分厚い。角で殴ったら人を殺せそうなくらい分厚い。
サスペンス映画の本だから、凶器になるのは名誉なコトだ?
『サスペンス映画 ここにあり』、川本三郎さんの映画批評集。40~60年代の英米のサスペンス映画が集めてある。
その時代のサスペンス映画なんで、フィルム・ノワールと呼ばれる映画も結構な数が入ってる。
最近よく使われるノワールじゃなくてサスペンス映画とゆー呼称を採択した理由がまえがきにある。
曰く、ノワールはフランスで初めて用いられた批評用語であり、日本には70年代になって入ってきた。後にノワールと呼ばれることになる映画をリアルタイムで見てきた自分たちには馴染まない。
曰く、ノワールでくくってしまうと作品が限られてしまう。広く同時代のサスペンス映画を語るためにはノワールは適さない。
ノワールはジャンルならざるジャンルであるから、何をノワールとするかに明確な基準はない(らしい)
フィルム・ノワールなら確かにこの本でも語られる『過去を逃れて』(1942)や『拳銃貸します』(1947)。
フィルムを抜いてノワールだけ取ってきちゃえばフレンチ・ノワールでも香港ノワールでもネオ・ノワールでもなんでもありだ。
その越境性を利用して『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』でノワールの言葉一つでなんでもかんでも拾ってきて接続したのは滝本誠さん。
それもまた面白いが、こーゆー生真面目な本だって面白いのだ。
とにかく王道の映画批評で、今やレトロ感すらある。
アレだ、テレビの映画番組の解説者がしてたような批評。
なので目次に載ってる映画を映画配信サイトとかレンタルビデオ屋で見つけてきて、まず映画観る前に批評を半分読む。
それから映画観て、終わったら残りの半分読む。
本だけとか映画だけで見るより、そうやったらどっちも何倍か面白味が増すんじゃなかろか。
文体はハードボイルド。簡潔で詩情も私情も差し挟む余地ナシ。余計な修飾もナシ。それがまた取り上げられる映画群のトーンに合ってて、オモロイ。
ストーリーを語りながら適宜解説を加えてく。この女優はこういう背景がある、こうした描写には当時のアメリカ社会の○○が反映されている、等々。
豊富な知識に裏打ちされてるが、別にひけらかすコトなく平易な言葉遣いで丁寧に、でも簡潔に語る。職人技。
ココで止めようと思ってもついつい読み続けてまうのは、その美文もあるが数珠繋ぎにされた構成もあったりする。
ある映画を取り上げる。この監督といえば、こんなサスペンス映画も監督していた。
そのサスペンス映画にはこんな事柄が描かれていた。その事柄といえば、あんな映画もあった。
作家の開高健が、永遠に終わるコトなく食べ続けられるモノが至高の食べ物であり、食の究極の快楽である、とかなんとか言っていた。
こんな分厚い単行本400ページ超の本でも読んでるとそのうち終わっちゃうが、止めどころが無いんで映画批評の快楽はかなり感じさせてくれたりすんのだった。
まえがきにも書かれてるように、この本は主にポスト・キーフォーバー映画と川本さんが呼ぶ映画が集められてる。
キーフォーバーとはなにか? 1950~52年にかけて、アメリカにおける組織犯罪の実態を初めて白日の下にさらしたキーフォーバー委員会による公聴会とゆーのがあった。
この本で取り上げられてる映画の多くはそれを受けてアメリカで製作されたモノなので、ポスト・キーフォーバー映画。なるほど、一つ賢くなった。
だから、この本には二つの面があったりする。
一つは暗いモノに対する、もう一つは暗いモノをあっけらかんと映画の中で描けるコトに対する憧れってヤツで、コレは後半のイギリス映画編になると顕著になる。
フィルム・ノワールも多く取り上げられてる本であるから、光と闇の要素とゆーのは欠かせない。
ストーリーとか照明法みたいな映画の内容における光と闇と、映画を取り巻く状況の光と闇に、たぶんこの人はヤラれちゃったんじゃなかろか。
その乾いた語りと映画に対するちょっと倒錯した態度自体が、なんやこの本に出てくる当時のサスペンス映画のスタイルを体現。
ダラっと読んでるだけで当時の英米サスペンス映画の空気とゆーものがよく分かる、当時の状況もよく分かる、そして思わぬところでシレっと顔を出す貴重な当時の証言の数々にもオッ? てなる、古いサスペンス映画が好きな人にも、別にそうでない人にもやさしい映画批評&ガイドブック。
コレ、面白いよ。
【ママー!これ買ってー!】
最初の方に書いた『渋く、薄汚れ』ですが、『サスペンス映画ここにあり』の引き締まって統一されたスタイルとは真逆の、弛緩しまくり脱力しまくり、なんでもかんでも自由奔放に接続しまくりのフリースタイル映画(というかアート全般)評論です。
↓その他のヤツ
サスペンス映画 ここにあり