、こんなこと書いても信じてもらえるか分からないし、というか別に信じてもらえなくても構わないですけれども、俺はそういうのがホントに嫌なんですよ。あまりにバカバカしくて。
肉体的にも精神的にも、また成育環境も含めれば人間なんて無数のバリエーションがあるはずで、「俺たちは同じ人間、お前らは違う」というのがこの手の差別主義者の思考様式でしょうけれども、あらゆる面での個体間の差異を考えれば、原理的にはどんな人間でも差別することができますし、一方で差別される側にいたマイノリティが、別の局面では差別するマジョリティの側に立つことはいつだってありえる。流動性が高く、昔ながらのコミュニティが成立しにくい現代ならなおさらです。
だから、身体的特徴や性的指向や病の有無等々で人にランク付けして差別する、なんてのはあまりに下らないし、害しか無いのではないでしょうか。
で、この映画に関して言えば、姉妹はそういう手合いとは違うのですが、その閉鎖的な心性は根本の部分で、つまり差異を認めないという意味で、差別主義と紙一重のものではないかと思うのです。
前述の通り、俺がそういったものを感じるのは映画のストーリーというより作劇においてであり、映画全体に統一感と心地のよいムードをもたらすために、そのストーリーの人間関係における差異が生み出す葛藤、あるいはその絵作りにおいて映画全体の統一感を乱す突出したショットはほとんど省かれてしまっています。
長女と母親の関係ですとか、多少ドラマに起伏が出るところもある。しかし、登場人物は誰一人問題に正面から立ち向かおうとせず、象徴的に描かれる「家」での生活さえ守れば自然と問題は解決する、という作りになっています。
少し話が逸れますが、俺は一月くらいネトウヨと呼ばれる人と長文のやりとりをしていたのですが、要するに彼はこういうことを言うワケです。
「韓国人との付き合いはもう面倒くさい! 断交しろ!」
また長くなりそうなので端折りますが、この人は自分の望みが現実性の無いことを知っていて、その上で効果の無さそうなヘイト活動に勤しんでいるようなのです。
そしてその発端は彼の生活圏で起こったらしい在日韓国人とのトラブルなんですが、つまり彼はその問題を解決できなかった。そして解決される日をずっと待っていたのですが、いつまで経っても解決されない。そこで、ネットで同志と繋がっていよいよヘイト活動を始めたワケです。
個人的な見解ですが、俺はこのネトウヨの方とこの映画の思想に大差があるようには思えません。
人間関係なんて難しいんだから(どんな人間にとっても、どんな人間に対しても)衝突があって当たり前で、それを回避してばかりで真正面から向き合わないこと、辛抱強く解決の手立てを講じないこと、差異や葛藤の生じない(という幻想に包まれた)自分たちのコミュニティに安住すること、それがあらゆる差別の根幹を成すものだと俺は考えます。
そして、それを無自覚に、なんなら美化して描いてしまっているので、俺はこの映画が嫌いなのです。
最後に、繰り返しになりますけれども、フラットなつもりでいて、結局は俺自身差別意識はあるんだと思います。
自分ではあまり意識せざるところではありますが、ご指摘頂きましてフっと意識に上りました。
少なくとも意識さえしていれば抑制もできようというものなので、なんといいますか、ありがとうございました。
すごい今更かもしれませんが、私もこの漫画は大好きです。
漫画は読んでないのですが、すごくよくできた物語だと思います。
今更ですが観たので、レビュー一発目がこちらだったので失礼します。
本当に綺麗で、抑揚も大きくなく、観やすい物語でした。
面白いとかそういうんじゃなく、癒されるに近い感じで。
ドロっとした部分も、割とサラッとしていて感情移入せずに済んだとこも良かったです。
人工的なユートピア、すごくいい言葉ですね。
その場所に、週に2回くらい訪れたい。
海街diary、最近映画で見たのですが、あなたとまったく同じ感想を持ちました。
とてもイライラしました。
私のこのイライラの原因は、
「日本人が見たい、日本人が夢みている、夢の風景を見せようとしてる原作」にあると思っています。
とても美しく、とても素晴らしいストーリーだけど、気持ち悪い。
このブログに出会えて似たような感想を持っている方に出会えて助かりました。あまり多くは話したくありませんが、切実な意味で、この作品の世界観が気持ち悪いと感じる人は結構いると思います。
とくにこの映画が発表された2015年から少し経ち、日本があの頃必死にアピールしていた優しさとか絆といったものが、ほんとはただの麻酔薬だったのではないかと感じられる今日、海街diaryはどう見られるのか、そんなことも思いました。
ありがとうございました。
俺は原作は読んでいないので、そのへんは何とも言えないんですが、映画とかテレビとかのマスなメディアでこういう空気感とか世界観が描かれると多少、嫌な感じがあるというか。
映画なんか容易に同調圧力を生んだり(意図せざる)プロパガンダに転化したする取扱注意なメディアの最たるものだと思ってるので、この監督は自身も非常に知名度のある人なわけですから、もう少し考えて作って欲しかったという気はしますね。